記事千回

 
 気がついてみたら、ブログの記録によれば、記事を書いた回数が千回を超えていた。1年半前くらいに、その前のホームページの開始から10年をこえた。塵がつもって塵の山ができてきているのかもしれない。
 ここの記事の前半の5年分くらいは以前つくっていたホームページから移植したものだが、そのHPは5年くらいやっていてアクセスは7万弱だった。
 こういうブログをなぜ続けているのかといえば、当然、自己顕示欲ということがあると思うが、当初ホームページをはじめた当時は、今とは検索エンジンの能力がまったく違っていて、自分が書いた記事を見ず知らずのひとが見てくれる可能性などというのはほとんど考えられなかった。HPは野口悠紀雄氏の「ホームページにオフィスを作る」にそそのかされてはじめたのだが、野口氏の本の趣旨は、ホームページは自分のためというもので、他人が見てくれることを期待するな、自分が出先で調べたいことができたりしたときに参照できる資料がインターネット上にあることが意味があるので、自分専用のオフィスをネット上につくれ、あるいはある本をひとに説明する必要ができたとき、自分のHPのここにまとめがあるから見てくれ、という使い方をすればいいというものであった。
 ブログをはじめたのは梅田望夫氏の「ウェブ進化論」を読んだからなのだが、そのころから自分が書いたものをまったく知らないひとが読んでくれる可能性を少しは意識するようになった。
 それで、自分が書いているブログに少しはテーマめいたものがあるのだろうかと考えてみる。一つは自分が昭和22年の生まれであるということだろうか? 昭和22年は明治維新から約80年である。戦前の昭和を知らない戦後の世代であるが、明治から敗戦までが明治以降の前半、敗戦から後が明治以降の後半という感じがわたくしにはあって、自分が生きてきた時代を準備したものはその前半部分である、明治の時代における西欧受容であると思っているので、そのことを考えてみたいということがあるように思う。
 もう一つが、東大紛争(闘争)を経験したことである。これとマルクス主義とのかかわりということがずっと念頭にある。ソヴィエト連邦ができたのが1917年、消滅したのが1991年であるから約75年の命であり、ほとんどわたくしのいままでの人生とかわらないくらいであるのは考えさせるものがある。わたくしが生まれたときには、まだソヴィエトは30歳である。東大紛争(闘争)は1968年からであり、その当時ソヴィエトという国があと20年ちょっとで地上から消滅すると思っていたひとはほとんどいなかったであろう。当時はヴェトナム戦争の時代であり、何よりも「革命」という言葉が、まだ輝きをもっていた。アメリカ帝国主義は追い詰められており、社会主義陣営の包囲網に取り囲まれて、断末魔の時を迎えようとしていると信じているものも多かった。
 東大紛争(闘争)は医学部の研修問題に端を発したわけで、研修問題とマルクス主義が関係があるはずもないが、その当時は、世の中にあるすべての矛盾や問題は資本主義という制度が生んでいるのであるから、その制度が変わらない限りは矛盾や問題の解決はないという信憑はきわめて広く流布していた。その見方に従えば、研修問題だって資本主義と関係ないことはないことになる(なぜ、無給医局員制度といったものが存在するか、それは米帝国主義に追従する日本政府が米帝国主義に協力するために若年医師からの収奪を必要としているからである・・)。この世にある悪は社会制度を変えることによりはじめて消滅するのであり、現在の制度が続く限り悲惨が続くという見方である。
 そのころわたくしがそれについてどう考えていたのかというと、よくわからなかった。ただ、中学時代から軟弱な文学青年だったので、そういう「社会を変えれば人間も変わる」という見方にどうしても納得できないものを感じていた。人間ってもう少しと度しがたいものではないかと感じていた。それにそういう政治的(?)主張をしているひとに何となく生理的にいやなものを感じていた。何だか偉そうで威張っているのである。東大紛争(闘争)のはじまる前に、たまたま福田恆存に出会ってすっかりいかれていた。氏によれば「進歩的文化人」というのは自分がみんなの前で威張りたいから偉そうにしたいからあのようなことを言っているのであって、人々のことなど実は何も考えていないというのである。目から鱗であった。それでそういう目でみると「闘争」に参加しているひとは、自分が良き人であると思えるようになるためにそうしているのであって、何よりも考えているのは自分のことなのではないかと思えてきた。それで徹底的に傍観者として過ごすことになった。
 後から考えると、マルクス主義というのも明治期以降日本に入ってきたある一時期の一部の西欧の思考体系の産物であると思えてきた。そうすると結局、明治以降に受容した西欧というのが何だったのということを考えるというのがわ、たくしにとっての一番のモチーフなのかなと思う。
 わたくしが医療という職業を選んだのは偶然であるけれども、われわれのおこなっている医療は西洋医学である。そしてそれは傍系であっても科学につらなるものであり、科学は西洋の産物である。科学というのが西洋の中でどういう位置にあるのかということをどうしても考えざるをえない。
 またいつからかクラシック音楽にも親しむようになり、これまた西洋の産物である。ベートーベンの第九交響曲とかマーラーの「千人の交響曲」などというのは誇大妄想の産物としか思えないが、こういうものはどこかでマルクス主義を産む土壌ともつながっているようにも思う。ロマン主義という尻尾はわたくしの中にも濃厚にあることを自覚している。そういうものは毒ですよと、頭では思うのだが、体が美味しい美味しいというのである。どうもモツアルトなどでは淡泊すぎて、ブラームスのほうが美味しいのである。本当はマーラーだって嫌いではなくて、ショスタコーヴィッチだっていいのである。ベートーベン後期のピアノソナタ弦楽四重奏は本当はロマン主義の頂点なのかもしれない。
 去年の6月からチェロをはじめて面白くて仕方がない。65歳ではじめてものになるわけはないのだが、ごく簡単な旋律(ピアノで弾いたらなんということはないメロディー)でも弾けると嬉しいし、開放弦を弾いて少しチェロらしい音がすると喜びである。何時間やっていても厭きない(ただ指が痛くなって物理的に続けられなくなるが)。そんなことで、最近、本を読める時間が少なくなり、ブログの更新が少し停滞している。しかし、こちらとしてはチェロも西洋研究の一環のつもりである。
 ということで、西洋研究を課題として、もう少しブログを続けていきたい。PVというのも本当には何だかはよくわかっていないのだが、現在90万を超えたので、今のペースではあと一年くらいのうちには100万を超えるかもしれない。全然、見てくれるひとを期待しないではじめたものが、結構なひとに見ていただける時代になった。10年で時代は変わる。もう10年するとどうなっているのだろうか?
 

ホームページにオフィスを作る (光文社新書)

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ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

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