計見一雄「戦争する脳」(5)

 
 第4章「戦陣戦争医学」
 第二次世界大戦中にパットン将軍による「殴打事件」というのがあった。パットン将軍が野戦病院を見舞った時、外傷のみとめられない兵士に「どこが悪いのか?」と聞いたところ、「どうも精神のせいらしいです」と兵士が答えたのに激怒し、兵士を殴ったというものである。パットン将軍は「戦闘による神経障害」などないと信じており、戦闘により変になる兵士がいたとしても、あるショックをあたえると責任感をとりもどすというのが、その信念立ったのである。これに対し、当時の連合軍総司令官のアイゼンハワーは、パットン将軍を批判し、その兵士に謝罪させ、自分の師団の兵士に二度とこのようなことをしないと誓わせたというものである。
 2004年、NEJM(有名な医学雑誌)にイラクアフガニスタンの戦闘におけるメンタル問題をあつかった論文が発表されていて、そこに海兵隊の新兵訓練が紹介されている。約70日間で高卒の少年を一人前の海兵隊員に仕立てるのだそうである。訓練の初期には屈強な大男が過呼吸パニック障害をおこす。それに対して精神科医がいう。「あなたの感じていることは、普通の恐怖ですよ。そうなってしまうことは、本当によく理解できます。怯えるというのは正常なことです。でもあなたはこれからそういう正常な反応にどう対応するか学ばなくてはいけません。怯えてしまったときにどういう風にするかも学ばなくてはいけません。」 精神科医である計見はいう。「よくやるねえ。」 こういうやりかたは実に教科書的な精神医学的インタビューである。「受容」「支持」「保証」。
 別のNEJM論文も紹介されている。戦闘にいく前の兵士の大うつ病全般性不安障害+PTCDの率9%。イラク戦後3〜4ヶ月で16〜17%。アフガン帰還兵では11%強。精神障害と診断されたもののなかで、メンタル・ケアを求めたものは23〜40%。そう診断されることは「汚名」なのであり、軍歴に差し支えるから。そうであるなら軍のなかにメンタルケアチームを置くこと自体がまず難しいことになる、
 精神医学は医学全体のなかで肩身の狭い思いをしている。わが国では総合病院から精神科入院ベッドがどんどんと消滅してきている(儲からないから)。それなのに一般病棟の患者さんが精神的変調をおこすと病棟の看護師さんたちは自分たちの病棟ではみられない、精神科の病棟へ移してくれとすぐに言い出す。どんな病気でも重症化したり、死に瀕したりしたら精神的変調をきたすのは当たり前ではないかと計見氏はいう。(これはわたくしにも経験があって、うつ状態で要入院と思われるがすぐに精神科の病床を確保できないから、とりあえず内科に数日入院というようなケースは非常に難しい。看護スタッフが猛烈に反対する。自殺企図が絶対にないという保証がなければ入院させられないという。自分が受け持っている患者が自殺するというようなことがおきると、その看護スタッフには非常に大きなトラウマが残るので、そういうリスクを負いたくない。専門病院に入院させて欲しいと師長さんも主任さんもいう。それで家族に24時間付き添ってもらうことを条件にようやく入院させてもらったということを何回か経験した。精神疾患というのは、まだ一般病院においてはきわめて特殊な病気なのである。) 「身体科の医師や看護師は、精神科的な疾患を特別視することなく、自らの治療能力やケア能力を高めるべきだ、というのが、日本中の精神科の救急に従事している医者たちの共通した認識だ」と計見氏はいう。
 そういう状況のなかで、アメリカ精神医学は戦後、その地位を大いに高めてきた。それに力があったのは大戦中にヨーロッパからアメリカに逃れた精神分析医たちである。力動精神医学派の精神科医は戦中に大きな貢献をした。1940年のロンドン空襲によって生じた精神疾患の救急対応に力を発揮した。ここで確立された原理は今でも戦場や災害地で生じた事例への対応に受け継がれている。速やかに患者に接近し、直ちに精神医学的介入を開始する。そのひとがその時にもっている感情をできる限り全部話してもらう。しかし自らはとても喋れない患者も多い。その場合はアミタール面接と呼ばれる鎮静睡眠剤の注射による鎮静の助けを借りてでも強制的にでも話させる。それが大きな効果を発揮した。もう一つ、徴兵のときに兵士としての適性を心理テストによって判定するということも、大精神科医であるサリヴァンなどがかかわってしたらしいが、これはうまくいかなかったらしい。
