今日入手した本

詩とことば (岩波現代文庫)

詩とことば (岩波現代文庫)

 以前、岩波の「ことばのために」というシリーズの一冊として刊行されたものが、岩波現代文庫の一冊として再刊されたもの。と書いて変だなと思ってみてみたら、なんと2004年刊の本がちゃんと本棚にあった。健忘症が進んでいる。もっとも読んだ形跡はない。再刊にあたって新しく追加された文章もいくつかあるようであるから、よしとしよう。この「ことばのために」というシリーズ、加藤典洋氏の「僕が批評家になったわけ」や関川夏央氏の「おじさんはなぜ時代小説が好きか」ももっているので、シリーズ全部をそろえるつもりで買ってそのままになったのか・・、覚えていない。最近、どこかの新聞の書評にでていてそれで(前に買っていたことを忘れていて)購入した。
 最初のほうに「詩を読む人はごく少数。読書という場合、詩を読むこと、詩集を開くことが含まれることはまれだ。現在書かれている詩に対して、関心や興味をもつ人は希少である」とある。わたくしもまた詩はほとんど読まないが、それでも谷川俊太郎とか大岡信とか飯島耕一とか田村隆一とかを少しは読むから、その希少のほうにはいるのかもしれない。読むことがある数少ない詩人のなかに荒川氏もはいるのだが、荒川氏のものもわたくしには散文のほうが面白い。「美代子、石を投げなさい」とか「完成交響曲」とかの詩は面白いが、それでも「文芸時評という感想」のほうがずっと面白い。本書で氏は書く。「詩は、読者がいない。・・でもほんとうに詩は、読まれていいのだろうか。読まれることはむしろこわいことではないのか。読まれてしまったらおしまいではないか。自分のことばが、はだかにされたらこまるのではないのか。・・読まれないことは、わかっている。そのうえで、考える。もし、読まれたら、どうするのか。・・そのときのために、少数の人のために、きびしい目をもつ人のために、はずかしいものは書けない。用意だけは、しておかなくてはならない。・・」
 本書で追加された「詩の被災」で氏はいう。「大きな災害のあとで、大量のたれながしの詩や歌が書かれて、文学「特需」ともいうべき事態が生じた。/ とくに詩のほうは、ただのおしゃべりのようなもので、表現の工夫も、その痕跡もない。平明でわかりやすいが、ただの自己主張に近いものだ。・・」
 詩だけでなくて文学全体がどんどんと読者を失ってきているようである。以前読者がある数いたときもほうが異常で、いまが本来の姿に戻っているのかもしれないが・・。