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世紀の名作はこうしてつくられた―「風と共に去りぬ」の原稿発掘から空前の大ベストセラーへ、著者による著作権保護のための孤軍奮闘

世紀の名作はこうしてつくられた―「風と共に去りぬ」の原稿発掘から空前の大ベストセラーへ、著者による著作権保護のための孤軍奮闘

 世紀の名作というのは「風と共に去りぬ」のことです。「こうしてつくられた」といっても、作者ミッチェルがどのようなことからスカーレット・オハラとかレット・バトラーという作中人物を構想したかといった方面のことは一切なく(といってもまだ200ページ弱しか読んでいないので、これからでてくるかもしれないが、おそらくなさそう)、まったく無名の主婦が書いた小説がいきなり大ベストセラーになり、ミッチェルが一夜にして超有名人になり、その騒ぎに翻弄されるなか、まだ著作権などがいたって未整備な時代に、自作を守っていくことに奮闘する姿をえがく、というものらしい。
 なんでこれを読んでいるかというと「風と共に去りぬ」が愛読書だから。
 新聞の読書欄で紹介されていた。著者の一人は、「風と共に去りぬ」の世界的なコレクターなのだそうで、すべてのアメリカ版と700種以上の外国版を所有しているのだという。いろいろなひとがいるものである。
 
   仕事での必要上(産業医というのもしているので)買ったものだが、1995年に青木書店から刊行された「企業中心社会の時間構造―生活摩擦の経済学」の加筆修正増補改訂版らしい。わたくしなどは青木書店ときくと「ああ、あそこね」と思う口で(あとは大月書店とか)、本書のあとがきにある「独占資本主義論の延長線上に現代資本主義について論じる機会もあったが」などという文を見るとなんだかなつかしい感じがする。最近ではこういう文章はまずみなくなったように思う。世の中の仕組みに問題があると、それは今の社会体制が悪いのであるから別の社会体制に変革すればそれは解決できるという方向の主張もほとんど目にすることはなくなった。今の社会の仕組みは大枠のところでは変えようがないという見方が大勢になってきており、それが若い人たちに大きな重圧となっているのではないかと思う。
 本書のタイトルは、オリジナルのよく方向のみえないものにくらべると、随分とストレートになっているが、そのような変化を反映しているのかもしれない。
 バブルの頃、「24時間戦えますか」というような歌詞の栄養ドリンクのコマーシャルソングが流行ったことがある。今ならこんな歌詞のコマーシャルは絶対に流せないだろうと思う。過重労働を煽るものだ、働くものを過労死させようというのか!といった批判であっというまにつぶされてしまうであろう。しかしこういう歌詞がかっては通用したということは、その時代には過重労働をしていてもそれを苦痛と感じず、日本が世界を席巻する先兵となって自分は戦っているというようにポジティブにとらえるひとが一部ではあってもいたということなのだろうと思う。
 それに独占資本主義国家日本は同時に会社社会主義などともいわれ、福利厚生をふくむ社会保障のかなりの部分を会社が請け負っていた。年功序列終身雇用によって会社は共同体となっていた。しかしバブルが崩壊し、グローバル・スタンダードが叫ばれる時代となり、四半期の業績が問われ、長期の展望などとはいっていられない時代になると、過重労働はただ単なる過重労働であってただただネガティブなものとなってくる。
 産業医として長時間の残業をしている人たちと話していると、とにかく仕事の方向が見えていない。そのような仕事が会社が存続するためには必要であり、その会社から賃金をもらっている以上、働かなくてはいけないということはわかるが、では会社が一体何をしようとしていて、自分は社会の中でどのような役割を果たしているのか、それが見えていない。そういう中での過重労働というのは、20年前にくらべても一段と負担の多いものになっているではないかと思う。