佐村河内氏の曲のことなど(補遺)

 
 佐村河内氏の「交響曲第一番」について少し書いていて、やはりあれが大きな問題になった原因のひとつが《交響曲》を書いたということにあったのだろうかと思った。ヴァイオリンのためのソナチネとかピアノ・ソナタとかを書いただけであれば、あれほどの騒ぎにはならなかったのではないかと思う。
 そんなことを考えながら本棚をみていたら「交響曲の秘密」という本があった。2005年に刊行されたもので、7人ほどの著者のコラムを集めたものの他に作曲家吉松隆氏と指揮者高関健氏へのインタビューをおさめたものである。コラムを書いている方々はおそらくかなりの音楽オタクなのではないかと推察される。
 さてこの本によれば「交響曲」というのはベートーヴェンからはじまる。そしてマーラーをへてショスタコーヴィッチにいたる。ベートーヴェン以降の音楽は「純音楽系」と「不純?音楽系」のふたつにわけられる。
 いわく「偉大なるベートーヴェンの影を仰ぎながら、やがて到来するワグネリズムの波をくぐり抜けながら、調性の崩壊と機能和声の終焉に立ち会いながら、交響曲という楽曲形式がいかに生き長らえていったか」また「残された交響曲を順にたどることで、その作曲家の創作活動の軌跡にとどまらず、人生行路までもが鮮やかに浮かびあがってくるような「シンフォニスト」として、ショスタコーヴィッチはおそらく歴史上最後の存在になるのではないか。」
 佐村河内氏の「交響曲」が話題になったとき、そこでの交響曲という言葉が喚起したイメージはハイドンのものでもモツアルトのものでもなく、ベートーヴェン以降のものであると思う。
 「交響的概念」という言葉があるのだという。ドイツ語の das Symphonische で、他言語での言い換えが困難なきわめてドイツ的な概念であり、それは間違いなくベートーヴェン交響曲、特に第五番「運命」によって、19世紀のロマン主義時代に形成されたという。そこに求められるものはまず「記念碑性」であり、娯楽音楽ではなく「音楽の最高位」にあるものである。さらに「大形式」が求められるが、大きければいいというものではなく、曲の開始の時点からゴールを目指すような発展プロセス「論理的構築」が求められる。さらには「崇高さ」や「精神的高み」なども。
 佐村河内氏の「交響曲」が一部の音楽愛好家から熱烈に歓迎されたのは、そういう人たちが「交響的概念」を具現した音楽を長らく希求していたのだが、それをみたす作品がようやくあらわれたと思ったからなのであろう。
 シューベルトシューマンブラームスブルックナーマーラーもみんなベートーヴェンを意識したのであって、ハイドンやモツアルトは眼中になかっただろうと思う。(バッハは意識した?)
 今日、多く演奏される交響曲、フランクやサン=サーンスドヴォルザークシベリウスエルガー、あるいはチャイコフスキーラフマニノフにわれわれが求めているのも、「交響的概念」に通じるなにかなのだと思う。(このなかで、わたくしはサン=サーンスだけはどうもだめで、内容空疎であるような気がする・・というような言い方ももちろん「交響的概念」という見方に毒されているわけである。ドヴォルザークは形式的にしまりがないように思う・・というのもまた「交響的概念」からの見方だろうか?)
