計見一雄「戦争する脳」(3)

 
 第2章「ラムズフェフド氏の見事な戦争」
 この本は2007年末の刊行なので、論じられるのは2003年のイラク戦争で、「見事な」というのはバグダッドの陥落まで。「あっという間に敵の組織的戦闘能力を破壊」し「味方の兵の損耗はわずか(百数十人、敵は10万人以上?)」「地上戦闘は熾烈ではなく」「血まみれ、泥まみれの場面はきわめて少なかった」から。つまり、押しボタン戦争である。これは政治家にとっての理想的な戦争であり、「短期間に敵戦力を破砕し、敵の組織的戦闘能力をゼロにする」という、戦争の目的に関する古典的定義に見事に合致する。しかしそれから3年たったこの本の執筆時点でも戦争はまだ終わっていない。これは太平洋戦争でのアメリカの参戦期間をこえた。バグダッド陥落後の米兵の死者の過半はゲリラのIED(手製爆弾)による。
 彼らは満州事変と支邦事変を知らなかったのだろうか? 日本の政治家でそれを彼らに教えるひとはいなかったのだろうか? 湾岸戦争満州事変、イラク戦争は支邦事変に相当するのではないか?
 満州事変はよく練られた戦争計画が成功したもので、その時点で戦争目的は達している。支邦事変はそうではない、対支一撃離脱論という観念的で空想的なイデア先行の戦争だった。その結果、南京での「便衣隊」の問題がおきた。同じことがイラク戦争でもおきた。その時、指導者はその後の撤兵をどうするかを考えなかったのか? ヴェトナム戦争の泥沼を思い出さなかったのか?
 当時、バース党を利用すべきという提案がバンダール王子というサウジアラビアの駐アメリカ大使からでている。ブッシュ家の古い友人でホワイトハウスからの信頼は絶大。当時のイラクを支配していたのは、バース党と情報機関、治安部隊をふくむ軍部。そのトップは除去するが中堅以下は残す。それに上層部狩りをやらせる。それをさせた後、そいつらも始末する。イラクにいる退役軍人は300万。彼らに半年給料をだし雇う。膨大な雇用の創出がされ、社会は安定する。投資は2億ドル。安いものではないか? しかし、そんなマキャベリスティックなことはできないと否定され(古いヨーロッパの貴族政治家ならすぐに採用しただろうに)、非バース党化がアメリカの国策となった。具体的にはチェーニー副大統領の指導。バース党は中東の社会主義独裁政権だから、そんなものは駄目という潔癖思考の持ち主。同時にそこに石油利権がからむ。
 ブッシュ氏は「日本を見よ。アメリカの占領政策によって、専制国家が民主国家に生まれ変わったではないか」といっていた。しかしと計見氏はいう。日本は専制圧制国家ではなく、立憲君主制のもとで普通選挙がおこなわれていたのであり、清廉で規律正しい行政組織をもっていたのだ、腐敗した社会主義独裁国家とは違うのだ、と。日本では、公職追放によって官民の古株が一掃され下草が元気になった。日本の戦後を背負ったのはそれらの下草で、彼らは古い日本のエートスをもつ戦前の教育を受けた人間であった。20世紀末の失われた10年をもたらしたのは、彼らの次の世代、12歳くらいで敗戦を迎えた人々である。
 パウエル元国務長官・元統合参謀本部議長は、チェーニー・ラムズフェルド一派を超国家主義的なメシアニック秘密結社と評したのだそうである。ナチ党のスローガンは、民主主義、平等、平和、福祉、労働者の権利などで、西欧諸国で重んじられていた価値のほとんどを列挙していた(ただ一つ、自由を除けば)。実際、ドイツの軍隊ほど民主主義的な軍隊はないとアメリカのジャーナリストがいっていた。チェーニー氏はその自由をイデオロギー化して戦争の大義とした。「アメリカ兵がイラクに進駐すれば、民衆は歓呼して迎えるだろう」と演説した。
 チェーニー氏は、しばしば突然沈思黙考状態に陥ってしまうことがあったという。計見氏はこういうことはものを良く考えるひとに見られるという。ソクラテスしかり、マルチン・ルターしかり。ナイチンゲールもそうだったという話もある。これらはみな偉大なひとびとではあるが、同じことは、精神病理学の立場からみれば多くの患者にもみられることであるという。計見氏はいう。脳は単独運転を続けていくと危ない。脳と脳のやりとりつまりはコミュニケーションが欠けると、孤立し、勝手な空想・妄想・幻想のとりこになってしまう。
 
