山室信一「複合戦争と総力戦の断層」(5)おわり

 
 本書の最終章は「おわりに」というまとめとなっている。
 山室氏は、日本にとっての第一次世界大戦は日独戦争とシベリア出兵という二つの実戦と、対中・英・米の3つの外交戦の複合戦争であったとする。
 実戦においては、重砲や機関銃、無線通信は飛行機などの新兵器が試用されたとはいっても、基本的には日露戦争と同じ戦争形態をとったという。その証拠に第二次世界大戦末期まで日本では三八式歩兵銃が使われたと。
 また外交戦は、力こそ正義、権益配分は秘密外交と威嚇外交によるとする旧外交の手法を用いたとする。
 つまり日本にとっての第一次世界大戦はまだ総力戦ではなかった。しかし日本も第一次世界大戦で明かになった戦争形態の変化に無関心では決してなかったとする。
 第一世界大戦開戦前、各国は一日の砲弾使用量を2万発と予想していた。しかし、実際には最高時には日に35万から45万の砲弾が使用された(日露戦争全期間で日本が使用した砲弾は100万発)。そのため開戦2ヶ月で備蓄していた砲弾はそこをついた。後は戦いながら武器を作り続けることになった。開戦までに備蓄した兵器で一気に敵を殲滅するという戦争の形態ではなくなった。とすれば戦争は軍人だけがするものではなく、政治・経済・思想・文化など国民の持てる力を集約する総力戦へと変貌していくこととなる。
 その事態への対応は二つに分かれた。一つは次の戦争に備えて国内体制を変革するという方向であり、もう一つは「武装による平和」から「法と機構による平和」への転換という方向である。日本はその変化の自覚において、身をもって経験したヨーロッパ人にくらべると、希薄なところがあった。
 片山氏の本でも指摘されていたように、日本の陸海軍は第一世界大戦を綿密に研究した。封鎖で危機におちいったドイツの体制の教訓から、資源を国際分業に頼ることは危険であり、自給体制の構築が重要であると考えた。それで期待されたのが志那の供給力である。
 将来の戦争が総力戦になるとすれば、それへの対応は二つの方向がありえた。一つはだからこそ長期戦になるのを裂け、短期決戦で勝負を決するというものである。もう一つは総動員体制の構築をめざすべきであるというものである。
 速決戦戦略は上原勇作、福田雅太郎などのものであり、日本は大量の兵器を要する長期戦には耐えられないとして、またそれをする財政的余裕もないとして、緒戦に最大限の兵力を投入し、装備ではなく精神力によって敵を倒すとした。田中義一宇垣一成らは、資源と工業力を確保して装備の充実を図るためには常備軍を減らして費用を捻出することもやむをえないとした。その立場の違いが後の皇道派と統制派の対立へとつながっていく。
 どの立場であっても日本が資源に乏しく、重化学工業において欧米に著しく遅れていることは認識していた。だからこそ精神鍛錬主義が日常生活でも軍隊でも重視されることとなった。平時における良民は戦時における良兵となるという一種の兵営国家に日本はなっていったのである。こうした体制の浸透があったからこそ、日本は1941年から45年までの総力戦を戦うことができた。
 資源小国であれば、当然外交が重視されなければならない。ワシントン会議での軍縮はその現れの一つであった。
 しかし1929年の大恐慌は日本にも大きな打撃をあたえ、石原莞爾らは資源小国である日本は満州と中国の資源を確保しなければ総力戦はできないとして満州事変をひきおこすこととなる。人類にとっての最終世界戦争が次の大戦であるとした。ここでは戦争は他の手段をもってする外交ではなく、戦争こそが他のあらゆる手段をもって完遂されるべき最終目標とへと転換していった。外交戦なき戦争だけが残されていくことになったのである。
 