 イラク戦争においては、精神科医と看護師と精神科ソシアルワーカーと心理学者のチームが前線の野戦病院に配置されたのだそうである。こういう体制をつくるまでが大変で、なにより兵士たちがこういうチームのケアをうけることに強い抵抗を示した。
 このチームは7〜8割という高率でケアをうけた兵士を原隊に復帰させることに成功している。兵士たちも後送されることをのぞまず、原隊への復帰を希望するのだという。「俺は部隊に戻るんだ。小隊に戻る。そこが一番安全だから。俺は兄弟のところに戻るんだ。家族くらい安全な場所はないじゃないか」というのだそうである。
 戦場では通常の精神分析のような悠長なことはやっていられない。短期集中精神療法にならざるをえない。戦場での精神科的治療を考える場合、疾病を何と名付けるかはきわめて重要な問題である。第二次世界大戦の将軍で後に元帥になったブラッドレーは1943年に、「戦場でのストレス性のブレーク・ダウンに対する暫定病名にはアグゾースチョン(消耗、困憊、尽瘁)とせよ。そして7日間の休養をまず取らせよ」という命令を発している。この病名?のいいところは精神病の含意がきわめて少ない点にある。
 アイデンティティ理論で有名なエリクセンのバイオ・ソシオ・サイコロジカルな見方がその治療の原理として採用されているのだという。
 戦争における精神機能不全はいろいろな名前で呼ばれてきた。南北戦争では「ノスタルジア」。戦場から逃れて早く帰郷したい、家に帰りたいという願望がそれを作っていると考えたためであろう。日露戦争のロシア側には前線に精神科医が派遣されていた。かれらのとった対策は後方移送。これがいったん軍隊内に知れると患者の数がいきなり6〜10倍に増えたのだそうである。
 第一次世界大戦塹壕戦では「シェル・ショック」。シェルは爆弾で、爆風による脳震盪が症状の原因という考えである。戦士もこの言い方を好んだ。問題は、こういう患者を母国に帰すと難治性となることわかってきたことである。戦闘不能で除隊となるものの1/7がシェル・ショック。軍人年給受給者20万人のうちの1/5が戦争神経症という診断という事態となった。これだけ戦闘員が減ると戦闘維持すら困難になってくる。それで、母国への後送ではなく、現場近くで治そうという動きがでてきた。近接性(患者の近くで、かつ障害が発生した場所の近くで、時間的に迅速に)が重んじられるようになり、当然、前線での治療が原則となってきた。
 そこで何をするか。励ますこと、休息をとらせること、温かい食事を提供し、可能なら熱いシャワーを浴びさせること。当時、今日ほど有効な睡眠剤はまだなかったので、眠らせるという方針はここに挙げられていないのだろうと、計見氏はいう。ベストとしては、戦闘中においても、そうなって人間に、「お前、大丈夫だよ。病気じゃないよ。一休みすれば回復してまた戦えるよ」といってあげられるような仕組みが、戦闘組織のなかに組み込まれていればいい。
 以上をまとめると、1)可能な限り前線に近くで、2)直ちに、症状がおきたらすぐに、3)病気でないのだから、疲れが取れればすぐに原隊い復帰できるといってあげて、4)シンプルに対応する(休息と食事と熱いシャワー)、といったことである。
 バグダッドの最前線で、戦友を失い自らも重症を負った兵士に、医療者が「泣いてもいいんだ」と頬をよせて語り、泣くと「それでいい」といってやる場面が、テレビで放映されていたのだそうである。そこには牧師もいるらしい。
 前線を離れるということは「俺は卑怯者なのではないか」という心理に兵士をむかわせる。だから「俺は卑怯者ではない。病気なのだ」という回路が生じる。それに対して医者がいってあげる。「君は病気でもない。卑怯者でもない。ただ疲れているだけで、休めば回復するよ」、と。その言葉が力をもつためには現場から近いほうがいい。戦闘からすぐであったほうがいい。ここで「戦争神経症」という病名をつけてしまったら、病気になってしまう。消耗という言葉がいいのは病気という印象を回避できる点である。戦闘疲弊なんだよ、と。
 徴兵時の心理テストが無効であったことは上で述べたが、これは結果的に名誉除隊の道を開き、巨大な兵員ロスをおこすことにもなったのだという。後方移送症候群とでもいうべき現象がおき、徴兵不適とされたものが第一次世界大戦の7倍以上にもなったし、テストで適格とされたもののなかからも精神医学的なブレークダウンが生じるケースも第一次世界大戦時の2.4倍にもなった。それで前線治療というコンセプトが復活した。
