片山杜秀「国の死に方」
新潮新書 2012年12月
片山氏の本は「未完のファシズム」がとても面白かったのだが、それは東日本大震災以前に書かれたもので、この「国の死に方」は、震災の後、このままでは国が滅ぶのではないかという危機感のもとに書き始めたものらしい。それでこういうタイトルとなっている。
「未完のファシズム」では、戦前の軍国主義といわれた時代の体制は、実はファシズムどころか、権力が分散していて独裁などとはほど遠いものであったことを指摘したものであった。
本書もまたそれの延長のうえにあるのだが、その基本は、近代は専門化と分化の時代であるということで、軍事、外交、財政、科学といったそれぞれの分野にすべて通暁したトップなどはありえないから、そもそも独裁ということは不可能であるという視点である。しかし、平時はそれでいいとしても、非常時にはそれでは困る。東日本大震災は非常時であった。しかし、日本という国は非常時の対応をまったく想定していない。だからあの混乱が生じた。それは何故かということを歴史的に考察しようというのが本書の方向である。
日本という国の病理は、明治という国家の構想のなかにひそんでいるというのが片山氏の主張である。明治憲法体制は権力の分散を徹底的に追及したのだと、氏はいう。行政には内閣と枢密院、立法には貴族院と衆議院、軍部は陸軍と海軍、それらは対立して相互に牽制して共通の目的を持たなかった。その上にあるのはただ天皇だけであり、国家の建前は天皇親政である。
しかし、もし本当に天皇親政であれば、おきたことはすべて天皇の責任となる。そうなれば現人神が現人神でなくなる。だから天皇親政が実際にはできないのであれば、それぞれ分裂した組織がそれでも阿吽の呼吸で何とか協調していく、それしかない、それが明治国家であったのだ、と。
そんな体制がそれでも何とかもったのは「元老」が実際にはことを決めていたからである。元老という制度は憲法の中にはどこにも記されていない超法規のものである。その超法規のひとたちがいなくなれば、何も決定できない体制だけが残る。元老という生身の人間がいなくなればそれで終わりである。元老が次々といなくなっていく過程で、一時的にそれの代りとなることが期待されたのが政党である。それが崩壊してしまえば、もう何も決められないことになる。支邦事変がどうなるか、だれにもわからなかった。どこにも集中して情報が集まるところがないのだから、だれにもわかるわけがなかった。
大政翼賛会はそれを打破しようとするものであった。しかし、その体制は天皇の大権を踏みにじるのはないかという批判に近衛は躊躇した。それで相変わらずの何も決められない体制が続いた。本土決戦が叫ばれていた1945年、決戦に展望があるのか、判断できる情報をもっているものは誰もいなかった。明治憲法に非常時の想定がなかったからである。
それを歴史的に考察するとどうなるのか? 鎌倉幕府のトップは将軍だったか? 権力はすぐに執権へと移り、さらに内管領へと下がっていった。室町幕府も同じで、すぐに管領へと下がり、さらに執事といった人間へと下がっていった。権力は低いほうに流れるという傾向を持つ。平時には行政の事務が増大する一方なので、下で裁量できることは下に下にと委任されていくことになる。
江戸幕府はその轍を踏まないようにしようとした。老中も若年寄も制度的には規定がないものである。政治をある程度は任せるが、多くの正式の職制ではない人々を競わせることによって、権力の集中がおこらないようにした。だからそれは鎌倉幕府や室町幕府よりは長持ちした。しかし、攘夷か開国かというような事態になると何も決められなかった。
明治政府も、その江戸の行き方を踏襲したというのが片山氏の見解である。老中や若年寄に相当するものが元老なのである。しかし明治から大正昭和にかけて国家はどんどんと複雑化していく。とても元老的な存在で対応できる状況ではなくなっていった。
それを打開できる方向があるのか? ある、それがファシズムなのである、と片山氏はいう。その手法は専門化を極度に推し進めてそれぞれが何をしているのかが分からなくなる状況を作り、それに乗じてやりたいことをやるというものである。だから、それは本来は長続きするはずはない体制である。しかし一時的には独裁的なことが可能になる。ヒトラー政権のドイツがそうであったのだという。あるいはスターリン時代のソ連がそうだったという。自分一代だけ権力がふるえればいい。あとはどうなっても構わない、そう思うなら、それが可能なのである、と。
というような流れを読んできて、どうしても疑問となるのが明治国家における天皇の位置である。江戸幕府は徳川家康が作った政権である。それなら、明治国家を作り上げたのは元老たちであって、明治天皇ではない。明治天皇はただ担がれただけである。だから、江戸時代の老中などに相当するのが元老であるという説明は説得性がない。江戸の時代であれば、日本のことだけを考えていればよかった。しかし明治は「開国」したのであり、対外戦争を想定する体制である。対外戦争をおこなうための国民国家的統一には、自分たち下級武士出身の人間の権威では到底足りない。そこで天皇を担いだ、そうわたくしは思っている。
