J・グループマン&P・ハーツバンド「決められない患者たち」(2)

 
 甲状腺機能亢進症の治療:
 ある患者は上記の診断を受け、放射性ヨードでの治療を勧められた。一回薬を飲めば治療は終わりで、あとは補充のホルモン剤をのむだけ。他にも抗甲状腺剤、外科治療があるがこれが一番いい、と。彼は19歳で糖尿病を発症し、いまだに治療をしている経験から、糖尿病の治療についてもインスリンを使うか否か、どのような薬を使うべきか、血糖値をどの程度に保つべきかについても専門家の間でも意見が一致していないことを知った。自分で調べると、3つの甲状腺の治療法の成績は同等であることがわかった。そうであれば医者は自分の好みを患者におしつけるわけである。
 甲状腺機能亢進症の治療法の選択は国によってまったく異なる。米国では三分のニが放射線治療を選ぶ。それがヨーロッパでは22%、日本では11%である。米国以外では抗甲状腺剤が第一選択である。同じ臨床研究データを見ている医者がなぜこのような異なる選択をするのか? その理由として著者は文化的背景の違いを挙げる。日本は放射線に過敏である。西ヨーロッパでも米国よりも放射線への警戒が強く、チェルノブイリのあとそれが強まっている。
 この患者に放射線ヨード治療をすすめた医者は、治療は一回の服薬で終わり、あとは薬を飲めばいいだけと思っている。しかし患者が薬をのめばいいだけと思うかどうかはわからない。
 一方、一回でけりがつくということを魅力的と思う患者もいる。毎日薬をのむということも、もともとピルを飲んでいるのだし、と。
 さて、この医者はなぜ放射線ヨードを勧めたのか? 過去に抗甲状腺剤のひどい副作用を経験しているのかもしれない。手術で合併症をおこした患者を経験したのかもしれない。医者の多くは薬をのむことなどは全然どおうということのないことを思っている。
 
 心房細動の治療:心房細動は50代の米国人の約1%、70歳以上では5〜10%にみられる。全人口の25%が一生のあいだに一回はこれを経験する。この病気の問題点は、心臓のなかで血栓が形成され、それが脳梗塞など原因となることである。それでしばしば「血液をさらさらにする」抗凝固剤を投与される。ワルファリンやアスピリンである。それの副作用には出血がある。多くは消化管の出血であるが、時に脳出血もおこす。
 医者と患者に同じ調査をしたところ、患者は脳梗塞の予防を重視するのに対して、医者は出血を避けることを重要視していた。
 最近、新しい抗凝固薬が使用可能となるさらに選択が難しくなってきている。a)なにもしない、b)穏やかな薬(アスピリン)を使う、c)ワーファリンを使う、d)新薬を使う、である。

 高血圧の治療:
 米国でもヨーロッパでも、どんな場合に高血圧の治療をするかのガイドラインがあるが、米国の方が軽度の高血圧から治療を勧めている。同じデータをみているのになぜそのような違いができるのか? 利益と有害事象をどう評価するかの判断が価値判断をふくむからだという。何が治療の有益性なのかにはグレーゾーンが存在する。
 その例としてコレステロール値を考えてみる。300人に一人に有効というデータは事実である。それと時に生じる副作用のどっちを重いとみるかは価値観なしには決められない。だとすれば、かなり広いグレーゾーンが存在する場合には、患者の意向が優先されるべきであると著者はいう。
 ガイドラインというのはどのようにして作られるのだろうか? それはEBM(証拠に基づく医療)によっているとされている。これは広く公開されているので、患者の決定に強く影響する。であるから医師や保健政策立案者のなかには、専門家の推奨に従わない患者がいるとしたら、十分に情報が伝わっていないか、その患者が無分別なのだとするものがある。
 しかしガイドラインにもさまざまなバイアスがかかっている。ガイドラインを作成するときにどの臨床研究を用いるか、どれを捨てるか? そして最終決定にはつねに専門家の価値観がはいってくる。異論がでても、多数の意見がガイドを決めてしまう。ガイドには異論は記載されない。しかもガイドはしばしば改訂される。一年以内に14%、2年以内に23%が改訂されている。5年半後には半分が変更されている。すべての閉経後の女性にエストロジェンの服用をすすめていたガイドライン(心臓病と認知症の予防のため)は公式に取り消された。ある調査によれば、高血圧や高コレステロールの治療の開始にあたって、自分の意向をきかれて患者は半数に過ぎない。そのことは治療の標準化の背景にはパターナリズムが存在していることを推測させる。
 
