東谷暁「経済学者の栄光と敗北」(3)サミュエルソン・ガルブレイズ・ミンスキー
サミュエルソン
「サミュエルソンという名前を聞くと、いま60歳以上の熟年は彼の教科書「経済学」を思い出すといわれている」のだそうである。現在66歳のわたくしにはその通りである。「皆が皆、サミュエルソンの教科書を読んだわけではない。当時は、まだマルクス経済学を真剣に学んだ学生も多かった」というのも本当である。
サミュエルソンの「経済学」はケインズ経済学を教科書化したものという理解が一般的であるが、売れた理由は、最初の戦後的教科書だったというのが大きいのだそうである。ケインズの「一般理論」を教科書として読むものはいないだろうと思うが、それにくらべてわたくしの記憶でも、サミュエルソンの「経済学」はいかにも教科書という書き方であった。この本が、経済学をやるには数学が必須という強迫観念を読者にあたえ、多くの経済学嫌いを生んだのも事実であろう。わたくしもその一人である。
サミュエルソンの出世作は「経済分析の基礎」という本なのだそうだが、これはケインズ経済学の立場の本ではなく、新古典派経済学の基礎を「主観的な要素を排し」て「数学化を徹底する」ことを試みたもので、「経済学に科学の資格を与える」ことを目指したものなのだという。
サミュエルソンによれば、ケインズの「一般理論」はアメリカにおいて、「南海島民の孤立した種族を襲ってこれをほとんど全滅させた疫病」のごとき猛威をふるったのだそうであるが、サミュエルソンはまず数学化の手法を確立し、それをケインズ経済学に応用したのが、教科書「経済学」であったということらしい。
教科書的ということは、主観的な記載を排して数学的記述とするということであって、それが「科学的」につながるのであるが、そのような蒸留過程で、本来は人間の活動であるはずの経済の分析から人間が消えていってしまうという奇妙な感じが、一部の人間にサミュエルソン流の「経済学」教科書になんともなじめない感じをあたえるのであろう。わたくしもサミュエルソン以後も何回か経済学に再トライしたようで、いまも本棚をみると「マンキュー経済学」というのがあった。サミュエルソンのものと大同小異の書き方がしてあったように記憶している。
ケインズは完全雇用は自動的に達成されることはないことを指摘し、そのために「見える手」である政府の介入が必要であることを示した点が画期的なのであったというのが、サミュエルソンのケインズ理解の根幹であったと、東谷氏はいう。とすれば、不完全雇用が続くあいだはケインズ経済学、完全雇用がほぼ達成されたら古典派(新古典派)経済学でいけばいいことになる(サミュエルソンのいう「新古典派総合」)。サミュエルソンは、新古典派経済学をミクロ経済学、ケインズ経済学をマクロ経済学としてまとめあげた。
東谷氏の批判は、その過程で、ケインズのもう一つの大きな論点であった「不確実性」の問題が消えていってしまったということである。サミュエルソンは自分の方法を「比較静学」と呼ぶのだそうであるが、まさに静学であってダイナミックなもの(つまり人間的なもの)を欠くのだということである。
ケインズ理論を失墜させたのは1970年代なかばの「スタフグレーション」であると一般に理解されている。フィリップス曲線と呼ばれるインフレと失業のトレードオフの関係が消失した。サミュエルソンによれば、経済学は価値の問題にはかかわらないから、インフレをとるか失業をとるかは政策判断の問題であって、経済学という学が決める問題ではないことになる。しかし、経済学を過度に科学たらしめようとするサミュエルソンの姿勢自体が問題なのであると、東谷氏はしている。
ガルブレイズ
その「ゆたかな社会」は読んだような気がするが、内容はまったく覚えていない。それで東谷氏の紹介を参照すれば、われわれは豊かになったかもしれないが豊かにはなっていないというようなことをいった本であったようである。
物資は溢れかえり消費が加速されながら、富の偏在が少しも解消されていない、と。松原隆一郎氏の「経済学の名著30」によれば、(新)古典派経済学では独立した小企業が競争状態にあることを想定しているが、実際には大企業による寡占へと資本主義は変貌しており、大企業がさまざまな経済のバランスを破壊していることを、ガルブレイスは問題にしたのだという。
大企業支配に対抗するものとしてガルブレイスが提唱したのが財政政策を通じた福祉国家化なのだ、と。また、ヴェブレンは有閑階級の見せびらかしの消費を重視したが、ガルブレイスは「依存効果」(宣伝や広告によって誘発される消費)に着目したのだ、と。
ガルブレイスの「新しい産業国家」も「不確実性の時代」も名前は覚えているが、読んだかどうかの記憶もはっきりしない(買ったけれど読まなかったのかもしれない)。ガルブレイスのような公共性を重視する立場は1980年代以降の新自由主義がさかんになると、少数派となっていった、と東谷氏はいう。
