今日入手した本
![昭和史裁判 昭和史裁判](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41WU-46-zEL._SL160_.jpg)
- 作者: 半藤一利,加藤陽子
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2011/07
- メディア: 単行本
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この森山氏の本は考察をもっぱら1941年、昭和16年に絞っている。第二次近衛内閣から第三次近衛内閣さらに東条内閣から開戦にいたるまでである。近衛文麿は内閣総理大臣としてでてくる。もちろん、わたくしも近衛文麿という名前くらいは知っているのだが、その名前を聞いても何のイメージもわかない。
本書によれば、近衛文麿というひとは普通のひとには理解できない人間なのだそうである。ほとんどの日本人には理解不能な人間なのだそうで、なぜなら「自分は天皇の次に偉いと思っている」のだからということである。五摂家の筆頭の家柄で、天皇の前で椅子に深く腰掛けて、足まで組んでおしゃべりしたのは近衛さんだけなのだそうである。本書によれば、森山氏の本にでてくる時期の近衛文麿は「ひとが変わったように」なって「一所懸命になってルーズベルトとの直接会談を策し」ていた時期ということになる。そして森山氏の本にでてくる時期の昭和天皇は対米戦争回避の方向に肩入れしているけれども、本書によれば、(少なくとも当初は)対中侵略に積極的な立場であったとされる。統制派の「中国一撃論」に肩入れしていたのではないか、と。
前に森山氏の本の感想に、誰も「日米開戦をのぞんでいなかった」のに、それでもなぜか戦争となったというようなことを書いたが、これは言葉足らずで、当時の政策決定に関与いていたトップはということで、海軍・陸軍の中堅層は血気さかんなわけで、それに引きずられて、首脳陣は誰も開戦を望んでいないのに、開戦にいたってしまったということである。
とにかくこのあたりの歴史を知らないことを痛感する。もちろんわたくしの不勉強なのだが、若いころ、このあたりのことをまともに教えられたことはないような気がする。
それはマルクス主義の影響ということではなかったかと思う。なぜ日本が米国と戦争をしたか?、それは日本の資本制の行き詰まりの打開のためである。戦争にいたる経過などを細かく研究することなど意味がない。世界が社会主義化すれば、世界から戦争はなくなるのである。大事なのは世界の社会主義化なのであって、こまかい事例研究ではない。そういった風潮が強くあって、このあたりの研究が評価されなかったということがあるのではないだろうか?
わたくしが生きたきた65年の過半にはソヴィエト連邦というものが存在し、東西冷戦があったわけである。そしてソヴィエトという国の寿命とわたくしの年齢が段々と近づきつつある。ソヴィエトという国の一生?もたかだか普通のひとの一生くらいの時間であったわけである。
そして社会主義国というものがあったことによってわれわれの目に多くのヴェールがかけられていたのではないかと思う。わたくしもまた遅まきながれ自分にかけられていた目隠しをとって、少しづつ自分の目でみようとしはじめているのだと思う。