中村光夫「戦争まで」

 
 昭和46年集英社刊。浅黄色?の布の装丁で、表表紙に「戦争まで 中村光夫」と書いた紙が張ってある。箱入り。装丁は岡鹿之助
 この本は1942年、51年、60年の3回刊行されていて、この1971年刊は決定版ということらしい。「あとがき」に「ここに収められたものは僕のフランス滞在中の記録のほとんどすべてです」とあるように、中村氏が昭和13年フランス政府留学生としてフランスに滞在し、一年くらいで大戦の勃発のために予定を早めて帰国するまでを書いている。
 最初の方だけ読んで放ってあったのを思い出したのは吉田健一の「甘酸っぱい味」にこの本が何回か言及されていたからで、それでこのひと月くらい、ぼちぼちと読んで来た。
 この本は現在まず書かれることはない本なのではないかと思う。フランスに行くことが簡単ではなかった時代だからこそ書かれた本であり、フランスとは実際に目でみるとどんなことろなのかという報告がそれだけで意味があった時代の産物である。「パリに本当の春が来るのは四月の始めの復活祭前後ですが、その季節の移り変りは驚くほど急に来ます。三月の間中はまだ冬の領分で、空が時々は晴れ間を見せて、薄暖い日が射すことはあつても、すぐまた冷たい氷雨が降つて来たりして、昼間でも外套の手放せぬほど寒く、街を歩いても、マロニエの並木の太い枝をかすかに彩る小さい若葉の芽に、僅かに春の近づく気配が感じられるだけですが、さういふ時雨模様の日が幾日か続いて、四月に這入つてから漸く天候が定まり、毎日拭つたやうに晴れた真青な空が続き、陽の光も急に強くなつて、長いこと着慣れた冬外套が重くなりだすと、今までは寒空に枯枝を慄はせてゐた公園の植込み街路樹も、待ち兼ねたやうに一斉に鮮かな新緑の葉をふき出して、四五日たたぬうちに街の様子は、見違へるほど明るく一変してしまひます」というようなことは今なら観光案内にも書いてあるかもしれない。しかしこういう文章がそういうものに載っていることも絶対ないわけで、この文章の落ち着きというかせわしくない感じを味わいながら少しづつ読んできた。
 「戦争まで」という題名ではあるが、本当に戦争がのっぴきならなくなるところを描いているのは最後の「十」だけである。それまでの章は、後から考えれば戦争直前であったにもかかわらず、日々続いていた日常の生活を淡々と描いている。「甘酸っぱい味」で吉田氏は「今度の大戦で、フランスの国民には戦意が全くなかった」ということをいっている。「普仏戦争第一次世界大戦と度重る苦い経験で戦争というものの馬鹿馬鹿しさを骨の髄まで思い知らされていた」からなのだが、だから日々の生活には好戦的気分といったものはまったくなく、もし戦争になれば日常の生活が失われてしまうというおそれの気持ちだけが横溢している。
 本の後半は中村氏がフランス語の勉強にいったトウルという田舎町が舞台になっているが、そこには語学の勉強のためにさまざまな国からの人が集まっているので、それぞれの出身国の違いから戦争に対して実にいろいろな反応をしめしているさまが描かれている。この本が最初に出版されたのは1942年だから、そのころの日本人はこれを読んでどう感じただのだろうかと思う。
 そして時代ということなのだろうと思うが、今ではちょっと考えられないくらいの男尊女卑的な見方が随所にでてきている。また女性の描写が異様に生々しい。そして全般に人への見方がとても辛辣である。
 中村氏の本は小説とか戯曲とか結構持っているのだがあまり読んでいない。今度読み返してみようか。

戦争まで (1971年)

戦争まで (1971年)