計見一雄「戦争する脳」(4)

 
 第3章「兵士の肉体性」
 今時大戦の日本軍の場合、「兵士が肉体を持つ」という事実が否認されていた。日清・日露のころからそうだったはずはない。そうであればあの戦争ができたはずはない。昭和になり、戦争が激化し、厳しくなってくるとそうなってきた。肉体を軽んじて精神を高みにおく思想である。
 精神科医は肉体を重視する職業人である。だが20世紀の精神医学は、ほとんど観念のみによって出来上がったイデオロギーだった。そのように断じる計見氏によるこの戦争論は、だから20世紀精神医学批判でもあるわけである。
 兵士は飯を食う。排泄する。寝なければ続かない。よい士官はそれを片時も忘れないリアリストである。そういう士官は、戦場で便所をきちんと整備することに腐心し、塩の確保に気を配り、食料の確保をまず考える。そういう指揮官のもとでは兵士もよく戦う。そういう現実を見ず、抽象的なイデオロギーで戦闘ができると考えた点で、日本軍上層部とイラク戦争を指導したアメリカ首脳は同根であった。(そうすると性の問題はどうなるのだろうか? 橋下さんが変なことを言っていたが・・・橋下氏はリアリストなのだろうか? 自分ではそう思っているのだろうと思うが・・)
 日本海軍は船団護送が不得手であったようである。潜水艦も戦艦同士の艦隊決戦を助ける兵器とされて、この用途には用いられなかった。日本帝国海軍には実は船団護送の経験がある。第一次世界大戦において日英同盟に基づいて、地中海アフリカ北岸のきわめて危険な地域で、その任務を遂行した。損害は比較的少なく、よく戦ったとされている。しかし、計見氏は、これは後に禍根を残したのだという。英国海軍は困難な戦場を日本に押しつけたという憤懣が日本帝国海軍に残り、その反イギリス感情が、ワシントン条約をめぐる艦隊派の強硬な主張の根底として働いたのだという。計見氏は、イギリスの貴族の伝統では、尊敬すべき客人にはもっとも困難な仕事をやってもらうのが礼であるとされているのだから、この場合も日本海軍に対する尊敬の念がそうさせたのではないかといっている。わたくしは、日本が船団護送が不得手であったのは、そんなものは戦闘ではないという発想があったためではないだろうかと思う。反英感情が残ったのも、本当の戦闘に参加させず船団護送などという裏方をさせたという、自分たちを一人前の武士として遇していないというような恨みのようなものがそうさせたのではないだろうか? 日本海軍では船団護送のような仕事は武勲としてあまり評価されなかったらしい。敵方の戦艦を沈めたり、重大な損害を与えたりしないと駄目なのである。要するに船団護衛などをやっても出世できない。恥ずかしながら、昨年まで第一世界大戦において日本海軍が地中海で活躍したこと自体を知らなかった。わたくしが悪いのだが、どうも歴史の本を見てもこのことはあまり強調されていないように思う。派手な戦いでないと、そういう扱いになるのだろうか? 本書にもでてくる吉田健一訳のモンサラットの「非情の海」で描かれているように、英国では船団護送は重要な仕事として認識されていたらしい(計見氏の本には吉田健一の本が紹介されたり引用されたりすることが多いが、本書では吉田氏の名前がでてくるのはここだけのような気がする。 《←訂正10月16日。終章で「時間」からの引用があった》)。
 さてここから(1)でも少し言及した貴族の話、ノブレス・オブリージュの話になる。日本では貴族の育成に失敗したという話。明治以前に日本にいた貴族は武士の殿様と京都の公家。明治以降、大大名は爵位をもらった。戊辰戦争以降に戦功があったものも貴族となった。一方、ヨーロッパでは、大領主貴族と帯剣貴族に大別される。ほかに坊さん貴族もいたが。
 ノブレス・オブリージュ、すなわち貴族の義務とは本来戦陣に参加する義務である。第一次世界大戦において、英国の若い貴族は戦闘の先頭にたって勇猛突進し、ばたばたと倒れていったらしい。それが戦後の英国の再建に大きなマイナスになったといわれている。
 計見氏は、ノブレス・オブリージュの中には、自己の肉体だけでなく、同時に、無辜の民の肉体へのネグレクトもふくまれる、という。この肉体軽視の思想・伝統は西欧文明のかなり深いところに潜んでいるのだ、と。日本戦前の「身を鴻毛の軽きに置く」といった肉体軽視の志向はそれに対抗するものとして生まれたのではないか、そう計見氏はいう。
 貴族は戦争が上手である。またアングロ・サクソンは戦争が上手である。先に手をださせて、あとからボコボコにする。真珠湾しかり、湾岸戦争しかり。
 
