山室信一「複合戦争と総力戦の断層」(2)

 
 日本は第一次世界大戦ではドイツと戦ったわけであるが、われわれには(あるいは少なくともわたくしには)戦争をしたという印象が薄いのは、戦場がアジアであったことが一つあるのではないかと思う。租借地での戦いであったわけで、当時は植民地主義全盛の時代で、その取り合いというのが今一つ戦争というイメージと結びつきにくい。
 片山杜秀氏は「未完のファシズム」で「第一次世界大戦が勃発し、日本はただちに日英同盟の誼から連合軍に加わり、ドイツの東アジアに於ける根拠地、山東半島の青島の攻略に乗り出します」と書く。この部分、最初に読んだときには何となく読み過ごしてしまったのだが、ドイツと日本が本来中国に所属する青島で戦っているわけである。たとえば、日本のどこかがドイツに租借され、ドイツと米国が戦争をはじめたので、米国が勝手にそこを攻撃しはじめたというようなものである。ウィキペディアによれば「租借地とは、ある国が条約で一定期間、他国に貸し与えた土地のこと」で、「租借期間中は、貸した国には潜在的な主権が存在するが、実質的な統治権は借りた国が持つ。立法・行政・司法権は借りた国に移る」ということあるが、潜在的な主権国としてはたまったものではないだろう。
 日本は日露戦争遂行のために巨額な国債や外債を償却しなくてはならず財政が悪化していた。ヨーロッパでの戦争はそれを一気に回復する好機であると考えられた。また陸海軍にとっては、低下していた発言権回復の好機と思われた。財政難から軍事費の圧縮を求められていたからである。
 第一次世界大戦勃発当時、日本では連合国側の勝利を予想するものが多く、そうであればロシアが山東半島に進出してくるであろうことが予想された。しかし山東半島もさることながら、日露戦争以後に獲得した満州利権などを確保強化し、中国における発言権をさらに増していくことが最重要の課題であると考えられていた。青島を攻略したあと山東鉄道を占有して満蒙に対する圧力を増すことが必要とされた。つまり「日英同盟の誼から連合軍に加わり」などというものでは決してなく、イギリスと同盟していようがいまいが山東半島攻略は日本にとって必須のものとされたのである。
 だから青島攻略戦でもまず山東鉄道占有を最初におこなった。これは中国の中立侵害であるから、中国の激しい抗議を受けたが日本軍はこれを無視した。青島攻撃はかたちとしてはイギリスとの共同でおこなわれたが(日本軍が主体であったが)、イギリスが撤退した後も、日本は軍政をひき8年間にわたって山東半島を占領統治した。ドイツの権益を日本が継承したのである。青島陥落後、日本では祝賀の提灯行列がおこなわれたが、山東半島占領軍の兵士にはそれが長期することに不満が広がっていた。
 以上が陸軍であるが、海軍も第二艦隊が謬州湾封鎖にイギリス海軍とともに参加し、艦砲攻撃などをおこなった。しかしイギリスは日本海軍が南洋諸島のドイツ領を占領することには警戒的であった。イギリスの自治領であったオーストラリアやニュージーランドを脅かすことになり、オランダ領インドネシアも脅かされ、ハワイとフィリピンを結ぶアメリカの海上交通路も遮断することとなって、南太平洋の制海権を日本が握ることを恐れたためである。しかし日本海軍は赤道以北のドイツ領のマーシャル、マリアナ、カロリンなどの島々を次々に占領していった。この間、ひとりの犠牲者を出すこともなかった。これは最終的には、連合国からの地中海への艦隊派遣要請に対する見返りとしてパリ講和会議において日本の委任統治領として認められることとなった。
 ヨーロッパでの商船護衛への日本海軍派遣の依頼は以前からあったが、それに対する見返りがないとして当初は断っていた。1917年にそれを受け入れたのは、山東半島および南洋諸島を日本が領有することについて、密約で保証されたからである。第二特務艦隊は約一年半地中海のマルタ島を拠点として、Uボートの攻撃から輸送船をまもった。護衛した船隻は787隻で、75万人の乗組員を輸送した。ドイツ潜水艦とは36回砲火をまじえ、駆逐艦1隻が被弾し59名が犠牲になっている。全体として第二特務艦隊は78名の戦病死者をだしたが、ヨーロッパ近くでの活動であったため、連合軍の友軍としての存在感を示すこととなり、講和会議での発言権を高めることとなった。
 
 片山氏の本においても本書においても、日本人にとっては第一次世界大戦というものがきわめて他人事のような現実感のないものであったということがいわれている。
 これだけのことがありながらなぜそうなってしまったのだろうか。片山氏の本では、これは日英同盟の誼での参戦である。先日きいた明治大学でのレクチャーでも地中海での商船護衛の活動は日英同盟の誼という説明であった。そこで問題にされていたのは、第二特殊艦隊の艦隊の活動は連合国側に大きな貢献をした活動であったにもかかわらず(本書にマルタ島での戦没者の碑の写真がある。イギリス国王から勲章を受けているのだそうである)、日本の海軍戦史の中ではほとんど言及されることのない評価されていない活動であるということであった。つまり日露戦争で戦艦同士の決戦が雌雄を決したという成功体験をひきずっていて、このような地味な活動への評価が低かったこと、また一般に兵站を軽視する日本の軍の体質がそこにも現れているのではないかというようなことであった。
 しかし、これはなにも軍隊だけではなく、日本人全体がそのような派手な戦闘のみが戦争であると思っていて、護衛といった地味な活動への評価が低いということがあるのではないだろうか? そうであれば外交戦といったものへの評価はさらに低いなるはずである。
 そして本書によれば第一次世界大戦への日本のかかわりはまさに植民地主義の時代の風潮のなかで、日本が中国や南洋諸島などへ日本もそれなりの権利をもっていくのが当然であるという姿勢を持っていたということであって、これはとりもなおざず大国意識、日本も一等国の一員となれたという意識が日本全体に行き渡っていたということであろう。片山氏のいう「日本は持たざる国」であるという意識が希薄になっていったということなのではないだろうか? 片山氏の本は、しかし軍人だけは「日本は持たざる国」であるという冷徹な現実から目を離すことはなかったのだということを主張している。そして「持たざる国」日本が生き残るためには中国の資源を手中にするしかないとしたのだという。
 本書の第4章「日中外交戦と日中関係の転形」は第一世界大戦における日本と中国の関係をかつかっているので、また稿をあらためて論じる。
 

未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命 (新潮選書)

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