与那覇潤「中国化する日本」(9)

 
 第9章「「長い江戸時代」の終焉−混迷と迷走の平成日本
 1990年ごろに日本の「戦後」が一つの区切りをむかえたことは確かだが、何かが終わったとしても、何がはじまったのかはよくわからない。(以下、しばらく、本文が与那覇氏の本のまとめ。括弧内がわたくしの感想。)
 1989年土井たか子率いる社会党参議院選挙で圧勝した。(この社会党の末裔が福島瑞穂ひきいる社民党なのだから、栄枯盛衰は世の習いとはいえ感慨無量である。いまや日本共産党というのは何を考えているのかわからなくて、古い暖簾をまもることだけしか考えていないさびれかけた老舗という気もする。そうであるなら社会主義の正統をひきついでいるのは社民党なのかもしれないわけで、それが絶滅危惧種に近くなっているわけだから、もはや日本において社会主義志向というのは消滅したも同然ということになる。もちろんオラが地元を守る自民党のセンセイがそれを隠れて引き継いでいるのかもしれないわけだが。) 自民党が打ち出した消費税導入と牛肉・オレンジの輸入自由化への反発がその結果を生んだ。(何だか今と争点が少しも変わらない。与那覇氏のいうとおり、20年以上、日本は変わらずにいるわけである。その中でとにかくも消費税アップをしてしまった野田首相は後世から見ると画期のひとということになるのかもしれない。)
 だが社会党の勝利は社会主義の勝利であったわけでは決してなく、百姓一揆の勝利なのだった。(土井たか子は「山が動いた」とかいい、さかんに「市民との連帯」ということを言っていた。与那覇氏の言が正しいとすれば、「市民」≒「百姓の末裔」ということになる。わたくしは丸山真男の原点は軍隊で農村出身の人間に殴られたことで、そこから「ムラ社会」をなんとか「市民社会」にしなければという発想が生まれたのはないかと思っているのだが、丸山真男が夢想した「市民」もまた江戸の眠りのなかにいるということが与那覇氏のいいたいことなのかもしれない。)
 社会党参議院の多数を握られた当時の自民党小沢幹事長は公明・民社の中道2党との提携でそれを乗り切った。小沢氏はイラクでの湾岸戦争時に自衛隊派遣を検討するが果たせず、1993年に自民党を出て、新生党をつくる。その小沢氏は日本新党細川護煕氏をかついで非自民連合政権をつくる。つまり、百姓一揆(土井・社会党)は国を変えず、武家社会(自民党)の不平分子の動向が政局を動かしたわけで、「明治維新」と同じ構造である。
 またしても消費税導入をもくろんで倒れることになる細川内閣の残した最大の遺産は小選挙区制を導入したことであった。小選挙区制ではその選挙区の候補を誰にするかの公認権と政党交付金の監督権を党の中央が掌握したため、党の立場が強くなった。選挙と政党の仕組みが「封建制」から「郡県制」に変わったのである。その当時に刊行された「日本改造計画」で、小沢氏は「55年体制を解体して「普通の国」として自由市場中心の競争社会を目指す」ことを主張していた。「江戸時代」から「中国」への路線である。
 しかし社会党は「中国化」政策の一つである自衛隊の海外派遣を嫌って、政権から離れて業界からの献金といった「封建制」の旨みを失い窮地にあった自民党と手を組んだ。議席は少数の社会党の村山委員長を与党第一党の自民党が担ぐという奇妙な政権であった。これは両政党ともに「江戸時代に戻る」という点で一致していたのであっても、百姓一揆代官所が幕府維持のために連携するような、とんでもない体制であった。
 (わたくしは小沢一郎というひとが嫌いで、その話し方というか言葉つきがとにかくいやで、そこに一片の「誠」も感じられないというか、何かロボットが話しているような、人間的な感情の欠如した口吻が生理的に受け付けがたいものを感じる。最初にそれを思ったのは、まだ自民党の幹事長時代、田中派からは総裁はだせないが、誰を総裁にするかは最大派閥である田中派が決めるという体制の下、総裁選挙前に候補者を田中事務所に呼んで面接するみたいなことをしたことがあった。そのときの小沢氏の慇懃無礼な態度や感情がまったく感じられない作ったような笑い顔などとみた時である。ところで、わたくしは小沢一郎というひとは思想とか信条というようなものは持っていないひとだと思っているので、本書で「日本改造計画」でのグローバル志向から、最近の「国民の生活が第一」(要するに地域の利益が第一)への小沢氏の変化を、氏が思想を変えたように書いてあるのには違和感を感じた。