 ここでいわれていることは、一時養老孟司氏がさかんにいっていた「都市主義」化したあるいは「脳化」した思考の危険といった主張と同様のものであろう。頭で考えて、ああすればこうなるなどとしていくととんでもないことになるよということである。ラムズフェルド氏やチェーニー氏がその代表選手とされているわけである。本書での(あるいはすべての氏の著作において)計見氏の主張の根幹は肉体の復権である。頭だけがのさばるとろくなことがないぞ、体の言い分をよくきけということである。本書ではその主張は具体的には次の第三章「兵士の肉体性」で展開される。
 医療は肉体の故障の修理である。では、精神疾患もまた肉体の故障であるということなのだろうか? ホルモンなどによる生体のバランス・ホメオスターシスの維持や血圧の調整、循環機能や呼吸機能のバランス、腎臓や肝臓機能の維持、そういった様々な機能に生じた破綻を修復すること、あるいはそれを悪いなりに保っていくこと、それが医療行為なのであり、精神疾患もまたそれと同一に論じなければいけないということなのだろうか?
 計見氏は精神科医であるので議論が見えにくくなるが、実は現代医学のすべてが「都市主義」化しており、「ああすればこうなる」型の思考に支配されているという主張もまたなりたつはずである。学問的な医学は実は肉体さえあつかっていなくて、体のなかの機械だけを相手にしているのかもしれない。だから、対象がたんなる機械ではない反応を示すと(死ぬのが怖いとか)、精神科医が呼ばれるというということになる(西洋なら牧師さんか神父さん? 日本ではお坊さんはまだ呼ばれないようである)。機械は考えないが、人間は考えるので、考えることから生じる問題は精神科の出番であるのだろうか?
 医療をささえるのは医学という科学であるが、科学では律しきれないものが医療の場ではでてくるので、そういうものは精神科におまかせしようといった感じである。従来の医療では、こういった「科学」からはみでる部分を担当していたのが看護の領域であったのかもしれないのだが、看護学も学である以上、科学を志向するようになってきているので、そうすると誰も「科学」からはみでる部分を担当するものがいなくなり、それで「科学」ではない医学をやっている精神科医が呼ばれることになるのだろう。
 しかし精神科だって当然「科学」をめざすわけで、フロイトも「科学」をめざしたのであろうが、そういうのはもう古いというわけで、「生物学的精神医学」といった流派が現在主流である。いわく脳にセロトニンが欠乏した状態がうつ病である。エディプス期への固着などというのはその物質的背景が説明できないというので、最近ではすたれてきている。そもそも無意識などというのが、影もみえず姿もみえず、まったく捕まえどころのないものなのだから。
 しかし、計見氏のいう「肉体への回帰」というのはそういう「生物学的精神医学」志向とはまったくことなる。「物質への回帰」ではなく、生物への回帰、「生き物」への回帰である。「生物学的精神医学」の場合は重点は生物学の学にかかっていて、この場合の学は科学のことであり、物質のことである。その仮想敵はおそらく文学であり、あるいは人文学なのであって、精神分析などというのは人文学の一種なのである。
 だとすれば、わたくしの感じからすると「肉体」という言葉よりも「生き物」(あるいは動物)という言葉を用いたほうが、計見氏の議論はもっとすっきりするように思う。「動物としての人間」についての学が医学であり、精神医学もまたそのなかにふくまれるということである。
 計見氏によればラムズフェルド氏は頭のひと、観念のひとであって、動物的な部分にいささか欠けるところのあるひとということになるのであろう。春樹さんの小説「スプートニクの恋人」にでてきた「いいですか、人が撃たれたら血は流れるものなんです」ということへの感受性の乏しいひと。(この言葉は、サム・ペキンパー監督の映画「ワイルド・パンチ」に流血の場面がとても多いことの理由をきたれたときに、出演俳優が答えた言葉なのだという。この映画はヴェトナム戦争がまっさかりの時代に製作された。)
