その4 お勉強・その2

 
 4月から開始したお勉強生活の第2日目。
 明治大学リバティーアカデミーというところでの講義。明治大学の中に入るのははじめてであったが、一昔前には立て看が林立しヘルメットに覆面のお兄さんたちがマイクを手にしてがなっていたところとは思えないきれいな建物であった。どの大学も経営は大変なのではないかと思うのだが、明治大学はうまく経営されているほうなのだろうか?
 この建物の建設がはじまったころ、立て替えを理由にして学生運動家とか自治会とかを追い出すことが大きな目的の一つではないかと邪推していたのだが、建物が完成したあと、そこにはもう運動家たちの姿は見えなくなっていた。建築の期間がちょうど学生運動の衰亡期と一致したということなのだろうか?
 前回の朝日カルチャーも今回も、講義の時間は90分だった。45分くらいで休憩があるだろうと予想していたのだが、どちらも90分連続であった。やはり教師というのは大したもので、プロというは伊達ではないわけである。わたくしなども一年に数回、看護師さんなどの前で何かをしゃべらされることがあるが、せいぜい40〜50分が限度で、90分も続けて話すというのは想像もつかない。ある一つのストーリーの流れだけで90分話すというのはとても大変だと思う。教師をしていると、いくつかの話題をうまくつなげて90分でおさめるることを、意識しなくてもできるようになるのだろうか?
 もう一つ、予想外であったのはみんな本当にまじめに講義をきいていることで、お金を出してきいているのだから当然といえば当然なのかもしれないが、一時きこえてきた話では大学の通常の講義では、私語、携帯で通話やメール、食事をしたり、勝手に出て行ったり入ってきたりと、講師の話をまともにきいているひとはほとんどいないというようなことだった。今ではそういうことはなくなっているのだろうか?
 あるいは大学がこういう社会人相手の講座を開いているのは、少子化に備えての収入確保ということ以外に、そこに熱心な聴衆がいるので教師として教え甲斐があるというようなこともあるのだろうか?