 どうも交響曲をきいているときに、われわれは音楽だけをきいているのではなく、音楽+αをきいているように思う。このαというをうまく言葉にできないのだが、たとえば「精神の運動」とでもいった何か。
 さらに+αを除いた「音楽」の部分もふたつにわかれて「歌」と「構造」。「歌」がイタリアで、「構造」がドイツ。音楽というのはそもそもは歌と踊りからでてきたことは間違いないわけで、そこを第一に考えれば音楽の頂点はオペラということになるのかもしれない。オペラの中心はイタリア。一方、交響曲の本場はドイツ。
 もしも音楽の本質を歌と考えるならば、音楽の本場はイタリアであり、ドイツ音楽は音楽それ自体だけで曲を完結させる才能の欠如した音楽家がそれを隠蔽するために理屈で補強してつくりあげたものということになる。
 また歌や踊りは感情や喜怒哀楽と直結する。一方、構造は知性とか精神といったものと結びつく。もしも人間を人間たらしめているのが知性とか精神といったものであるのならば、ドイツ音楽こそが人間の高級な部分と結びついたものであることになり、イタリア音楽などは感情という人間の原始的な部分の表現にすぎないことになる。ヴェリズモ・オペラなどといっても所詮痴話喧嘩の話ではないか。
 感情や精神をふくめた人間の情動すべてに対応する音楽それが交響曲なのであるという見方もあるかもしれない。しかし感情というのは原始的なものであるがゆえに、しばしば危険な情動と直結してしまう。たとえば愛国心、あるいはアーリア民族の優越。ワーグナーの音楽はたしかにわれわれの情動をゆさぶるかもしれないが、だからこそナチスにも利用されてしまった。
 戦後一時期の音楽がおよそ無機的というか冷たいというか、われわれの情動にうったえるようなものが何もないようなものになってしまった時があるが、それは戦争での音楽利用への反省、感情をゆさぶる音楽への強い警戒からであったというようなことを読んだことがある。情動をゆさぶるなどというのは音楽のもっとも低級でかつ危険な部分なのであるから、そういう音楽に付加している余計な部分、ある意味では危険な部分をとりのぞき、音楽それ自体、音それ自体のみに依拠した構成物をつくる、それが作曲家のめざすべき方向であるというのが一時期の現代音楽の方向になっていた。
 ある作曲家のひとがいっていたけれども、ブーレーズピアノソナタなど譜面を見るととても面白いのだそうである。聴いても面白くないが譜面をみると面白い音楽! 究極の知性の産物!
 どういう経緯でかは忘れてしまったが(おそらく友人にさそわれて?)(たぶん)「二十世紀音楽研究所」でのブーレーズの「ル・マルトー・サン・メートル」の(おそらく)日本初演をきいたことがある。ブーレーズの名前を世にしらしめた名曲なのだそうである。内容はまったく記憶にないが、ただ覚えているのは変な編成での音楽であったということと「これが現代音楽なのだ!」と思ったことだけである。このようなセリーによる作曲技法は現在ではもはやそのままでは用いるひとはいないであろうが、多くのひとがイメージする現代音楽の像をつくりあげていると思う。
 佐村河内氏作とされる音楽を実際に書いたとされる新垣隆氏は you tube でのわずかな映像からの印象では高揚しない音楽、音の戯れとしての音楽を志向しているひとであるように思われ、現代音楽の嫡流のひとと思われる。そして現代音楽の本流がもつ音楽概念の対極にあるのが「交響曲」というイメージであり das Symphonische という概念なのである。
 それならば、誇大妄想とも自己陶酔ともまったく無縁のようにみえる新垣氏がケケッと笑いながら佐村河内氏の代作をしていたのかというと「鬼武者」とか「バイオハザード」とかいう音楽ではその気がかなりあるように思うが、「交響曲 第一番」では必ずしもそうとはいえず、「バイオリンのソナチネ」などは非常に真剣に書いているように思える。それは「交響曲 第一番」ではまだ濃厚につきまとっている das Symphonische が小品である「バイオリンのソナチネ」では薄いため、純粋に音楽の(音の)論理だけでそれが作られているということがあるのだろうと思う。もちろん、そこには新しいものは何もない。しかし、かつてある作曲家によって書かれていてもよかったのかもしれない曲、シューベルトメンデルスゾーンの後に生まれたが、その音楽にあこがれ続け、一生無名の音楽教師のままでおわったひとの残していた作品というようなものとしてならありえるかもしれない、そんな曲になっているように思う。
