S・ムカジー「病の帝国「がん」に挑む」(2)

 
 葉酸拮抗剤が白血病治療に試験的に投与された1947年前後は医学の歴史の転換点であった。まず抗生物質ペニシリンは1950年のはじめには量産されるようになっていた。ペニシリンに続き1947年にはクロラムフェニコール、1948年にはテトラサイクリンが、1949年にはストレプトマイシンが開発・単離された。
 しかしそれ以上に重要であったのが国民の衛生状態の改善である。水道の整備によって腸チフスはほとんど発生しなくなった。結核も衛生状態の改善により30年前の半分に患者数が減っていた。アメリカ人の寿命は50年前の47歳から68歳まで延びた。
 科学技術によって健康が改善できることが承認されるようになると病院が急増した。治癒への期待が高まった。「ゆたかな社会」(ガルブレイス)への期待が高まった。
 しかしがんの治療だけはその進歩から取り残されているようにみえた。もしも腫瘍が限局していれば「摘出術」で対応できた。それは19世紀の外科手術の劇的な進歩の遺産だった。1880年代のハルステッドの根治的乳房切除で乳がんは治癒可能と考えられた。1900年代のはじめにX線が発見されると、これも治療の選択肢に加わった。しかし選択肢はこの二つしかなかった。腸チフスが激減し、天然痘もほとんどみられなくなると、がんによる死亡がめだつようになってきた。しかし第二次世界大戦の勃発が、がん対策の緊急性を後景におしやった。
 がんの歴史をふりかえってみよう。紀元前2500ごろのものとされるパピルスには魔術や呪術によるのではない冷静な疾患記載がみられる。乳がんの記載もみられるが、そこには「治療法はない」とだけ書かれている。紀元前440年ごろに書かれたヘロドトスの「歴史」にも乳がんの記載がある。そこではがんが手術されたことが書かれている。ペルーのチリバヤ文明の遺跡でみつかったミイラからは骨肉腫がみつかっている。
 しかし古代史においてがんはまれだった。その原因は? 古代人は長生きしなかったから? しかし診断能力の向上もがんを増やしていると思われる。
 紀元160年前後に活躍したギリシャ人の医者ガレノスの説は後代に大きな影響をあたえた。ヒポクラテスの4大体液説を完成させたのである。赤い血液、白い粘液、黄色い胆汁、そして黒胆汁。黒胆汁ががんの原因であるとされた(ほかに黒胆汁がおこす病気はうつ病)。とすればがんとは全身に悪性状態がひろまった状態、黒胆汁が体内で過剰になった状態から生まれるであり、全身性の異常の局所への現れにすぎない。かつてヒポクラテスは「見えないところにあるガンは治療しないほうがよい。治療すると死期が早まり、何もしないほうが長く生きるから」といったが、ガレノスの説はそれを再確認するものとなった。以後、医師たちは、腫瘍を外科的に取り除くことは、全身的な問題に対する限局的な解決策であり、愚か者のすることであるとみなすようになった。1300年代のある医師はこういっている。「惑わされるな。手術をしてはならない。」 当時には麻酔も抗生物質もなかったのだから、それは患者を救う指針であったであろうと著者はいっている。(このあたりの記載はすぐに近藤誠氏の議論を想起させる。)
 あらゆる病気は4体液の病的過剰から生じるというガレノスの体液説は瀉血と下剤による治療を生んだ。
 1533年、偏見にとらわれないであらためて解剖をみずからおこおなったヴェサリウスはどこにも黒胆汁が存在しないことに気づいた。かれはガレノスの説を実証するために解剖をはじめたのだが結果としては、それを否定することになった。黒胆汁説は医学の世界から消えていくことになった。
 そうすると、がんは摘出によって治せるのではないかという見解が当然でてくる。1760年代にある外科医は、可動性のあるがんは治せるが可動性のないがんはそうではないことに気づいている。そして可動性のないがんの患者については「冷静な思いやり」という治療法を提案している(今から考えれば病期分類の最初である。近藤氏なら「がん」と「がんもどき」というであろう)。しかし、まだこのころの手術は麻酔なし、消毒なしである。
 1846年〜1867年のあいだに麻酔術と石炭酸による消毒が実用化された。それにより外科手術が本格的に可能となっていった。それ以前には開腹手術の死亡率はきわめて高かった。それに挑んだがのビルロートである。かれは1890年代半ばには41人の胃がん患者の手術をし、19人が生き残った!(つまり22人が死んだ!) それ以来、手術の対象は子宮、卵巣、乳房、前立腺、大腸、肺へと広がっていった。手術は限局性腫瘍に対する治療の大黒柱となっていった。
 しかし、限局性と思われる腫瘍でも、すぐに再発するものが少なからずあった。どうすればいいか? もっと大きく広くとればいい! そこでハルシュテットのラディカルな手術(根治手術)が登場してくる。もしも最初の手術で取り残すことが再発につながるならば、最初からもっと大きくとらなくてはならない。女性の外見を損ねないようにという「まちがったやさしさ」がかんを優位にたたせる。
 それで乳癌手術の範囲がひろがっていった。最初は小胸筋、次は大胸筋も。さらには鎖骨も、その周囲のリンパ節も切除するようになった。弟子たちは、さらに遠隔のリンパ節の切除まで試みはじめた。これが身体的不利益をもたらすことを医者たちはみな知っていたのだが。問題はハルステットの手術が患者の命を救ったかである。そのためには5年10年後の再発率を調べなくてはならない。
 さて、初期の患者はもっと小さい範囲の手術でよく、がんが全身に転移している患者ではいくら広範な手術をしても意味がないということはないだろうか? ハルステットの成績は今までのどの手術よりも局所再発率が低かった(わずか数%)。しかし根治手術3年後の生存は40例で、死亡が36例だった。これをみて根治手術を反省するという方向もありうる。しかし、実際におきたことは「まだ切除範囲が狭い。もっとラディカルに!」という方向の探求だった。
 腋窩にも頸部にもリンパ節転移のないものは、60人のうち45人が5年後にも生存していた。そのどちらかに転移があったものは40人のうちわずか3人しか5年後に生存していなかった。それが意味するものは、患者の予後を決めるのは、どれだけ広く切除したかではなく、手術前にどれだけがんが広がっているかではないか? だが、根治手術の有用性は不明確のまま、外科医たちの拡大手術競争は続いていった。
 有効性の証明のないまま教義となっていったのである。外科医のめざすべきものは技術的に完璧な手術であって、それがうまくいけば局所の病気は治癒させることが可能である。しかし病気が局所にとどまっているかどうかは外科医に責任の外にある。がんの根治に責任を負っているのは外科医以外のだれかである。
 もちろん、より穏やかな手術を試みるものもあった。しかし彼らはがんを完全にとりのぞくことを放棄した「その場しのぎの手術」をしていると非難された。
 