 第二次世界大戦で明らかになったこと。戦場において身体的なダメージが多く生じる過酷な場面では精神障害もまた多く生じること、当然、新兵のほうが不安が強いが古参兵であっても長い期間戦闘状況にさらされると新兵と同じ反応になってしまう。100人くらいで構成される中隊が戦闘を続けていると、戦死や後方への搬送などで90日で中隊が消滅してしまうことがわかった。身体的な損傷はなくメンタルのみの負荷があると仮定した場合でも210日で消滅することがわかった。
 これらからわかることは、戦闘状態に強いパーソナリティなど存在しないこと、誰でも限界をこえればブレーク・ダウンするのだということ、人間を戦闘というストレス下に置けば経時的に精神的ブレーク・ダウンが累積してくること、つまり脳がもたなくなるということである。
 昭和19年のレイテ沖海戦における「栗田艦隊反転の謎」といわれるものも、三日三晩ほとんど眠らずに戦闘を続けていた後での判断であるということを勘案しなければいけないと計見氏はいう。その状況で的確で最善の判断ができる人間などいないはずである、と。人間の脳は二晩の徹夜には耐えられない。眠らない脳で戦ってはいけない。限界は72時間である。その限界を超えると、その疲弊はかえって眠りを奪う。
 司馬遼太郎の「胡蝶の夢」で描かれた徳川慶喜大政奉還前後の京都で、頭が働かず、何を考えているのかわからなくなり、思考に集中できないが、それでも眠れない状態になっている。侍医の松本良順は、アヘンを極量の3倍処方している。慶喜は三日三晩眠り続けた後、爽やかに目覚めている。
 おそらく第一次世界大戦の軍医もアヘンかモルヒネを処方したのであろう。戦陣に麻薬は必需品である。その反対に眠らせないためのヒロポンという薬もあるが・・。
 これらのことを考えると、食料補給なし、兵員の交代なしで、密林を行軍させた日本軍は、もはや、戦争精神医学の対象をこえている。なぜ、叛乱がおきなかったのかが不思議であると計見氏はいっている。
 第二次大戦の戦闘が精神科医に教えたことは、生きるか死ぬかの戦闘が続くならば、精神医学的事象がおきることは必然であること、それへの耐性を事前にスクリーニングする方法はないこと、そういう事象がおきるかおきないかは、個々人、所属戦闘部隊、戦闘状況によってことなるが、適切な介入によって、その大多数を戦闘場面に戻すことが可能であった、ということである。そこで強調されていることは、急性の精神不調現象の予防およびそれからの速やかな回復において最重要であるのは、その部隊の団結だということであり、そして部隊の団結を強固にするのは、戦闘任務の目的が指揮官から隊員に明示されていることであり、その指揮官が任務の達成に関して部下を裏切らない誠実な士官であるということなのだそうである。
 計見氏はこれはそのまま現代日本においてもあてはまるのではないかという。職場のメンタルヘルスの問題にも大きな示唆をあたえるものではないか、と。
 やたらと精神科的病名を安易につけることは、上の経験からするとマイナスとなる可能性はないか? どんな人間でも限界をこえる戦闘(ここでは労働)をすればブレーク・ダウンする。自殺するものもでてくる。自殺予防対策などという前に、限界を超える労働を止めさせろ、と。計見氏はいう。労働という戦線で疲弊しきって自分の前に現れた人々に、自分だって抗うつ剤は処方する。睡眠剤も出す。しかし、「あなたはうつ病ですよ」とは滅多にいわない。「あなたはもの凄くくたびれている。普通、くたびれた人は眠る。死んだように眠った後、ああよく眠った、手足の先まで真綿のように力が抜けてしまった。こんなに疲れていたのか。という具合に熟眠して、その後で回復してまた働く。あなたはそうではないだろう。あなたは疲れれば疲れるほど、眠れなくなっている。そのため疲労疲労を呼んで、全く動けなくなっている状態に落ち込んでいる。まず寝てください」、とだけ言う、と。そして、「あなたは心の病気、精神の病気で精神科に来たということを、きっと恥じているに違いない。ここにはたしかに精神科の看板が掛かっているけれど、あなたの病気は、実はからだの病気ですよ」という説明をするのだそうである。
 
