吉本隆明氏の死

 吉本氏の死が新聞で報じられていた。吉本信者でもないしその良い読者でもなかったから特別の感慨があるわけではないが、若い時、その頃の流行というか雰囲気というかで偶然氏の「自立の思想的拠点」を読み、その中の江藤淳福田恆存を論じた文を読むことがなければ、今とは随分と違った人間になっていたであろうと思うから、やはり自分にとって大きなひとであったということになるのだろう。
 吉本氏というひとは生きることに一切の恥ずかしさとか後ろめたさを持たなかったひとなのだと思う。「大衆の原像」という言葉の大衆というのは生きることに恥ずかしさなどを感じないひとたちを指した。大衆の反対が知識人で、知識人というのは生きることを素直に肯定できず、生きることに何かと理屈をつけずにはいられないひとたちなのである。「そんなのはみんな下らないぜ! 食べていくのに何か恥ずかしいことでもあるというのか!」という一喝にみな震えあがった。
 氏は一生どこにも所属しない物書きとして生きた。定期的な収入が入ってくることがなく、筆一本で生きていくというのはどれほど大変で不安なことであろうかと思うが、氏はあえてその道を選んだのである。氏がどこかで書いていたことで覚えているのが、もしもどこからも注文がこなくなったら、広告の文案づくりから小さな会報の雑文までできることは何でもやって生きるつもりというようなことをいっていたことである。○○大学文学部教授などというものになった氏の姿など想像もできない。自立して生きるインディペンデントなひとだった、それが凄かった。