 わたくしが医者になって病棟ではたらくようになったころも、乳がんの手術といえば、まだハルステット手術が標準であったようにおもう。1980年ごろである。ハルスッテット後百年近くもそれは行われていた。おそらくその論理は以下のようなものであったと思われる。「もしも縮小手術をおこなって、その切除範囲外から局所再発があったら悔やんでも悔やみきれない。それを予防するために可能な限り大きく切除することは医者の義務である。手術範囲を拡大することによって術死がおきたり、術後の経過を著しく悪化させるようなことがあれば問題である。しかし、そういうことがないのであれば、可能な限り大きくとることが非難される筋合いはない。なぜなら医療の最大の目的は生命の保全であって、拡大手術は少なくとも生命の保全にとってマイナスに働くことのない行為である。一人でも多くの生命を救うこと、それが医療の目的であり、それに少しでも資する可能性のあり治療法を追求することはわれわれの責務である。」
 これは高血圧や脂質異常についての治療にもどこか通じる議論であるようにもおもう。治療の閾値を低くすることは、治療によりメリットのえられる患者の比率をどんどんと少なくしていく。高血圧で収縮期を>160を病気とするか(わたくしが医者になったころの基準)、>140、場合によっては>130で切るかによって、本来は治療する必要のないひとがどんどんと治療対象とされていくが、少なくともその一部には治療したことが将来の疾病を予防できているかもしれない。
 そのような治療のメリットを得られるひとがゼロになるまで(あるいは治療のマイナス面がプラス面を凌駕するまで)は軽度の高血圧の治療(あるいは脂質異常症)の治療は正当化される。たしかに大部分のひとには結果的には不必要な治療であったということになるかもしれない。しかし、誰に必要であり誰に不必要であるのかはあらかじめ予見できないのだから、1人の有効のために99人の結果的には治療が不要であったひとが治療されてしまうことはやむをえない甘受すべき事態である、という論理である。
 しかし女性の美容の問題を数値化することは不可能だし(将来の乳がんの危険に備えて事前に乳房切除をおこなってしまうひとだっている。将来のリスクと現在の美容の問題を数値化して天秤にかけることはできない。結局は価値観の問題となってしまう。今おいしいものをたらふくたべるのと将来の健康を天秤にかけると普通のひとはたいてい今のたらふくを選ぶ。患者に偉そうに健康指導をしている医者がアルコール中毒寸前だったりもする。いくらエイズ教育をしても、目の前に美女があらわれたら教育内容は即座に頭から消えるとある企業の海外担当のかたがいっていた。だから物理的防御しかないのだ、と)、結果的には不必要である治療のために患者が割いた時間、高血圧であると診断されたことの心理的な問題(ひとはしばしば服薬をはじめることによって健康人から病人になる)も数量化できない。
 そうするとがんの再発であるとか、脳卒中心筋梗塞の発症という目にみえるイヴェントだけが計測されることになり、それを少しでも減少させる行為は正当化されてしまう。現在は乳がんは温存療法が主流となっているが、外科医は本音では「患者の権利などということがうるさくいわれるようになったからしかたなく温存療法をしているが、ラディカルな手術(乳房以外に大胸筋などまでとる)とまではいわないにしても、せめてシンプルな手術(乳房だけをとる)するのがなぜ悪いのだろう。そのほうが局所再発の率が減るのに」と思っているのではないかと思う。
 近藤誠さんはラディカルな乳癌手術の批判者、温存手術の推奨者として医療言論の場にでてきたひとであった。本書を読んでいると、近藤氏の主張がでてきた背景がよくわかる。しかし、近藤氏の問題は局所に限局したがんというのは実はがんではない「がんもどき」であってなんら治療する必要のない放置していいものであり、すでに局所に限局していないがんこそが本当のがんであり、一部のものを除いては、それはもともと治療することが困難なものであり、治療はしばしば患者を苦しめるだけに終わるのだから、原則がんについては積極的な治療はしないほうがいいという主張をしていることである。たとえば早期胃ガンと診断されたケースがあるとする。これの手術あるいは内視鏡治療後10年生存したとする。とするとこれはがんではなくがんもどきであったということなる。結果が診断を決めるわけで、何か変である。