そもそも幕末から明治にかけて、後に元老と呼ばれるようになった人たちが今日われわれが知っているような明治国家のようなものを構想していたのかは大いに疑問があるのではないだろうか? とにかく権力を奪取すること、それが目的で、それからのことは後になって個々の事態に対応していく過程で場当たり的にできてきたのではないだろうか? 元老たちは自分たちこそが国家の第一人者であると思っていて、憲法も議会も対外的に必要な鹿鳴館的な飾りとして作った意識だったのではないだろうか? 問題は国民に国家意識を持たせるために作った作文が独り歩きをはじめてしまったことで、密教としては「天皇はお飾り」であるにもかかわらず、顕教としての「天皇は神聖にしておかすべからず」が絶対的で反対できないものとなっていってしまったということなのではないだろうか? 明治の元勲たちは、天皇を神聖であるなどとは、まったく思っていなかったはずである。
そもそもの問題は、平安時代の藤原氏も鎌倉幕府も室町幕府も江戸幕府もどの時代も天皇自体を廃して、自分が名実ともに権力者となることを目指さなかった点で、これが日本の歴史の最大の問題であるはずである。鎌倉以降も権力者は征夷大将軍だったりして、形式的には、公家の臣下であり続けた。執権も管領もその系である。明治憲法は、その条文だけみれば、長らく日本の歴史の実際であった形式的なトップしての天皇ではなく、本当の権威としての天皇と読めるようになっている、それが最大の問題なのではないだろうか?
司馬遼太郎は統帥権ということが鍵だったという。しかし、統帥権ということが罷り通ったのも、2・26事件の磯部浅一のように天皇親政ということを文字通りに信じたひとたちが多数いたからこそである。そして磯部たちは天皇の名において処罰された。天皇自身が天皇親政などということを少しも信じていなかった。
本書にもあるように2・26事件の背景には農村の困窮、特に東北の農村の困窮ということがある。農村の困窮は日本の近代化・都市化への志向から生じているとするのが皇道派の基本的な認識であった。
明治の元勲たちは明確なヴィジョンはもっていなかったとしても、日本が「近代化」していくことの必要性ははっきりと認識していた。そして天皇もまた「近代化」路線のなかにいた。
近代化のための方便として天皇制はあったのだが、皇道派は「反・近代」の路線にいたわけである。司馬遼太郎が明治を愛するのは明治のひとたちが合理主義者であったからなのだと思う。そこには神がかったもの、狂信的なものがない。だが昭和は神がかってしまう。司馬遼太郎はとにかく神がかったもの、ファナティックなものがいやなひとだったのだと思う。ファナティックなひとたちには論理が通用しない。「問答無用」である。
片山氏がいうように昭和前期の日本の体制は、ファシズムどころではなく、絶対権力はどこにも存在せず、てんでんばらばらでどこにも情報は集約されず、だれにも本当のことがわからなくなっていたのであろう。しかし、それにもかかわらず「ファナティックな空気」は存在したのである。それを生んだのは明治以降の近代化の流れへの嫌悪といったものだったのではないだろうか?
戦争に負けて、憑き物が落ちて、合理主義どころかひたすら実利追及に走り出した。それがうまくいっていたうちはまだよかったが、行き詰るとまたまた亡霊がでてくるのかもしれない。反=グローバリズムといわれる主張の根底には反=近代、反=西欧という空気が濃厚に漂っているように思う。
終戦の過程で「国体の護持」ということが最大の問題となった。しかし「国体」というのがわからない。普通は天皇制のこととされるであろうが、もともと密教のなかでは天皇制は国家統合のための一つの手段にすぎない。元老たちは自分たちが実際には国家をとりしきっていこうとしていたのであり、自分たちの死後も、そのような寡頭体制あるいは賢人政治のような体制、要するに反=民主主義的な体制を維持していこうとした、それが国体なのではなかったのだろうか? 議会制などというのは所詮は衆愚制なのであり、国民などには任せてはおけぬ。とにもかくにも形式的にでも天皇制というものが維持できれば、少数のものが実際には国家を運営していく体制を構築する余地はある。国体の護持というのはそういうことだったのではないだろうか?
日本にどこにも本当に責任をとるものがおらず、分散された個々の専門家がそれぞれの領域でなにごとかをしているだけなのは、戦前からの寡頭政治、賢人政治の追及の後遺症であって、江戸の年寄制度の遺産などということとは違うのではないかとわたくしは感じる。それでこの本の片山氏の主張には基本的なところで違和を感じた。
もとより片山氏は専門家である。わたくしのような一介の素人の感想は穴だらけであろう。「未完のファシズム」において片山氏には余裕があった。楽しんで書いている印象があった。しかしこの「国の死に方」はどこかファナティックな感じがする。それがこの本にわたくしが違和を感じることの根っこにあるものかもしれない。だから、ここで書いた論は、その違和感から相当に強引な論になってしまっているような気もしている。
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