 さて問題は、日中の戦争あるいは今次対戦を主導したひとたちもまたラムズフェルド氏の同類であったのだろうかということである。ラムズフェルド氏は科学技術の人、計算の人であり、優秀な兵器、圧倒的な火力の信奉者であって、大和魂(ヤンキー魂?)の信者などではなかったであろう。ところが日本では図上訓練では必敗とでても、それを精神力で補えば勝てるということになっていった。少しも科学的ではない。物資への軽侮、精神力の礼賛であった。ここでの物質とはほとんど西欧のことでもあり、精神力というのは日本(あるいは東洋)のことでもあった。精神力であるからまさに肉体の軽侮である。
 両者ともに肉体の軽侮であるが方向が違う。ラムズフェルド氏は脳派で頭で考えた通りにものごとが進むと考える。一方、日本の軍部の理論派(反現場派)は精神力ですべてが補えるとする非=理論派?(これもまた稚拙ではあっても理論なのだろうか?)であり、理屈がきらいで行動あるのみ、論理で反論すると、「そんなことをいちいち考えていたら戦争などできん」と激昂する人たちである。正反対といえば正反対であるが、現場を軽視するという点においては共通するということかもしれない。現場=肉体であるので、現場軽視=肉体軽視という点では共通であるが、発想の方向はほとんど真逆である。それを肉体軽視という共通点からくくってみていくと、議論の密度が落ちてしまうのではないかという気がする。
 敗戦後の日本、占領下の日本で、なぜ組織的な反=占領軍ゲリラ活動がおきなかったのだろう。散発的にはあったが言論統制で消されてしまったのだろうか? 大きな組織的な抵抗はおきなかったようである。村上龍の「五分後の世界」のようなことはおきなかった。街をジープでいく米兵に「ギブミー チョコレート!」である。あるいは「拝啓 マッカーサー元帥様」である。山本七平の本でだったか、戦地で捕虜になった日本兵は競うように自軍の秘密を米軍側にもらしたとあった。別に拷問されたわけではなく、ほとんど強制もなく、自発的に知っていることはすべて隠さず申し上げますという態度になるものが多かったらしい。
 その時々で自分が属する体系のなかの一番上位のものに忠誠的にふるまうということなのだろうか? 自分に一番影響力を持つものに気に入られるようにふるまうということが行動原理になるのだろうか? 事大主義? 占領下での日本人がそのような態度をとるであろうことをあらかじめ連合国側は予想していたのであろうか? そうだとしたらイラクでもまた同じことがおきて当然であると思っていただろうか?
 イラクでおきたことのほうが普通で、日本でおきたことのほうが変則なのではないかと思う。当時の日本の政権のほうがイラクにあった腐敗堕落した政権よりもはるかにまともであったと計見氏はいう。それなら、なぜ、イラクではアメリカ軍は解放軍にはなれなかったのだろう? イラクのひとたちはアメリカあるいはアメリカ的なものへの憧れを持っていなかったということなのだろうか? 日本は明治以来、欧米への憧れと、そのコインの裏である欧米へのコンプレックスと、さらにそのまた裏返しである欧米=物質、日本=精神というような根拠のない自尊の念にゆれて、一時、反欧米に走り、敗戦によりそれがまた一気に親欧米に振れたというようなことなのだろうか?
 この点については計見氏は特に論じていないのだが、これは非常に大きな問題なのではないかと思う。戦前から戦中にかけての極端な精神主義と、敗戦後のこれまた極端な物質主義(あるいは現実主義?)への転換、そのどちらが本来の日本人なのだろうか? 戦後そのような転向?はよく「憑きものが落ちた」というような言葉でいわれた。戦前戦中が精神異常状態になっていたのであって、戦争に敗れて正常な精神状態に戻れたというような含意がそこにあるのではないかと思うが、この点についてはまた別に論じたい。
 

戦争する脳―破局への病理 (平凡社新書)

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スプートニクの恋人 (講談社文庫)

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五分後の世界 (幻冬舎文庫)

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