今日入手した本
片山杜秀の本(5)線量計と機関銃──ラジオ・カタヤマ【震災篇】
- 作者: 片山杜秀
- 出版社/メーカー: アルテスパブリッシング
- 発売日: 2012/07/24
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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それでこの本だが、衛星デジタルラジオ「ミュージックバード」で放送中の番組「片山杜秀のパンドラの箱」から12回分を採録したものです、ということで、どこかに書いた文を集めたのではなく、放送の内容をそのまま文章に起こしたものらしい。
放送といっても、衛星デジタルラジオという特殊なチューナーがないときけないというマイナーな分野で、クラシック音楽ファンというさらにマイナーな聞き手を対象にした番組であるので独断と偏見を言いたい放題という感じで、片山氏の独演の合間に数曲の音楽を紹介するという構成のようだが、一時間をほとんど原稿なしで、しゃべっているらしい。「僭越ながら、私は喋る仕事は好きなほうでございます。・・じつは大学院生のころ、・・声優かナレーターにでもなろうと思って、何年か本気で修行したこともあったのです」というのだから、片山氏も変なひとである。
内容はもろに3・11後の日本。だから「敗戦と原発」、「緊急地震警報と『原発の子』」、「3・11と12・8」、「線量計と機関銃」「FMと原子力」といったタイトルが並ぶ。まだぱらぱらとしか見ていないが、最初の「敗戦と原発」(2011年3月25日放送)などは「未完のファシズム」の復習といった感じである。それがクラシック音楽とどういう関係があるのかというようなものであるが、そこでとりあげられているのは、「鉄腕アトム」の主題歌、ボリス・ティシチェンコの「ソナタ第七番 第3楽章」、バーバーの「弦楽のためのアダージョ」。バーバーはまあ鎮魂のためということなのであろうが、ティシチェンコって誰?である。ショスタコーヴィッチの弟子なのだそうだが、お師匠さんの音楽から閃きというか天才性というものがなくったような音楽を書いたひとなのだそうである。イライラした音楽がだらだらと続いていくのだ、と。そして片山氏によれば、現代はティシチェンコ的な時代だなという気がするのだそうである。そしてこれが旧ソ連の音楽ということも大事で、理由はわかりますよね、と。チェルノブイリを思い出せということであろう。そして「鉄腕アトム」はアトム=原子力であるし、「心やさし、科学の子・・」ということで。
「未完のファシズム」は「持たざる国日本」という脅迫観念が日本を無謀な戦争に追い込んでいったということを論じた本であったが、片山氏は、なぜ日本で原子力発電が推進されたのかといえば、「エネルギー資源に乏しい、持たざる国日本」が「持てる国」であるかのようにふるまうために必要とされたものが原子力だったのだという。石油が中東からこなくなっても原子力さえあればなんとかなるという発想。
ということで、「持たざる国」というキーワードによって、戦前の日本と戦後の日本をドッキングさせてしまうとアクロバットが実現している。片山氏は話を面白くきかせる芸に秀でたひとである。たしか許光俊氏だったかが、片山氏が音楽を論じて文をみて、面白そうな曲、面白そうな演奏と思って聴いてみても、片山氏がいっているほどは面白くないことがほとんどだというようなことをいっていた。片山氏はまず自分で面白がってしまう才能を持ったひとなのかもしれない。
それとなんでこんなことを知っているのだろうと驚かされることがしばしばで、雑学の大家でもある。そのことを知っただけでも元が取れたと思える場合が多い。学者さんの書いた文章は面白い雑学というより、苦労して発掘しましたというようなほうに話がいきがちで、読んでも元気がでない。逆に片山氏の場合は、なんだか話がうますぎるなという方向が問題があるとすれば問題であるような気がする。