「日本改造計画」というのは当時の大蔵官僚か誰かが書いたもので、それを小沢著ということにしてあるだけだと思う(根拠:テリー伊藤「お笑い 大蔵省極秘報告」)。小沢氏は思想などは持っていないが権力を操るのは好きなひとで、だからこそ表に出ず裏でまわるのだと思っている。与那覇氏は小沢氏はなぜか選挙対策だけは江戸時代的な業界ぐるみ選挙が好きだというのだが、小沢氏が本当に好きなのは選挙自体なのではないだろうか? そして裏にまわって陰謀で政治を動かすことであろうか。少数党の党首であった(しかも殿様のイメージのある)細川護煕氏を首班にかつぐなどという発想は天才的で、まるでタレーランのようだと思うのだが、どうにもタレーランの春風駘蕩はなく、暗い印象からはフーシュである。そして最近の女性知事の利用などは完全に二番煎じ、二度目は茶番として、である。一度目が悲劇であったかどうかはよくわからないが・・。)
 結局、小沢氏は民主党にいき、例によって自分は裏にまわって鳩山由紀夫をトップにかつぎ、2009年の衆院選で圧勝する。しかし、管首相が消費税増税を口走って2010年の参院選で負けてしまう。与那覇氏によれば、日本で票を握っているのはお百姓さんの末裔である民度が低い有権者たちなのだから、増税など口走ってはいけないのである。
 ころころとトップが代わる日本の政治のなかで例外的な長期政権となったのが小泉政権である。与那覇氏によれば、日本の政党は「中国党」と「江戸党」に二分されて争われるべきなのだという(それはあんまりな党名で前者に不利だろうから、「郡県党」と「封建党」でもいいが、と)。小泉政権は日本では例外的な「郡県党」なのである、と。
 小泉政権の特徴は、1)中間集団をあてにしない。団体毎に票をまとめてもらうなどという期待はもたない。2)生活以外で満足してもらう。もはやお金の分配で満足してもらうことはできないから、言葉で満足してもらう。3)支持者を限定しない。これは1)とほぼ同じ。4)道徳的に劣った存在にだけは見せない。この方のいうことなら、と思ってもらえるように注力する。5)結果よりも動機の美しさを強調する。ということなのだが、本当は小泉氏は新自由主義を意図的にめざしたかどうかもあやしいもので、田中角栄一派にいじめぬかれてきた福田派系列の人間として、とにかく田中派のやったことと正反対をいってみたら結果的にそうなったということなのではないかと与那覇氏はいう。わたくしもそう思う。(わたくしは小泉氏は割合と好きで、それは他の多くのひとと違って、正面から権力を奪取にいった人だからである。わたくしには何の野心もありません。現在の職責にひたすら邁進するばかりなどといって権力の禅譲を待つようなひとを、わたくしは嫌いといういたって単純な理由なのだが。)
 さて、小泉政権の政策は格差を拡大したといわれる。だが、その本当の原因は日本人の家族構造の変化にあると与那覇氏はいう。旧来の日本の標準的な家族構成は4人所帯で、正社員のお父さん、専業主婦のお母さんに子どもは2人というものであった。それが1993年ごろから一人所帯と二人所帯のほうが主流となって、江戸時代以来の封建制のセイフティネットであった「イエ」がついに崩壊しつつあり、若年・高齢者の単身所帯と母子家庭に貧困が際立つようになってきている。また日本の擬似「イエ」である会社は正社員以外は守ろうとしない。それが格差が目立ってきた原因なのである、と。
 与那覇氏が示す大きな日本史の流れ。平安時代までは封建制の特権に与れたのは貴族だけ。鎌倉時代に、そこに武士が加わる。江戸になるとイネの普及によって百姓の長男もそこに加わる。そこから排除された農家の次男・三男が明治維新をおこす。大正時代になると産業化のおかげで次男・三男もイエを持てるようになる。という形で維持されてきた封建制が、ついに現代になって機能しなくなっている。しかし、自民党民主党もそれに気づいていない。だから家族単位、イエ単位の「定額給付金」とか「子ども手当」という発想になってしまう。(この本は昨年末に刊行されているが、現在進行中の選挙は明らかに江戸回帰の方向のように見える。そもそも与那覇氏がそれしかもうないという中国化(郡県化)の方向を明確に示している政党はほどんどないように思う。「封建党」がその枝葉の主張の違いだけで争っている感じである。「維新」というのは「郡県党」なのだろうか?)