1990年刊行の「バブルの物語」はよく覚えている。チューリップ・バブルなどというのも初めて知った。とにかく人間というのは何とおろかであり、なんと同じ間違いを何度もくりかえす存在なのでろうかということを、読後、強く感じた。
ミンスキー
このひとは知らないひとだったが、東谷氏によれば、ケインズの「不確実性」の部分を継承したひとで、いち早く、アメリカ経済は金融崩壊の脅威が近づいていることを警告していたひなのだそうである。リーマン・ショック以来、再評価されることになったらしい。
ミンスキーによれば、(これはつとにケインズが指摘していたことであるのだが)金融をふくむ限り、資本主義は不安定でありつづけるし、総需要不足は一時的なものではなく、恒常的なものでありうる。ミンスキーは中央銀行の役割への批判者でもあり、中央銀行が経済の安定を目指そうとすると、それがリスクの高い投資へと人々をむかわせ、かえって不安定さを増殖させるとしたのだという。
そのモデルでは、信用サイクルは、発端→ブーム→熱狂→利益獲得→パニックの段階を繰り返していくことになるだそうである。発端は投資家が興奮するようなものであればなんでもよく、インターネットで世界は変わると信じられるようになるとか、戦争が勃発するとか、政策の大きな転換があったと思われるとか・・なんでもありなのだそうである。とすれば、最近の経済の変動(変調?)はアベノミクスとはいわれる、何らか政策の大きな転換があったと多くのひとが思うようになったのが発端なのかもしれない。あるいはもうパニックの段階に至っているのであろか?
ここで東谷氏がとりあげている3人は、「アメリカにおけるケインズ主義者たち」としてまとめられている。ケインズ主義というのをどうみるかが問題であろうが、広い意味での反=自由放任、政府の介入の肯定(ミンスキーは微妙であるが)の立場かもしれない。このあととりあげられるフリードマンたちと対照的な立場というほうがわかりがいいのかもしれない。
ケインズは「経済学者たちは、四つ折り版の栄誉をひとりアダム・スミスだけに任せなければならない。その日の出来事をつかみとり、パンフレットを風に吹き飛ばし、つねに時間の相の下にものを書いて、たとえ不朽の名声に達することがあるにしても、それは偶然によるものでなければならない」といっているのだそうである。
「一般理論」も30年代恐慌へのとりあえずの処方箋として書かれたパンフレットということである。しかし、それを「一般理論」などというところがミソで、とりあえずの提言などといっては誰も信用してくれない。そして人々を信用させるには科学の装いをとることが手っ取り早く、数学の化粧をさせたサミュエルソンが経済学の科学化に先鞭をとったということとなのであろうが、もともとは時代にあわせたパンフレットなのであるから、時代が変われば合わなくなるところがでてくるのも当然で、その有効期限、賞味期限がすぎることはありうる。
しかし一時期には超有名で、「疫病のごとくの猛威をふるった」のであるから、その説のなかから現代にも通じるところを探し出してきて、ケインズという権威を借りてそれを主張するというやりかたも当然ありうる。
マルクスも(本人にはその気はまったくなく、永遠の真理を発見したと思ったのであるにしても、実際は)ある地域のある時期には有効であったパンフレットを書いたのであったのかしれない。が、一時期あれだけの盛名を得たひとなのであるから、その著作から、真理と称するものをとりだした、あるいは再発見したというようなことをいうひとが多くでてくるのもまた当然である。
ケインズの場合も、そこから現在にも通用する処方箋をとりだすことはいくらでもできるのかもしれない。しかし、それはケインズの著作がなければ析出できないものであったのか、時流に対するパンフレットの権威づけにケインズの名前をただ利用しているのか、そこが微妙なところである。
現在のリフレ派といわれるようなひとも、自分の説は、今現在の経済状態に対する当面の対策としては有効であるとして提言をしているのか、永遠の相のもとでも、自分たちの主張は正しいと信じているのか、それがよくわかららないところである。
デフレに対する一般的処方箋として有効であると思っているように見えるが、そうであるなら、リフレ派のひとたちもまた科学としての経済学、永遠の真理としての経済学があると信じているのであろう。インフレとかデフレというのは貨幣のないところでは生じようがないとすれば、貨幣経済下での真理ということになるのだろうか?
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