 問題は「交響曲第一番」である。その設計図?といわれるものを書いたのが佐村河内氏であるとすれば、かなりの音楽についての知識をもっていて自分なりの曲のイメージを持っているひとであることは確かである。そうではなくかりに奥さんのものであったとしても、それは同じである。そしてそのイメージが das Symphonische に通じる何かであることも間違いない。一方、+αをもつ音楽を否定して音だけからなる音楽を追求してきたであろう現代音楽の王道にいるであろう新垣氏にとって das Symphonische というのがどういう風にみえるのだろうかというのが一番わからないところである。代作は単なる「課題の実施」であったのだろうか? 純粋に本業の外の息抜きの遊びとして知的作業として楽しかったというだけなのだろうか? もう少し真剣な何かというのがなかったのだろうか? 知り合いや仲間内以外のまったく未知の聴衆にはとどく可能性がほとんどない音楽を書くことに飽いて、もう少し聞き手がみえる音楽をかくということはあるかもしれない。しかし、もともとこのスコアをつくっている段階では実際に音になることはほとんど想定外であったはずである。とすれば楽譜を書きながら自分の頭の中だけで鳴っている音楽をきいている時、それは過去のさまざまな音楽家の語法の二番煎じ三番煎じ、手垢にまみれた手法の模倣の作業としていっこうに気乗りのしない、それでもこの真似方はうまいだろうといった知的な楽しみだけはあるというものであったのかということである。
 ここからはまったく根拠のない想像であるが、何か+αがあったのではないかと思う。日々の喜怒哀楽、普段書いている曲はそういったものとはまったく無縁なのではあるが、いま代作しているものはそういうものと無関係とはいえないものである。そういう何かが知らないあいだに曲のどこかにあらわれてしまい、そういうものが一部の聞き手の共感をさそった、そういう部分もないとはいえないと思う。
 この「交響曲の秘密」の面白いところは、ヴォーン・ウイリアムズからアイブス、オネゲルからヒンデミット、ペルトからルトスワフスキーまでのかなりマイナーな作曲家の交響曲までとりあげられている点で(だからオタクの書いた本だと思う)、コラムではシチェリドン、シュニトケからヴァインベルクといったきいたことのない作曲家まで(ソ連)、ロイ・ハリス、W・シューマンやダイヤモンド(アメリカ)までが論じられている。わたしがたまたまロイ・ハリスの名前を知っているのはバーンスタインの「音楽のよろこび」のなかにその第3交響曲の出だしの旋律が引用されていたからで、4分の4拍子 Con moto 調性の記号はないがト調? DED|DBGA|CBBD|GED−|というとんでもなくシンプルな旋律、現代音楽だからこれに変梃な和声がつくのかと思っていたらユニゾン! まあいろんな音楽がある。
 とんでもないひともいて、セーゲルスタム(フィンランド)なんてひとは本書によれば2005年の時点で作曲した交響曲123曲、実はこのひと指揮者でもあって、ある時日本に指揮にきていて、その演奏(シベリウスの2番?)をきいたあとホテルのバーで飲んでいたらそこに本人がやってきた。一緒にいた友人が勇敢にも「指揮をして作曲して、時間をどうつくっているのですか?」というようなことをきいていた。返事の内容はよくわからなかったが、「旅をすると曲ができる」というようなことをいっていたように思う。今では交響曲の数はさらに増えていたのではないかと思い、ネットでみたら、2013年の時点で270曲! 月に1〜2曲作っているのだろうか? いろいろなひとがいる。
 今回の事件をみていると、《難解でわけのわからない(聴き手のいない)現代音楽》対《後期ロマン派の香りがする現代へのメッセージをもった(聴き手の待望していた)音楽(残念ならが代作だったけれども)》という二項対立的な構図が強調されているけれども、20世紀になってからもあいかわらず交響曲などと題した曲を臆面もなく発表していたひとも少なからずいるわけで、そういう作曲家が das Symphonische に対してどういうスタンスをとっていたかはさまざまであるにしても、そうそうすっきりした対立の構図にはならないことも忘れないようにしたほうがいいだろうと思う。(代作者の新垣氏がもろ現代音楽の畑のひとであったので、その構図が目立ってしまうのだが)
 ついでにいえば、現代日本においても「交響曲」と題した曲を発表している作曲家だって少なからずいるわけで、それについても機会があればまた書いてみようかと思う。たとえば「交響曲の秘密」で吉松氏は「交響曲というのは「寄席」みたいなものだと思うのね。テケテケテンと始まる前口上がイントロで、最初のつかみで出てくる落語がアレグロ。続いて人情話かなんかでほろっとさせるのがアダージョ。趣を変えて手品かなんかで一息入れるのがスケルツォ、最後に真打ちが出て来て締めたり大勢で陽気に盛り上げるのがフィナーレ・・。あるいは4コマまんがの起承転結と同じともいえるし(笑)。ソナタ形式なんて、関係ない」といっている。また自作の第2交響曲の解説で「音楽はすべて基本的にはレクイエムのような気がする」といい、第3交響曲では「(交響曲とは)「オーケストラという音響合成システムで紡がれた巨大な質量とエネルギーを持つ音の構造物」であり「作曲家というひとりの人間の内部に仕込まれた音楽の記憶のすべてを収斂させた情念の複合体」といっている。
 情念などという言葉が臆面もなく出てくるのであるから、新垣氏の音楽とはまったく方向が違うことは明らかである。佐村河内氏とは共鳴するであろうか? 佐村河内氏はたしかにいろいろな情念が渦巻いているひとのようである。
 

200CD 交響曲の秘密

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音楽のよろこび

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