新聞の社説

 今週号の「週刊文春」の宮崎哲哉氏の「時々砲弾」にこんなことが書いてあった。新聞の社説が世論に直接影響することを期待できないことはさすがの新聞社も認めるようになってきているのだそうである。しかし、その社説はテレビのコメンテーターには大きな影響をし、テレビのワイドショウでコメンテーターのいうことは世論に相当の影響を与えるから、結果として社説は世論に影響をあたえているというようなことを、(少なくとも朝日)新聞では思っているというのである。
 テレビのワイドショウにでてくるコメンテーターというのは自分の見解などは持ち合わせていないような頭の空っぽな人間がほとんどである。そんな人でもコメントをもとめられたら何かをいわなくてはならない。それで新聞の社説を読んであたかも自分の見解であるかのごとくにしゃべる。テレビをみているひとも頭が空っぽだからテレビで偉そうな顔をしてしゃべっていたひとの言っていることを鵜呑みにする。結果として、新聞の社説は世論に大きな影響をあたえることができる、というような論理らしい。
 新聞の社説というのは誰にむかって何のために書かかれているのが長らく疑問であったのだが、その一端が氷解した。「アメリカ政府は直ちに、○○への介入を中止すべきである」などと書いても、それを読んでアメリカ政府が態度を変えるなどということは絶対にないのだから、書くだけ無駄、書いているひとの自己満足、自分は正義の味方という自己肯定、ただそのための手段として公器を使っているとすれば、とんでもない話で、「いやだ、いやだ、だからインテリは嫌いだ!」と思っていたのだが、それが世論を動かしているのだと信じているのだとしたら、本当にインテリというのは度しがたいと思う。
 遠くない将来に新聞というメディアは消失していく可能性が高いと思うが、そうなったら、テレビのコメンテーターは何もいうことがなくなるのだろうか? そうなってテレビからワイドショウがなくなり、さらにはテレビというもの自体もいずれ世の中から消えていけば、こんな嬉しいことはないのだが・・。