 現在の医療少なくとも、内科の外来治療において、一番の問題は患者とされているもののほとんどに何ら症状がないということにある。ここに挙げられている3つの病気のうち、甲状腺機能亢進症では症状がある。心房細動の場合には動悸や頻脈といった症状がある場合もあるが、ここで問題にされているのはそれの最大の問題点である将来における血栓症の合併である。そして高血圧症においては大部分で症状がない。
 通常の一般内科の外来で一番多い疾患は、高血圧・糖尿病・脂質異常ではないかと思うが、一部の糖尿病を除いてはまず症状はない。脂質異常においては100%症状がない。糖尿病を放置した場合にはしばしば問題がおきるということは日常診療レベルでも実感できるが、高血圧の場合、非常な高い値(200/130とか)の場合には問題がありそうであるという感触があるが、通常の高血圧(140/90くらい)では治療の有効性は実感できない。脂質異常の場合には実感は不可能で、治療の根拠はもっぱら統計学的な知識によっている。だから、もしもわれわれに提供されているその薬物についての統計学的データが誤ったものであったり偏ったものである場合には、非常な問題が生じることになる。
 いま問題になっている高血圧の薬(ディオパン)の場合、その薬物がもたらすとされていた他の薬物にはない利点といわれていたものが捏造されてものであったらしい。血圧を下げる効果は別に他の降圧剤にまさるということはないが(不思議なことに?)脳梗塞や心疾患のような合併症を減らす効果が他の血圧の薬よりも優れているのですというのが売りであったのであるが、それが嘘でしたということになってきている。製薬会社のほうはご免なさい、でも血圧を下げる効果はちゃんとなるのですから許してねといっているようであるが、製薬会社自体がデータ捏造に荷担していた疑いが濃厚のようであるからほとんど犯罪である(すでに犯罪であるように思うが、血圧を下げる効果があるのなら犯罪ではないのだろうか?)。なんでこんなことがおきるのかというと、この薬が後からでてきたものであるからで、先発した薬よりもいいところがありますということがなければ、売り込みが難しい。現在一番よく使われている降圧剤はCa拮抗剤といわれるものであるが、常用量で薬価が65円くらい(3割負担だと、自費負担は一日20円、月に600円)。このディオパンという薬は常用量で125円だから倍。ちなみにβ遮断剤といわれる降圧剤の常用量が110円くらい。あまり効かないけれど昔よく使われたサイアザイド系の利尿剤では10円。このディオパンはアンジオテンシン受容体拮抗剤(ARB)といわれるものの一つなのだが、その前にでてきたアンギオテンシン変換酵素阻害剤(ACE)といわれるものがあり、その代表的な薬が一日75円〜150円)。わたくしのように40年くらい臨床をやっていると、医者になったころに使っていた降圧剤は利尿剤が主であった。正直、血圧が下がっているのか下がっていないのか手応えがなかった。しばらくして、Ca拮抗剤がでてきて、血圧が下がることを実感できるようになった。β遮断剤も血圧が下がるのと同時に(もともと交感神経をおさえる薬であるから)動悸を抑える効果などもあるので、神経質でどきどきしやしすい人などに有効であった。その後にでてきたACEは降圧効果は今一つという感じであったが、臓器保護作用(腎臓などの血管を拡張させて腎障害を予防する)があるとされていた。ARBは一番最後に出てきた薬であり、何か降圧作用以外の+αのメリットがあるということでないと宣伝が難しい。
 もしも、高血圧という病気が血圧が高いことが問題なのであって、どの薬を使ってでも血圧が下がるならば、高血圧合併症の抑制効果は変わらないということであるならば、話は簡単なのである。副作用が少なくて、安い薬で治療すればいいということになる。われわれが臨床の場でわかるのは血圧の数字だけである(といっても、本当の血圧とは何かというのは大問題で、患者さんが自宅で計る血圧と病院の外来にある自動血圧計ではった数字、診察室で計った数字で20〜30の差があるのなどごく普通である。自宅での測定でも計る時間によってもまちまであるし、同じ時に計っても、計るたびに異なる)。われわれが治療によって合併症の発生を予防できているのかはわからない。それはマスの統計によらなければわからない程度の頻度でしかおきないからである。
