I・フレミング「007 ムーンレイカー」

    創元推理文庫 1964年
 
 ディーヴァーの「007 白紙委任状」を読んで、フレミングの原作の方も読んでみようと思い、ランダムに選んだ一冊。1955年の作であるから、ディーヴァーのものがハイテクであるとすればきわめてロー・テク。ディーヴァーのものが組織の時代のものであるとすれば個人プレーの世界である。
 冷戦の時代が終わってル・カレのようなスパイモノは執筆が困難になってしまったとよくいわれるが、これはまだ冷戦時代の作なので、平気でソ連が悪役になっているし、これは冷戦のあるなしとは関係ないのだと思われるが、ナチス・ドイツが当然のように敵役となっている。
 この前の記事でディーヴァーのものを論じていて、ボンドがえらく紳士的でびっくりしたと書いたが、本書でもそうで、どうもわたくしのボンド像は映画から勝手につくりあがていたものらしい。丸谷才一氏は、あるミステリ論のなかで、「かつては、寝ないことがフェミニズムであった。そして今は、寝ることがフェミニズムなのである」などと言っている。これは1894年に書かれた「ゼンダ城の虜」と1960年に書かれた「モルダウの黒い流れ」の比較のなかでいわれているのだが、1955年に書かれた「ムーンレイカー」でのボンド氏はまだヴィクトリア道徳のしっぽを引きずっているように思う。それに対して007映画が製作されたのはその大分後なので、「新しいフェミニスト」ボンドが造形されたのであろう。
 ムーンレイカーというのはロケットの名前で、ある耐熱性の金属を用いることにより今までとは格段の航続距離を持つようになったというもので、それをある超大金持ちが個人の資産で作ってイギリスに寄付するという話なのだが、その点からでも荒唐無稽としかいいようのない舞台設定で、であるからボンドさんがどのような超人的な活躍をしてもこれはお話だからということで納得できるという構造になっている。しかし、どうせ荒唐無稽ならソ連とかナチス・ドイツとかはださないほうがお伽噺としてより完璧になるような気がするが、そうなってしまうと今度は敵役の設定が難しくなってしまうのかもしれない。
 文庫本で300ページほどで、二段組450ページの「白紙委任状」にくらべても丁度いい長さなので、一晩の暇つびしには格好である。しかし、その結末は3・11の後に読むといささかつらい。
 ディーヴァ―さんはアメリカ人で、それに較べるとフレミングはイギリス人であることを感じるが、イギリス的ということでいえばフランシスの競馬ものはより濃厚にイギリス的である。
 橋本治氏の「宗教なんかこわくない!」に「二本の007映画の語るもの」というけったいな章があって、その二本の映画のうちの一本が「ムーンレイカー」なのである。これは1979年に公開されたらしいが、橋本氏の紹介によれば、悪役はフランス人の大金持ちで、「新しいアダムとイヴによる新世界の創造」を目指す話なのだそうで、「美男美女ばっかりを宇宙ステーションに連れていって、地球を毒ガスで滅ぼしちゃう」という話なのだという。フレミングの原作と全然関係がないじゃないかというようなものであるが、この原作のままで1970年代末に映画にするのは厳しかったのだろうと思う。この映画のマッドな「大金持ちが世界を滅ぼして」という映画がオウム真理教になんらかの影響を与えたかもというのが橋本氏の仮説である。
 フレミングは結構な愛国者なのだったのだろうと思う。国家というものが個人の上にあって当然だったのであろう。そういうひとが国を救うスーパーマンを描いたわけである。国家のタガがどんどんとゆるんできている時代になると、007のような像を造形することはどんどんと困難になるのだろうなあと思う。ましてや清濁併せのむみたいな上官のMにいたってはである。
 

007/ムーンレイカー (創元推理文庫 138-2)

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007 白紙委任状

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月夜の晩―ユーモアエッセイ集 (1974年)

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宗教なんかこわくない!

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