 だいぶ昔のデータかもしれないが、早期胃がんと診断されたものの5年生存率は95%くらいであるかと思う。そうすると早期胃ガンの95%はがんもどきで5%は本当のがんであったということになる。しかし診断段階ではどちらかはわからない。でもどちらにしても放っておいていいものと、治療がかえってマイナスになる疾患なのであれば、何もしないのがベストということになる。ソクラテスの時代に逆もどりである。
 しかし、おそらくがんもどきというか進展しない、あるいは自然退縮するがんというのもあるのだと思う。がんの最終診断は病理学診断による。細胞の顔つきが悪いか悪くないか。だが同じ標本を見ても日本の病理医とアメリカの病理医の診断は異なるらしい。日本だと胃がんアメリカだががんではないとされることは多いらしい。
 日本はかつて胃がんの多い国であったので、日本の胃がん病理学は世界に冠たるものといわれている。病理医の心理を考えてみる。がんかがんでないか迷った場合、がんであるのにがんでないという診断をした場合と、がんでないのにがんであると診断した場合にどちらのリスクが大きいだろうか? がんをがんでないといってしまって、数年して転移がみつかることは非常にまずい。がんでないものをがんといってしまっても、外科医が安全に手術してくれるなら大きな問題はおきない、と考えることはないだろうか? 外科医への信頼感の有無が病理診断に影響することはないだろうか?
 よく日本の外科医からきくのだが、日本と同じ手術を欧米でやると患者はみな術死してしまうのだという。欧米の医者は胃がん患者が少なくので、胃がんの手術に慣れておらず、広範郭清のようなラディカルな手術をすると手術時間が長くなり、合併症も増え、術死につながるのだという。あいつら手先が不器用だから日本の外科医のような芸術的な手術はできないんだ、ということである。そういう国で病理医をやっているとめったなことでは胃がんという診断はつけられない。絶対に胃がんというものだけ胃がんと診断するという傾向にならないだろうか?
 わたくしの印象では日本の医者(外科医?)は拡大手術やラディカルな手術がとても好きである。技術者として奥義をきわめたいということなのだろうか? そして患者さんの側にも「神の手」信仰というのがある。むかし、逸見さんというアナウンサーが胃がんの再発後に転移巣を根こそぎとるという大手術のあとですぐに亡くなったことがあった。その手術をしたのは大学の教授で確か「神の手」などと呼ばれていたのだと思う。なんと馬鹿な手術をするのだろうと、その当時、報道をみていて思ったものだが、こういう手術をする外科医がいるのである。
 逸見氏は毎年健康診断を受けていて前年には異常なしとされていたものが、翌年には早期胃がんといわれ、実はその時にはすでに転移があったらしい。この胃がんはスキルスといわれるタイプだったという話もあり、医者の常識としてはスキルスは早期発見は不能で発見したときは手遅れとされているから、そうであれば逸見氏の経過は納得できるものなのだが、そうであればあるほど最後の大手術というのが何のためになされたのかが理解できない。(なお逸見氏の夫人と近藤誠氏の対談が「ガン専門医よ、真実を語れ」という本に収載されている。それで一年前に発見できなかったがんが翌年には手遅れとなっているのだから、これは健診の無意味を示すものと近藤氏はしているようである。しかしスキルスタイプのものの早期発見は困難というのは常識であると思うので、この例をもって健診の無意味をいうことはできないと思う。しかし、こういう手術をする医者がいる限りは、近藤氏の論に共感するひとがでてくるのは当然であろう。)
 わたくしの記憶では当時もほとんどの医者はこの最後の手術を無謀なものとみていたと思う。しかしそういうなかにあってもハルステットの後裔はいて、そういうラディカルな医者を神格化するひともまたいるのだろうと思う。
 

病の皇帝「がん」に挑む ― 人類4000年の苦闘 上

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がん専門医よ、真実を語れ (文春文庫)

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