 血圧は正しい血圧自体が問題だが、コレステロールの場合には数字ででるから治療の効果はもっと判然とする(とはいっても、一番問題とされる悪玉のコレステロールといわれるLDLコレステロールの測定自体はきわめて問題のあるものらしく、測定は推奨されない方向になるらしい。TC−HDLC− (TG/5)=LDLC という式で計ることになっていてしかもこの式は中性脂肪が400を超える場合には使えないとなっている。この式のTGが中性脂肪で、それを5で割っていることからも解るようにこれもきわめてアバウトな式である)。薬を使えば数字は2/3〜半分になる。薬の効果は一目瞭然である。問題はこれを下げることが合併症の予防になっているかである。それは到底、臨床の場で実感できるような頻度ではおきてこないから、われわれが教えられている治療の必要性というのはたくさんの患者さんで使用した場合での合併症の頻度の差である。それは前にもわれていたように300人くらいを治療して一人に有効というデータなのである。これはアメリカの場合だから、日本の場合は冠状動脈疾患の頻度はずっと低いので1000人に一人くらいの効果かもしれない。
 医者は自分の専門分野での治療の有効性を信じたいのは当然である。明らかな異常値では明らかに問題がある。それならば、もっと軽度の異常であっても、たくさんの数を治療すればその中から何人かは治療してよかったケースがでてくるはずである、というのも論理的には正しい見解である。わたくしが医者になったときの高血圧は160/100であった。それがいつのまにか140/90になり、130/85になってきた。そこでいえることは、どんどんと本当は治療が必要のないケースが治療されるようになってきているであろうということである。しかし誰が本当に必要であるのかは事前には誰でもわからないから、下手な鉄砲を数撃つことになる。
 今回の事件の場合、データ自体が嘘だったというのであるから言語道断であるが、どの程度の異常から治療をするべきかを決めるガイドラインを作るときに、自分の専門分野の治療の必要性が高いことを示すデータを使いたいというのは人情かもしれないくて、数多ある臨床試験のなかから、治療の必要性の高さを示すものを採用するバイアスがかかる可能性が非常に高い。
 そして、何よりもこのバイアスを強く持っているのが製薬会社であることは明かで、その製薬会社が臨床試験の費用を大部分を負担し、かつ大学医学部の研究に多大の資金を提供しているのであるから、われわれはつねに提供されるデータについて疑ってみる必要があるのだろうと思う。今回のディオパン事件のような露骨なことはそれほどおこなわれていないと信じたいが。
 かってアバンとかカランとかいう薬があって脳代謝を改善するという触れ込みであったがいつの間にか使われなくなってしまった。要するに全然効かない薬だった。これは日本の某大製薬会社が開発をして総力をあげて宣伝し、一時はかなり使われたようである。わたしは頭に効くくすりというのはどうも信用できなくて、ほとんど使った記憶がない、現在の認知症の薬といわれるものも同様である。家族の方が使ってくれという場合、「でも、効かないと思いますよ」といって出している。家族の方も「万が一、少しでも効いてくれればラッキーですから」といっているので、どちらも効くとは思っていないわけである。
 クレスチンとかレンチナンというのもあって(まだ医薬品集には載っている)、かっては劇的に売れた。サルノコシカケというキノコにふくまれる多糖体なのだそうで、一時、丸山ワクチンがブームになったころ、それと同じような効果というようなふれこみで開発され、丸山ワクチンは未承認で使用が難しかったのに対して、これは正式に認可された薬であるので、丸山ワクチンを使ってくれという患者さんに、同じようなものがありますと使っていたのではないかと思う。
 アバンとかクレスチンが許可になるときに一体どのような臨床試験データが提示されたのだろうか? かつては学会のボスがこれは効くといえば許可になった時代があったのだそうである。これもそのようなものだったのだろうか?
 日本で一切、臨床試験のデータなしで承認されたものに漢方薬がある。なんだか随分と不明朗な経過で承認されたようにきいているが、もちろん、この中に有効なものがあるだろうことは間違いない。副作用をおこすものもたくさんあることも事実である。しかし、100種類以上も許可されているものすべてが必要なのかは疑問である。実際に漢方のメーカーでも効果がはっきりとあるものについては積極的にその薬理作用などを研究しているようである。
 最近の薬はCa拮抗剤にしても、β遮断剤にしてもACEにしてもARBにしても、あるいはスタチンにしても薬理的な作用点がはっきりとしているものがほとんどである。そのなかでそのようなものがまったく不明瞭である漢方薬は、数種から十種類以上の薬草の抽出物を混ぜたもので、単一の物質が効いているのではなく、それが混合されていることで有効なのであるということが主張されている。