 本書を読むことにしたのは片山杜秀氏の「未完のファシズム」を読んでいろいろと考えたからなのだが、事実の認識については片山氏も山室氏もあまり変わらないように思う。だが、そこから出てくる結論はかなり方向が違う。たとえば、「実戦においては、重砲や機関銃、無線通信は飛行機などの新兵器が試用されたとはいっても、基本的には日露戦争と同じ戦争形態をとったと」山室氏はいう。その証拠に第二次世界大戦末期まで日本では三八式歩兵銃が使われたと。しかし片山氏は「実戦において、重砲や機関銃、無線通信は飛行機などの新兵器が試用された」ことを重視し、日本はいつまでも日露戦争をひきずっていたわけではないぞとするわけである。同じ事実も力点の置き方によってまったく正反対の結論にいたってしまう。
 38式歩兵銃のことは最初に知ったとき(もう30年以上前?)、明治38年の銃で太平洋戦争を戦ったとは!と非常に驚いたものだが、小銃という形態はすでに完成の域に達していてあまり改良の余地はなかったとして、そのことは大きな問題ではないとする見解もあるようである。しかし、小銃ではなく機関銃などへの転換が図られなかったことも間違いないことのようである。資源小国、持たざる国としてはおいそれと兵器の転換を図れなかったのかもしれない。
 おそらく片山氏と山室氏の違いは、片山氏がもっぱら総力戦の観点から見るのに対して、山室氏が複合戦の観点から見ているということにあるのだと思われる。総力戦は軍事の観点である。複合戦は政治の側面が重要である。いくら戦争であってもそれが軍事のみからなりたつことはありえないわけで、戦争から軍事の側面のみを抽出してくるならば、そこで抽象化と理論化の作業がいやおうなしに生じてしまう。片山氏の論は山室氏のものとくらべてはるかに図式的である。だからそれは説得的である一方現実にあてはめると漏れてしまう部分がたくさんでてきてしまう。一方、山室氏の論は歴史のさまざまな事実に目配りをしているために、論にどうしても例外事例が生じ、すっきりしない部分が出てきてしまう。
 だから片山氏の本のほうが読んで面白い(ひとつには語り口の問題、文体の問題があるが・・。「すべてが後手に回っている。目的があって事が起こされるのが普通だろうに、事がだいぶ進んでから目的や意味が初めて付いてくる。奇妙な状況です。斉藤代議士には我慢がなりません。国家の意思がまっとうに定まっていないのではないか。国家の諸機構が十全に働いていないのではないか。戦争をするとは多分に主体的かつ能動的な行為のはずなのに、まるで偶然事に翻弄されているようだ。そうも感じさせます。」) 片山氏も学者なのだろうが、あまり学者らしくない学者で(音楽評論などもやっていて、そちらのほうがより有名かもしれない)、とにかく書いているひとが書いていることを面白がっていることがよくわかるという学問書らしくない本である(新潮選書という一般啓蒙書に属する本として書かれているということもあろうが)。それに対して山室氏の本はいかにも学問の本である(レクチャー「第一次世界大戦を考える」というシリーズの一冊でもあるし)。「山東鉄道を日本が占有することによって中国中央に進出していくための足がかりにするという方針は加藤外相もまた当初から想定していたことであった」という文体である。片山氏が斉藤代議士に感情移入して書いているのに対して、山室氏はあくまでも客観的である。山室氏の本も、従来なんとなく曖昧なままとなっていたシベリア出兵を日本の第一次世界大戦の一環として位置づけるという重大な視点を提示しているのだが、あくまでも事実をもって語らせるという手法であり、「ほら、こう考えると、このこともよく理解できるようになる。面白いでしょう!」というような書き方ではない。だから読者が面白がって読むという本にはなっていない。
 わたくしは従来、語り口が面白い本ばかりを読んできていて、学問的な本は敬して遠ざけて来ていると思う。というか文体がない本、著者の匂いが感じられない本は読むのが苦痛でなかなか読了できないできた。書いてあることが正しいかどうかよりも、著者が書いていることとどう向き合っているのかのほうに興味があるという(文学的な?)読み方である。学問むきの人間ではないということなのであろう。これから何年かすると山室氏の本に書いてあったことはあらから忘れてしまうかもしれないが、片山氏の本で知った青島攻撃の司令官神尾陸軍中将のことはずっと覚えているような気がする。それでもシベリア出兵というのがどのようなものであったのかという山室氏の見方は記憶していくように思うが。
 

未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命 (新潮選書)

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