その16 丸谷才一氏(その2)

 
 昨日「丸谷氏は日本の文学をそれが良い方向にか悪い方向にかはまだわからないにしろ変えたひとだったのだと思う」と書いたがそれについてうまく展開できていなかったように感じるので少し補足してみる。
 いい方向に変えた部分も悪い方向に変えた部分もあると思うが、いい方向に変えることが同時に悪い方向へといかせたのではないかというような変なことがいいたいのである。いい方向というのは文学を文学青年のもの、若い時にかかる麻疹のようなものではなくしたといったことである。文学はすべての年齢のもののためにあるとしたこと、それは良い方向であった。しかし、それによって、文学というのは生きるうえでは少しも必要なものではなく、立派なものでもなんでもないことが、かえって忘却される事態になってしまったことは、悪い方向だったのではないかと感じる。
 たとえば、氏は少なくとも高名となったある時期以降、歴史的仮名遣いで書いた。新聞の原稿なども歴史的仮名遣いで通した数少ないひとであった。自分の書いた原稿の通りに活字にしないと原稿を渡さないというようなことがあって、高名な氏の原稿をとりたい新聞社では泣く泣く?原稿のまま活字にしていたのではないかと思うが、そのように自分の主張を通すことに何か意味があったのかというと、疑問なように思う。わたくしは福田恆存にいかれた人間なので、その「私の国語教室」を読めば、現代仮名遣いよりも歴史的仮名遣いのほうがはるかに合理的なことがわかるということには同意する。しかし現在の新聞に歴史的仮名遣いの文が載れば、それは書いたひとの意図を離れて、権威主義的で偉そうな態度に見えてしまうのである。書かれた内容よりも作者のふんぞり返った姿勢のほうがまず目についてしまう。つまり、文学を青年だけのものではなくしたかもしれないが、何か高尚なもの立派なものとしてしまうことによって、かえってそれを一部のもののものとしてしまったのではないかと思う。
 自分のしている仕事が立派もの高尚なものであると思えることは、それに従事するひとに満足感をあたえる。氏は仲間の文学者たちの自尊心を高めるのには大いに貢献したかもしれない。しかし、それによってかえって文学者たちの集団の自閉性を高めることにもなってしまったのではないかと思う。
 文章を書くのは考えるのとほとんど同義だから、誰でもすることである。誰でもすることを何か高級なこととしてしまうと弊害も大きい。仕事をするひとは誰でも自分の仕事にそれなりの努力をするのは当然で、文学者が文章を書くときにする苦労もそれと同じ性質のものであり特別なものではない。「ちょっと気取って書け」というのが氏の「文章読本」での文章指南の骨であった。しかし、氏はかなり気取って書いているように多くのひとには見えたのではないかと思う。