 この本を読んでいて、これは戦争の時だけでなく、今の日本にも当てはまるなという感じがずっと頭にあった。わたくしはいま産業医という仕事もしている。産業医というのはなじみのない名称かもしれないが、会社に所属して社員の健康状態を管理するのが仕事である。個々の社員の健康状態の管理といったことにもかかわるが、全体的な対策にも同時にかかわる。今、企業で疾病で休職するひとの割合は社員の1%前後ではないかと思われるが、そのうちの7割前後がメンタル疾患による休業である。ということでメンタル疾患対策というのが産業医の大きな仕事となる。もう一つの大きな仕事が過重労働対策で、何しろ日本のサラリーマンはよく働く。
 産業医となって企業の現場をみるようになるまでは、まあ、医者というのはよく働くほうなのではないかと思っていたが、職場を見るようになって全然そうではないことがわかった。今、医者が当直をして、その翌日も普通に仕事をしたら労働基準監督署から注意される。しかし、会社で働く人では、昼普通に仕事をしてその後徹夜で仕事さらに翌日普通に仕事などという事例を珍しくなくみるのである。それで長時間残業をしているひとに対する面談というのが産業医の大きな仕事となっている。
 だが不思議なことに、長時間の残業は心臓や脳の血管障害、つまりは狭心症心筋梗塞脳卒中の誘因となるので、その対策のために残業の多いひとの健康状態をチェックするというのがその趣旨なのである。頭、メンタルの方面はあまり考慮の対象となってはいない。しかし、脳や心臓の血管障害というのは前触れのないことが多い。だから面談が予防にどれだけ役に立つかは疑問である。そうだとすると、実際に面談で一番よくわかるのが、その過重労働がメンタルにあたえている影響である。仕事の目標がみえず、上長があまり誠実とは思えない場合において、メンタル疾患が発症しやすい、すくなくともメンタルに悪い影響をあたえることが多いことを痛感している。
 そして産業医は上長を誠実にしたり、そのセクションの業務量を調節したりすることはできないのだから、なんだか虚しい仕事をしているような感じがしてくる。それでも不満を吐き出してもらうこと、とにかく口で表現してもらうことがなにがしかの効果をもつかもしれないと思って面談をしているのだが。
 とにかくみなよく働いている。リーマンショックなどで人員が削減され、上長だって以前のように席で新聞を読んでいて、部下に相談されたら答えればいいなどという甘い状況ではなくプレイング・マネージャーでもあり、自分も仕事をしながら部下にも目を配らなければいけない。そもそもリーマンショックの底から這い上がるのが大変でようやく少しましになったと思ったら、日本ではよくてもグローバルの時代、世界水準ではまだまだといわれてずっと鞭が入りっぱなしである。ジャングルのなかを補給もなく歩かされている日本兵士のような気分なのではないかと思う。このごろは四半期決算で、長期的展望などとはいっていられないようになってきている。のべつ追われるような気分なのではないだろうか? こんなことをやっていて持つのかなあという気がする。
 職場のメンタル疾患で多いのは、いうまでもなくうつ病で、これがいきなり「3ヶ月の休養を要する」という診断書としてでてくる。3ヶ月というのはとりあえずであって、平均一年近く休むのではないだろうか? 職場からは可能なかぎり隔離する。なにしろ病気をつくったのは職場なのだから、それを忘れられる環境に置くことが大事であるというのが現在のやりかたである。本書で、戦場においては、なるべく現場に近いところで治すほうが回復がよいというのを読んで、今のうつの標準的治療法がそれでいいのだろうかということを感じた。
 本書で「後方移送症候群」という言葉がでてくるが、「現代型のうつ」といわれるものは何となくそれに該当するのではないかという印象を持った。ある病気になると戦線を離脱できるということになるとその病気が増えるということのヴァリエーションとしてこれが理解できるのではないかということである。
 わたくしは内科医であるので、間違っているところも多々あると思うが、精神科治療というのは本書を読んでも試行錯誤という側面が強いようである。現在標準的とされている治療がベストであるとはアプリオリにはいえないということを頭においておくことも大事なのではないかと感じた。
 

戦争する脳―破局への病理 (平凡社新書)

戦争する脳―破局への病理 (平凡社新書)