 もともと薬理学になじまない発想によっているのであろうから、有効成分をはっきりさせてそれだけを使えばいいではないかという主張自身が全然わかっていないということになるのであろうが、こむら返りに相当有効なことが多い「芍薬甘草湯」は「当帰芍薬散」なども効くらしいから、芍薬が有効成分なのかもしれないから、それなら、それだけで薬にすればいいのにと思ってしまう。もしも甘草は不要な成分であるなら、甘草をふくむ漢方薬による偽アルドステロン症は相当に多いわけで、それがはいっていないほうがありがたい。多くの臨床医はどの漢方薬に甘草が含まれているかは知らないし(漢方の名前に甘草がふくまれていないものも多い)、健康食品やサプリメントにもはいっているようで、低カリウム血症で精査入院をしたら漢方のせいだったというケースはときどき経験する。
 などと書いていても、もともと漢方医学と西洋医学は病気というものへの見方が根本的に異なっているわけで、書いてもしかたのないことであることは理解している。わたくしはなんだかんだいっても洋学派であって、科学の子なのだと思う。そして、医療のなかで医学のしめる割合が多くはないことは重々承知している。まして科学のしめる割合はさらに小さいであろう。ただもし医療に進歩というものがあったとしたら、それは広い意味での科学から来たと思っている。それは非常に多くの間違いを犯し、いまでも犯しているであろう。しかし医療の制度が西洋医学を前提にしているということがある。病名というのも西洋医学の枠組みを前提としている。漢方薬を無理に西洋医学の枠組みのなかで用いようとすることから、様々な問題が生じてきているのだと思う。漢方医学というのは患者さんのそのときの状態に対応することを目的としている。
 大幅に話がずれてしまったけれども、ここに挙げられたケースであれば、わたくしは甲状腺機能亢進症には抗甲状腺剤を用いている、放射性ヨード剤も手術もまず考えないし、治療の選択肢として患者さんに提示することもしていない。抗甲状腺剤が標準治療であり、それがうまくいかない場合、あるいはそれが使えない場合だけ、他の治療の出番があると思っている。だからこの場合には、患者さんが迷うことはおきない。
 心房細動の場合には、以前はバファリンを使っていて、その後はワルファリン、さらに新しい症例ではプラザキサのような新しい薬を使うケースもでてきている。いずれにしてもこれも患者さんに選択肢は提示していない。ごく最近、ワルファリンの症例で胃潰瘍からの出血でかなりの貧血をきたした症例を経験した。もしもワルファリンを用いていなければ潰瘍はあっても出血にはいたらなかなったケースであるのか、それはわからない。バファリンであれば大丈夫だったのだろうか?
 高血圧の治療にかんしては、比較的、薬を使わない方(140/90程度なら経過を見る場合が多い)だと思う。それがわたくしの価値観によるのかということはよくわからない。これは患者さんと相談している。患者さんが高血圧を非常に気にするタイプであれば、使うし、薬の副作用のほうを気にするタイプであれば、使わないということであろうか? 高血圧の場合に非常に感じるのは、血圧の薬は一度使い出したら一生という見方が普通で、薬をいづれ飲まなければいけないのだとしても、まだ飲みたくないという患者さんが多いことである。それともう一つ、薬をのんでいなければ患者でないが、薬をはじめると患者となってしまうという傾向があるのではないかということもある。高血圧の患者さんの相当多数は病人ではなく、将来の病気をおこさないための予防のための処置をしているだけのはずなのであるが、実際は薬をのんでないうちは病人ではないが、服薬をはじめた途端に患者になってしまうことが多いと感じる。糖尿病もそうで、薬を飲んでいなければ、耐糖能異常あるいは糖尿病予備軍、薬をはじめると糖尿病患者になるということがあるようである。
 治療をした場合、どの程度のイベントの発生を予防できるかという観点はしばしば語られるが、《患者》となってしまったことの不利益ということについてはあまり語られないように思う。もちろん、《患者》になることによって健康管理に努めるようになることもひともあるであろう。しかし、《患者》になることで人生に消極的となり、していいこともしなくなるひとも多いように感じる。そして人生を肯定的にみられるかそうでないかも《健康》に大きな影響があることが知られている。そうすると薬をはじめることで《患者》になってしまい、それが自分の《健康》にはかえってマイナスになるということも少なからずあるではないかと感じている。もともと大部分のひとは薬を使わなくてもいいひとなのだから、これは大きな問題なのではないかと感じる。
 
 次は治療が後悔にむすびつくケースについて。
 

決められない患者たち

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ステータス症候群―社会格差という病

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