今日入手した本

昨日までの世界(上)―文明の源流と人類の未来

昨日までの世界(上)―文明の源流と人類の未来

 「現代文明社会」を少し前のニューギニアなどの(ここでの言い方での)「伝統的社会」と比較することによって、現代文明社会の持つ問題点を考察しようというものらしい。高齢者の問題、宗教の問題、健康の問題などわたくしにとって関わりのある問題が多く論じられているようなので買ってきた。まだちらっとしか見ていないが、かなり微温的というか常識的な内容であるような気がする。
 
日本人のための世界史入門 (新潮新書)

日本人のための世界史入門 (新潮新書)

 東京駅の丸善にいったら、新書の1位のところに置いてあった。売れているらしい。
 これもまだほとんど読んでいないのだが、序言の「歴史とは偶然の産物である」で、J・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」を論じて、ダイアモンドが「偶然」という要素への意識が乏しい、としているのが解せない気がした。最近でた「知の逆転」で吉成真由美氏は「銃・病原菌・鉄」を「西洋の覇権が、民族の能力の違いによるものではなく、単なる地理的な有利性の結果に過ぎないことを喝破してみせた」本である、と要約している。ダイアモンド自身にも「この本の中であなたは、西欧の成功というものは、いくつかの幸運な地理的条件が偶然重なったから成り立った」ということをいっているとしていて、ダイアモンドもそれを受け入れている。わたくしも吉成氏の見解に与する。偶然という言葉の使い方の問題なのかもしれないが・・。
 それと、ダーウィンの進化論での「適者生存」を論じて、「首の長いキリンのほうが首の短いキリンより環境に適しているという説明も、ある種が別の種に変わるのが進化なのだから、整合性があるとはいえないし、種の変化は突然変異によるのだろうから、それだとまるでネオラマルキズム、つまり獲得形質の遺伝になる」というのもよくわからない。ダーウィンのした最大の貢献は、獲得形質の遺伝を否定したことにあるのだと思う。もしも、獲得形質が遺伝するのであれば、われわれはなりたいものになっていく。しかし、突然変異による変化はランダムであって、そうであれば、われわれが将来どんな生き物をさらに生んでいくかはまったくわからない。それがポパーのいう「未来は開かれている」ということなのだと思う。ポパーが主著の「客観的知識」に「進化論的アプローチ」という副題をつけるのもそういう含意だと思う。わたくしも「歴史とは偶然の産物である」と思うが、それはダーウィン進化論を受け入れることとほとんどパラレルだと思っている。
 
知の逆転 (NHK出版新書)

知の逆転 (NHK出版新書)

客観的知識―進化論的アプローチ

客観的知識―進化論的アプローチ