橋本治「浄瑠璃を読もう」(4)

 
 つぎが『本朝廿四孝』である。わたくし本当にこれ題名しか知らなかったので、日本の親孝行列伝と思い込み、親孝行も孝行話も大嫌いなので、いやな話だろうなとだけ思ってきた。それが何と上杉謙信武田信玄の話なのである。浄瑠璃の台本にはタイトルの上に角書きというのがあって、それが『武田信玄 長尾謙信』となっているのだそうだから知らなかったわたくしが悪いのだが、日本人は常識としてみなこんなことは知っているのだろうか?
 こういう角書きではあるが本当の主人公(というか筋をひっぱるの)は斉藤道三なのだそうで、この浄瑠璃のなかでは、太田道灌の子孫ということになっているのだそうである。なぜそうなるのかというと、太田道灌斎藤道三の名にはともに「道」という字があるのと、「七重八重花は咲けども山吹の みの一つだになきぞ悲しき」の、「実のない」=「蓑がない」=「美濃がない」=「美濃の領地を奪われた斎藤道三」というとんでもない連想というかこじつけによるのだそうである。一時が万事で、橋本氏が紹介している筋というのは奇想天外というか荒唐無稽というか、とんでもないものである。話の発端が、浪人中の斎藤道三室町幕府の花の御所に種子島で手に入れた鉄砲を献上するといってあらわれ、将軍義晴を撃ち殺してしまうというものなのだそうである。
 台本のはじまりの部分はこんなものである。「春は曙ようやく白くなり行くままに。雪間の若菜青やかに摘出でつつ。霞たちたる花のころはさらなり。さればあやしの賎までもおのれゝが品につき。寿き祝う年の兄。ましてやいともやんごとなき。大樹の下の梅が香や。まず咲き初むる室町の。御所こそ花の盛なれ。」
 何でいきなり「枕草子」冒頭のぱくりがでてくるのかというと、「花のころはさらなり」で「花の御所」が連想されるということだけなのだそうである。
 これは近松半二作。かれがこれを作ったころには、人形浄瑠璃はもう歌舞伎に押されて衰退期にはいっていたのだそうで、歌舞伎は役者に人気がでれば台本がいい加減でも客がはいるが、浄瑠璃の場合には「善人が何かを一手に引き受けて自害する、実はこれこれの事情と苦しい息で告白する」というのがワンパターン化してきてあきられてきていたのだ、と。「人の世を覆う運命に従おう」というような受け身でウエットな従来の方向ではない、打って変わってドライな作風をここで打ち出したのだ、と。だから『本朝廿四考』でもやたらとひとが死ぬが、それを誰かが嘆き悲しむという愁嘆場がほとんど存在しないのだそうである。江戸時代の観客はともすれば「自虐的なことを考えて鬱々たる感動にひたってしまう」傾向があったが、『本朝廿四考』は「そんな厄介なことは考えなくてもいい」ということを宣言する「ただのエンターテインメント」であるという点が新しかったのだ、と。
 それでは、何でこれが「本朝廿四考」なのかというと、親のためと思って死んだ子どもが実は取り替えられていて本当の子ではなかった、といった話のオンパレードなので、親孝行を皮肉ったものともみえると橋本氏はいう。
 
 どうしてこうまでわたくしには浄瑠璃方面にかんする知識が欠如していたのかと考えると、ひとのせいにしてしまうが、江戸時代の軟文学というのは文学史のなかで少しは名前が出て来るものの、実作については読む必要のないものと教わってきたということがあるのではないかと思う。わたくしが中高と学んだ学校は変な学校で中学1年から高校3年まで漢文の授業が一貫してあった。だから頼山陽の「日本外史」とかも学んだはずである、「鞭声粛々夜河を渡る・・」 川中島はこっちである。そして江戸の知識人もこちらのほうを読んでいたはずで、浄瑠璃とかは町人が観ていたものである。紫式部とか清少納言とか鴨長明とか、あるいは藤原定家とかみな当時の第一級の知識人である。どうも日本の国語教育は知識人に読まれてきたものは教養として必須としたようであるが、町人のためのものはどうでもいいとしてきたのではないかと思う。
 橋本氏は、学生の頃から江戸の町人が好んだものを愛好してきたひとである(「とめてくれるな・・」だって浮世絵であろう)。橋本氏はイラストレーターとして出発したひとである(独創性を要求される画家としてではなく、技術を要求されるイラストレーターとして)。知識人の議論ということに最初から懐疑的であったひとで、しかもいまや橋本氏は大知識人なのである。氏は決して江戸の町人のものの見方を肯定するわけではない。しかし、それが身にしみてわかるひとなのである。だから、そんなものは自分には関係ないねと信じ込んで空疎な議論に明け暮れていた、自分の周囲にあまたいた東大生を中心とする(自称)知識人たちが奇妙に見えて仕方がなかったのである。
 そしてわたくしだってそういう知識人の一人のつもりでいた人間であったわけなのだから、その時かかっていた病気からの回復のためにはそれなりにいろいろなことをしなくてはいけなくなったわけである。
 橋本氏は「ひらがな」の人である。そしてわたくしは(多くの知識人と同様に)おそらく「漢文」の人なのである(昔「漢文」、今「英語」)。
 ということで、次は『ひらがな盛衰記』。
 

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