D・カーネマン「ファスト&スロー」(7)第17章 平均への回帰

 
 この章は医療の臨床の問題と直結していると思うので、単独で取り上げることにする。
 いわれているのは「2種類の計測値の相関が完全でない場合には必ず平均回帰が起きる」ということである。これだけだとなんだかよくわからないが、カーネマンが好きな公式、「成功=才能+幸運」、「大成功=少しだけ多くの才能+たくさんの幸運」から導かれるように、われわれが日常に遭遇することのほとんどには運がかかわっている。うまくいった場合、運が加味しているから、次にやるときには運の量が減り平均的な数字に落ち着くということである。AというゴルファーがBというゴルファーよりも才能があれば、平均すればAのスコアはBのスコアよりもよい。しかし、Aがある大会で初日トップにたったとすれば、それは才能の寄与よりも幸運の寄与の方がより大きい。だから二日目にはAのスコアは、初日よりも悪くなる可能性が高い。
 飛行機操縦の訓練において、うまくいったあとには悪くなる可能性が高く、失敗した後にはうまくいく可能性が高い。それは幸運のランダム分布を見ているだけである場合がほとんである。さてうまくいった後には誉め、失敗の後には叱るとすると、誉めることはかえって次回の成績不良につながり、叱ることで成績の改善がはかれるように見える。われわれは常に因果関係を探しているから、そうすると、訓練においては甘やかしてはならず、叱る効果が大きいように見えてしまう。
 「うつ状態に陥った子供たちに、エネルギー飲料を飲んでもらったときに、3ヶ月で症状が劇的によくなった」という事実があったとする。うつが改善したのは、エネルギー飲料投与のためなのだろうか。うつは3ヶ月もすれば、何もしなくてもかなりは改善するかもしれない。つまり、このような主張はコントロール群をもっていない。
 単なる相関関係を因果関係を取り違えるミスは素人ばかりでなく、学者でもしばしば犯している。あることをするとこうなったということがあると、われわれはそれをすぐに因果関係と思ってしまう抜きがたい性行を持っている。
 
 日常臨床で患者さんにおきることのかなりは平均からの逸脱である。だとすれば、時間がたてば平均へとまた戻るはずである。そうであれば、A:ある薬を与えた。B:しばらくするとよくなった。ということがあった場、それが意味することは決して、薬を投与したから治ったではない。薬の服用とは関係なく治っていたが、幸い薬の副作用もなかった、ということかもしれない。だから本来は、何も治療をしない群と、治療をした群のあいだで差があるかということを検討しないかぎり、投薬の効果については何もいえない。しかもわれわれは治療をしてもらったという気持ちが少なからず治癒過程に影響するから、本当はダブル・ブラインドで効果を判定しなくはいけないことになる。
 臨床の場では「平均への回帰」という言い方はしない。ホメオスターシスへの復帰というような言い方をする。生物の身体は一定範囲の状態に保たれるようになっていて、それから逸脱した状態が病気ということになるかもしれないが、生物には自然治癒力が備わっていて、大概の場合はそれによってまた以前の安定した状態に戻る。これは平均への回帰とは異なるものであろうが、見かけはほとんど同じである。たまたま病気という運の悪い状態になったが、いずれまた運のいい状態がきて、ホメオスターシスという平均に戻る。
 最近、柔道の体罰の是非ということが話題になっているが、体罰信奉者は、へまをやった人間に体罰を加えたら、その後によくなったという体験をしているのであろう。カーネマンがいうように、単なる平均への回帰を体罰の有効性と思い込んでいるのかもしれない。体罰を加えた場合とそうでない場合について統計をとってその差をみるようなことをしているはずもない。
 われわれの経験することは、ほとんどが平均からの逸脱と、また平均への回帰で説明できるのかもしれないが、平均からの逸脱時になにかすると、それをしたことが平均への回帰を促したように思えてしまう。われわれは因果関係を探す動物なのである。