 計見氏はアングロ・サクソンは戦争が上手であるというが、それは無辜の民の肉体を駒とみなせる肉体軽視の思想と表裏一体である。駒を上手に使える、捨て駒の使い方を知っているということである。それを計見氏がどう評価しているのかはよく見えない。
 いずれにしても、現代では捨て駒の発想はゆるされない。だからこそでてきたラムズフェルド氏の押しボタン戦争である。あのままバグダッドで解放軍として歓迎されたのであれば目出度し目出度しとなったわけである。そうならないことを予見できなかった点において、ラムズフェルド氏の戦争は観念の産物、肉体の軽視として非難されることになる。人間が肉体を持つからこそ、アメリカ軍は解放軍となれなかったのだろうか? それなら太平洋戦争後、なんで連合軍は日本において解放軍たりえたのであろうか?
 このあたりを肉体という言葉だけから説明していくことには無理があるように思う。いま「カミカゼ」は主にイスラム圏のほうから吹いてくる。信仰というのは観念の産物なのであろうが、ラムズフェルド氏が観念で戦争をしたというときの観念とは随分と次元を異にする。ラムズフェルド氏は理性の魔であったのかもしれないが、信仰は理性の産物ではない。考えるというのは頭のすることなのであろうが、それなら信仰は? それは魂のすることだろうか? それあんら、魂はどこにあるのか? 頭の中? それとも肉体に? 考えるということと信じるということはまったく異なる。信仰をもつものを説得することはできない。
 計見氏はもはや信仰をもたないひとである。日本人はおそらく江戸以降、信仰を捨て世俗の人間となった。昭和前半はその日本人に国家が無理強いに疑似宗教を持たせようとした結果の無惨である。そしてそのような無惨は明治以降に日本が西洋を全面的に受け入れようとしたが、そこに結果として空疎しか発見できなかったことへの反動の産物でもあった。日本の世俗はとても豊かであったにもかかわらず、(その時に日本人がみた)西欧の世俗はそれにくらべればずっと貧しいものだったのである。一心不乱に西欧の背中を追ってきたのだが、気がついてみれば、手元にあるものは虚しいものばかりだった。
 明治期、すでに日本人は世俗のひと、すなわち肉体のひとであった。そこに無理矢理、大和魂を注入しようとしたのは、世俗のままでは西欧に勝てないからである。物質同士の戦いでは勝てない、それなら精神で! そして戦争に負けて憑き物が落ちて、今度は経済という物質の争いに猛進して、つかのま勝利をえた。しかし、それも停滞して、なんだかふたたび肉体の軽視が始まっているように思える。なにしろ日本人くらい働いている先進国民はまずいないようなのである。もっとも失われた10年(20年?)の前から、すでに「24時間戦えますか」などといっていた。しかし、そのころは戦っても勝利していたので、それほどは疲れを感じなかったようである。だが「失われた20年」ともなると、いくら頑張っても結果がでない。「戦えど戦えどなお我が暮らし楽にらなざり じっと手を見る」というような状態になる。そんな状況が精神的にいいわけはない。何だか先の見えない戦争がずっと続いているようである。となれば「戦陣精神医学」が必要になってくる。ということで、次章「戦陣精神医学」へ。
 だがまだ貴族の問題が残っていた。日本の貴族は土地に根付いていない。イギリスのジェントリーのような土地貴族ではない。江戸時代の殿様だって、いつ改易されるかわからない任命県知事のようなものだった。官職としての貴族というのはありえない。平安の貴族も土地を実効支配する貴族ではなく、都にいて領地は現場の人間にまかせていた。鎌倉以降の武士が「一所懸命」の武装農民で、日本の貴族というのは武士のことなのだと思うが、それがいつも都の似非貴族にコンプレックスを持ち続けたのが困ったことであったとしても、「武士は食わねど高楊枝」というノブレス・オビリージュの意識を武士は持ち続けたわけで、その武士が明治期に官僚となった。
 結局、官僚が貴族の意識を持ち続けていられるかというのが、日本の貴族問題なのだと思うが、どこかで官僚は武士でも貴族でもないただのひとになっていったのであろう。通産官僚であった天谷直弘氏の論文集に編者は「ノブレス オブリージ」というタイトルをつけた(1997年刊)。このころまでは官僚もまだ貴族であったのかもしれない。吉田満氏なども、氏は日銀のひとだったが、やはり武士という感じがする。
 

戦争する脳―破局への病理 (平凡社新書)

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非情の海〈上〉

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ノブレス・オブリージ―天谷直弘主要論文集

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吉田満著作集〈上巻〉

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