今日入手した本

 久坂部氏の本は以前「日本人の死に時」を読んだことがある。氏はお医者さん兼小説家(かつ大学の先生もしているらしい)である。医者だけではなく他にも草鞋をはく人は、医療について中心からは外れた見解をもつ場合が多い。氏が本書でいっているのも、医療についていわれていることの多くは幻想であり、そのようなありもしないことを信じていると碌なことはないぞということのようである。氏の出自が外科、わたくしは内科という違いはあるが、わたくしもまた中心から外れていると思っているので、氏がここで述べていることについては大筋では首肯できるように思う。しかし、いくら氏が医療の多くが幻想であることを指摘しても医療の現場が変わることは期待できないのではないかと感じる。医療というのが現在ある苦痛に対応するというだけのものであれば簡単なのだが、自己の死が未来にあることを知る動物である人間であるからこそ必要とされる行為なのであるとしたら、単純にはいかない。
 また、たとえば、氏がヒアルロン酸やグルコサミンなどのサプリメントのCMを見るたびに、こめかみに脂汗がにじむほどの憤りを感じる、などと書いているのを見ると、ちょっと違うところもあることも感じる。わたくしはサプリメントについて聞かれたら、「まあ、害にはならないと思いますが、それだけのお金を出す価値があるのかどうかは疑問だと思いますね」と答えるようにしいている。サプリメントというのは結構、高いものらしい。サプリメントというのはまず何も効果はないであろうが、そんなことをいえばわれわれもしている医療行為の大半だって何の意味もないであろう。もちろんプラセボ効果はあると思う。それならサプリメントにもプラセボ効果はあるであろう。
 それと氏がここで述べていることは60歳前である氏の現在の医療観であって、若い時には別の見方を持っていたであろうと思うし、氏が80歳になった時にはまた別の見解を持っていることもあり得るのではないかと思う。乏しい経験を一般化することはできないが、尊厳死協会に入っていて、過剰な医療を拒否する書面にサインしていたひとが、実際に病気で入院してくると「できる治療は何でもしてくれ」というようになるケースを2例くらい経験している。尊厳死について元気な時に理念的に考えていたことと、自分が病気になってみて思うことは違って当然なのだろうと思う。
 わたくしも久坂部氏と同じく、ろくに検診もうけていないし(胃の検査は30年くらい前に一度だけバリウム検査をしただけだし、便の潜血反応も一度も出したことがない)、癌は死ねるいい病気だと思っているけれども、いざ自分が癌になったら、どんな風に感じるか見当もつかない。
 それとここで日本人の特有な反応のようにいわれていることの相当は世界共通のことで、日本だけの現象ではないのではと感じた。
 いづれ、もう少し詳しい感想を書くかもしれない。