 
 第10章「今度こそ「中国化」する日本」
 与那覇氏が描く日本の未来である。
 ここで与那覇氏ははじめて旗幟を鮮明にして、「私は日本の「中国化」自体を、歴史の必然としてみる立場です」と宣言する。今や世界全体が「中国化」しつつある時代を、どうやって日本は生き残っていくべきなのか・・。(根本的な疑問として「歴史の必然」などというのがあるのだろうか? それを認識できるとすることこそが、ハイエクのいう「Pretence of knowledge 」なのではないだろうか、とわたくしには思えるのだが。)
 そこで与那覇氏は通常とは逆の問いを投げかける。「なぜ遅れた野蛮な地域であるはずのヨーロッパの近代の方に、法の支配や基本的人権や議会制民主主義があるのか?」 与那覇氏の答え:これらの西洋型近代社会を支えるものは、中世貴族の既得権益を下位身分のものと分け合っていく過程の中から生まれた。西洋よりはるか以前に貴族制を廃し特権貴族などいなくなっていた中国ではそのような過程が生じるはずがないのだ、と。現在でも中国人民は「民主化」よりも共産党一党支配の継続によって安定が続いていくことを望むもののほうが多いのだ、と。
 与那覇氏がいうには、近世で貴族が絶滅したという点では、日本も西欧よりは中国に近い。それならばなぜ日本もまた中国のようにならなかったのか? 「江戸時代」があったから。封建制があったから、というのが与那覇氏の答えである。既得権と生活保障の担い手としてムラやイエがあったから、と。それら集団が貴族の代わりをしたからこそ、明治以降も議会政治や社会福祉がなんとかできてきた。しかし、それは「西洋的な近代化」ではなく「再江戸時代化」だったのであるが。それならば「長い江戸時代」がおわり、貴族の不在を代替してきた集団が崩れてなくなってしまえば、あとは中国と同じということになってしまう。
 
 与那覇氏の「中国化」≒「グローバル化」≒「郡県制」という主張の最大の根拠となっているのが、世襲貴族の有無である。宋代の中国が世界でもっとも早く、それの廃止を実現した。しかし、それによって能力による民主的?な競争社会ができたわけではない。「清官三代」という有名な言葉があるくらいで、科挙に合格したものは清廉な官であっても3代は食っていけるだけの財産を在任中に築けたという。もちろん清廉でない官についてはさらなり、である。科挙に合格して「官」になったものは地域と癒着して不正を働くことがないように、短期間で異動させたらしいが、「官」の下で働く「吏」は現場のひと、現地のひとであるのだから、それが一種の貴族となっていたのではないか、というのがわたくしが感じる疑問である。「官」は国からの俸給はいたって薄いものだったらしいが、何しろ「清官三代」なのだから、それでよかったわけで、現在の中国における「太子党」などというのもその伝統の上に成立してきたものだろうと思う。「太子党」というのは明らかに「貴族」なのではないだろうか? ということは中国は「封建制」ではなく「郡県制」ではあっても、その底では貴族制は連綿として続いているのではないだろうか? 貴族制には二種類あって、自分の世襲の土地をもつ「領主貴族」と、官僚としての官名を背景とする「官僚貴族」である。イギリスのジュエントリーのような領主貴族と官僚貴族はまったく別の存在なのではないだろうか? 日本の特殊事情は、もともと武士は「一所懸命」に土地に執着する武装農民であったものが、成りあがってそこに住んでいなくても伊豆守、そんなことをしていなくても内匠頭とか官名で序列がきまった二重性にあるのではないだろうか?(実際の序列を決めたのは従五位下というような位階のほうであったらしいが。) 中国にだって日本にだって貴族に相当するものは存在した。だからそれは既得権益を持った。それならなぜ、それを下位身分のものが「俺たちにも分け前をよこせ!」という運動をはじめなかったのか、それに対する疑問は本書では答えられていないように思う。
 与那覇氏は、中国のほうが通常の体制で西欧の体制が例外的で異常なものであるという。その通りだと思う。王様がいて臣下がいる、というのが人間には一番、自然な体制なのだと思う。それは人間という動物としてはきわめて弱い種が進化の過程で生き残ってくるためには集団で行動するしか方法がなかったため、統率者のもとで集団で行動することを嘉とすることが遺伝子レベルで組み込まれているであろうからである。わたくしは西欧の最大の発明は「個人」というものだと思っていて、これはきわめて異常で不自然なものだと思っている。だからこの不自然が崩れて、「中国」という自然に戻っていくことは十分に考えられることでもあり自然なことなのだと思う。しかし、「個人」を生んだのは特権貴族の存在ではなく、キリスト教というきわめて異常な宗教だったのではないだろうか? そうであるならこれは西欧でしか生まれえないものであるはずである。
