今日入手した本
- 作者: ミランクンデラ,西永良成
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2012/01/20
- メディア: 単行本
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評論集? 新聞で誰かが紹介していた(大江健三郎?)。まだほとんど読んでいないけれど、アナトール・フランスを論じた短章に目を通してみた。ほとんど「神々は渇く」だけを論じたものである。この小説は以前にここでとりあげたことがある。フランス革命を描いたものでクンデラのような履歴のものにとっては他人事ではないのであろう。
よく知られているようにフランスはアカデミー・フランセーズの会員でその死後、席を襲ったのがP・ヴァレリーである。なにしろ小説ぎらいのヴァレリーだから、追悼演説でなんとも韜晦した微妙な演説をしたらしい。そこを小説家であるクンデラがフランスの側にたって論ずるわけである。「日常的なものの平凡さ、この十九世紀小説の大発見がつねに『神々は渇く』に存在している」とクンデラはいう。そんな平凡さなどヴァレリーは真っ平御免であったわけである。そしてヴァレリーのお弟子さんである吉田健一もまた小説をきらった。そして健一ファンでありなおかつ小説家でもあった倉橋由美子は奇妙な小説を書いた。「非日常的なものの非凡さ」を書く小説。小説ではなく大説。小人ではなく大人(たいじん)を描く(「私もせいぜい反文学的な人間を、反文学的に書くように努力いたしますわ」)。 吉田健一もまた大人を描いたが、その大人は市井に暮らしていた。倉橋氏の小説の大人たちはエリートの空間で暮らしている。「おそよ英雄的ならざる人間しか描こうとしない小説というものは、もっぱら人間の卑しい部分、弱い部分、女々しい部分、小児的な部分に訴えるもの、つまりは精神的婦女子の読物だといわざるをえないのです。」 そういえば三島由紀夫の小説もまた「日常的なものの平凡さ」といったものにはおよそ縁のないものであった。
- 作者: 倉橋由美子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1970
- メディア: ?
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