今日入手した本

ネヴァー・トゥー・レイト―私のチェロ修業

ネヴァー・トゥー・レイト―私のチェロ修業

 65歳でチェロをはじめるなどということをしなければ、絶対に入手することはなかった本であるので、一般性はまったくない本である。なので、当然、売れる本であるとも思えなくて、絶版のようである。古書として入手した。
 著者は教育学者らしい。それでこれは晩学のアマチュアチェリストの見解を述べた本であるとともに、チェロの学習過程を通じて教育というもの一般についても考察した本でもあるらしい。だからイリイチなどの名前も出てくる。
 たとえば、練習曲をやる。しかしその練習曲がなんのためのものかということがわからないと、単なる苦痛の強制になってしまう。だから、著者のチェロの先生は、ある程度の初歩の手ほどきをしたあと、いきなりバッハの無伴奏組曲とかブラームスソナタをやらせるのだそうである。当然できるわけもない。しかし、どこのなにができないかが解ると、練習曲で今やっていることの意味がわかる。それが大切で、練習曲はあることのための手段であって目的ではないことが忘れられてしまう悲劇は現在いたることろでおきている、と著者はしている。
 シュタルケルが著者にいった言葉が紹介されている。「私たちの年齢になると、この楽器を学ぶことはとても困難です。今まで使ったことのない筋肉を発達させ、それらを協調して動かすことを覚えなくてはならないからです。」 しかし「一方では、年齢が高いと有利な点があります。問題点をよく考えて、解決法を見つけられるからです。」 それをきいて、著者は発憤し、「年寄りの犬でも新しい芸が覚えられるという自分の直感・希望・信念」が勇気づけられ、年寄りは学べないという概念を乗り越えられれば、若い犬よりもよく学べるだろう、とチェロを続けることについて勇気づけられたのだそうである。
 とはいっても、著者がチェロをはじめたのが40歳前後のようである。そして62歳くらいで亡くなっている。わたくしの年齢になる前になくなっているわけである。やはりわたくしは「トゥー・レイト」なのだと思う。しかし年齢がいってはじめた以上、「問題点をよく考えて、解決法を見つけ」るといった方向で、時間を節約するしかないわけで、もともと理屈をこねるのが好きな性格なので、ときどき、こういった本も読んでいくことになるのだろうと思う。本を読んで楽器がうまくなるわけはなくて、所詮は畳のうえの水練なのであるが。