 与那覇氏がこの本を書いているのも西欧から生じた何かによってではないだろうか? わたくしがブログでたわいもないことを書いているのもまたそうだと思っている。われわれが学んできたことのほとんどは西欧由来だと思う。小説というのも音楽も西欧のものである。「源氏物語」は西欧で近代小説が発明されるはるか以前に書かれたものであるが、その登場人物は(読んではいないけれども、多分)神話的人物である。西欧の小説は平凡な個人のなかにも神話の登場人物に勝るとも劣らないドラマがあるという見方をもたらした。ベートーベンやマーラーの音楽は作曲者が自分を創造神に擬えるような誇大妄想の産物であるとは思うが、そういうものが西欧の近代をもたらした。中国においては「王侯将相寧有種也」であり、「鼓腹撃壌」なのかもしれないが、それは国民国家以前のことであり、国民国家が成立して以降の人間は小さくなる一方である。その中で、「公」におされるばかりの「私」を支えたものは、西欧由来の「個人という思想」だったと思う。それはグローバルなものでも「中国」由来のものでもなく、西欧というローカルから生じたものだと思う。その「個人という思想」が絶滅することなく、どうにか今日まで伝えられてきたことは単なる偶然であるかもしれないが、その思想は中国由来ではない。「莫春者春服既・・」ということはあっても孔子は仕官を求めて放浪したひとだった。儒教はやはり国家経営のための学問である。「千一夜物語」の文明はブルカの下に隠れてしまった。もちろんイスラム圏からみれば、現代の西洋女性の格好など頽廃の極地であろう。「個人」という思想は頽廃こみでひきうけるしかないもので、それを嫌うひとがいるのは当然であり、そもそもわれわれ(少なくともわたくし)がそれを善しとするのも、単にそのなかで生きてきたからに過ぎないのかもしれないが、われわれはもうそれを知ってしまった。禁断の木の実は食べられてしまった。
 クンデラはいう。「小説はヨーロッパの産物である・・」「ヨーロッパの生みだしたもっとも美しい幻影のひとつである、個人のかけがえのない唯一性という、あの大いなる幻影・・」
 またラシュディはいう(加藤典洋氏「ポッカリあいた心の穴を少しずつ埋めてゆくんだ」による)。「公の場でのキス、ベーコンサンド、意見の対立、最新流行のファション、文学作品、寛大さ、飲み水、世界の資源の公平な分配、映画、音楽、思想の自由、美、愛」といったささいでありふれた自由の側に立ち、大義としての自由、正義としての自由に反対する・・」「ミニスカートとダンス・パーティに味方する・・」
 わたくしはつくづくと西欧に毒されていると思う。
 よくわからないのが、与那覇氏がこの本をどのような読者を対象として想定して書いているのかということである。「江戸頭」が抜けない「えいじゃないか!」と踊るだけの「民度の低い百姓一揆の後裔」であるとも思えない。それならいまだ「江戸頭」でいる知識人の方だろうか? とにかく日本のインテリは徹底的に西洋に毒されているのだから、与那覇氏が一冊の本を書いたくらいで変わるはずもない。しかも、その知識人のかなりは西欧経由で江戸になったのではないだろうか? ケインズは本書では「江戸時代派」とされているが、それならマルクスも「江戸時代派」なのであろうか? ハイエクフリードマンが「中国派」とされているのだが、彼らは今の中国にとっては「危険な思想家」ということになるのでないだろうか?
 わたくしはこの本を橋本治氏の「橋本治という立ち止まり方」で知ったのだが、氏はこの本を読んで自分の頭の中は江戸時代だなということがわかったという。わたくしもまた同じである。橋本氏がいう日本はどうしたらいいか?は「もう少し日本国民の頭がましになって、リーダーが働きやすくなるようにする」というものである。橋本氏は、それはとんでもない理想論であるが、それをめざしてぼちぼちやっていくしかないだろうという。わたくしは学者というのはミネルヴァの梟で、後から認識することはできても、未来を示すことはできないと思っているので、もしも与那覇氏のいう通りであれば、日本は滅びるのだろうなと思う。滅びるといえばイギリスなどは本当はもう滅びているのだが過去の遺産で食いつないでいるのかもしれない。日本としてもせいぜい滅びる前に食いつぶせる財産をどれだけ蓄えておけるかが大事ということかもしれない。そういう観点からすれば江戸時代というのは相当に使いでのある財産ということになるかもしれないし、明治以来の西洋受容というのもまた相当大きな財産かもしれないと思う。だから本書は与那覇氏の目的とは違って、未来にどう対応するかではなく、過去をどう理解するかという点においてより有効な本であるかもしれないと思う。
 

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