[読書備忘録 ソーントン不破直子「戸籍の謎と丸谷才一」 第1章「戸籍制度のある国」

 
 丸谷才一氏は「文学のレッスン」・・湯川豊氏を聞き手として「私はこう感じる、どんなもんだい」と滔々と語った本・・ちなみにわたくしはこういう聞き手に語るというスタイルが「持ち重りする薔薇の花」の梶井という財界のお偉方が野原という聞き手に語るという形にそのまま反映していると思っている。これが丸谷氏の晩年の様式だった・・で、川村二郎氏の論「学問とエッセイがそれぞれ一つの円であるとすれば、学問という円とエッセイという円、二つの円が重なった部分が批評である」とする論を紹介して(p147)、これが批評の原理を端的に説明したものとし、川村氏自身の批評がそういうものだったといっている。だが、学者である不破氏は、丸谷氏のエッセイあるいは評論をそういうものとはみとめない。前回にも引用したが

 (元)学者のはしくれから言わせてもらうと、評論や随筆ほどいいかげんな書きものはない。「評論」は、学者の研究成果を自分の考えに融通無碍に取り入れて、ドキュメンテーションもあってなきがごとしの不備だらけ(人名しか言わず、何年の、どの著書の、何ページかを言わず、おまけに正確に引用せずに自分に都合よくパラフレーズする)のようなものでも堂々と刊行される。・・・(学者は引用符と注だらけの学術論文を読んで満足し、素人はすっきりと流れる評論でないと満足しないのだ。)「随筆」とは、これまた、、客観性と論理性をむしろ忌避し、「私はこう感じる、どんなもんだい」というスタイルが受ける。どちらもいいかげんな書きもののトップである。・・「寡作の小説家」と言われる丸谷才一さんも、圧倒されるように精緻な構成と技巧の小説を彗星さながらの長い周期で世に出してくる一方で、夜ごとの星々のようにおびただしい数の随筆を書いて、「わたしはこう思う。どんなもんだい」と嘯いている。実は、(元)学者の私も、学術書を書くよりもずっと楽しいので、こんな本を書いて気分爽快だ。学術論文でこんな独りよがりの、いいかげんなことを書いたら、即「不採用」と決まることは、学術誌の編集委員を務めてきた私自身がよく知っている。(p257〜258)

 「文学のレッスン」の「はしがき」で丸谷氏は「吉田健一の「文学概論」には舌を巻く思ひだつた」(p7)といっているが、吉田の「文学概論」は引用に充ち充ちているにもかかわらず、その引用はかなりいい加減なのだそうで(原典にあたらず自分の記憶で書いているところがたくさんあるらしい)、まさに評論あるいは批評であって学問の書ではない。
 丸谷氏は、「文学のレッスン」のp191で、「鴎外は、小説というのは何をどう書いてもいいのだといっ」たとしている(よくきく話だが出典はしらない)。しかし、何をどう書いてもいいなどといわれても困る。何を書いたらいいのか雲をつかむような話である。多くの場合、小説をたくさん読み、それを面白いなあと思ったひとの一部が自分でも同じようなものを書いてみたいと思って小説家になるのであろうから、何かを書く核は過去の読書の記憶なのであろうが、ある小説を面白いと思ったこと自体が、その読者が何者であり何者でないかを知らせるということはあるかもしれないわけで、その書いたものには当然、そのひとが現れてくることになる。
 だが、同じ本が別の人間にはまったく面白くないということはありうる。本というのは印刷した紙を束ねたものであるが、客観的実体としてはそこにあっても、そこに印刷されたテキストは、読者に同じものとして受容されることは決してない。だから、文学を対象として学問が成り立つだろうかという疑問が当然生じる。19××年に出版された○○という小説の157ページの右から3行目にある「△△」は実が誤植で「□□」が正しいというような学問はありうるであろう。書誌学というのはそういうものなのかもしれない。福原麟太郎氏のトマス・グレイ研究などというのはそういうものだったらしい。しかし、この小説で作者は何をいいたかったかなどというのが学問になるだろうか? それは、評論どまりであっても学問にはならないのかもしれない。
 吉田健一は「文学の楽しみ」の「大学の文学科の文学」で、

 文学は学問ではない。ここが大事である。そうすると、ギリシャやロオマの文学のように用語が死語であり、その文学が書かれた当時の制度その他が凡て今日と違っていれば、作品を理解する為にもそれが書かれた言語のみならず、その時代の歴史、地理、風俗、貨幣制度までの知識が必要になり、そこに古典学が成立する。つまり、読む為の予備知識をなしている部分が学問になり、後は読むものが自分でやるいう訳で、事実、古典学者は批評することをアリストテレス辺りに任せてその方のことはあまり言わなかった。併し英国で英国の文学の講座を大学に設けるということになると話が違ってくる。・・学者は或る程度養成出来ても、批評は文学に属することで、英国の大学でも折口信夫を英国人にしたようなのがいつでも、どこでもいた訳ではなく、想像力というのか、文学に対する理解というのか、要するに、人間を文学に引き寄せるものが足りない大学の教授や講師がそれを補う方法もないので、文学を真面目に、文字通りに取る方に傾き、その考えを書いて批評家にもなった。(講談社文芸文庫版 p11〜13)

といっている。
 さらに困ったことには、小説家がある小説を書いた本当の理由というのはそれを書いた当人にもわかっていない、それを解明するのが評論家の仕事とするような風潮もあることである。小林秀雄が「様々なる意匠」で「批評の対象が己であると他人であるとは一つのことであって二つのことではい。批評とは竟に己の夢を懐疑的に語ることではないのか」とかいったのが後世に祟ったので、他人をダシにして自分のことを語るというのが評論であることになってしまった。
 「文学のレッスン」のp153で、丸谷氏は「小林秀雄の文章は威勢がよくて歯切れがよくて、気持がいいけれど、しかし何をいっているのかがはっきりしない。中村光夫山本健吉の文章が歯切れのよさという点では小林秀雄に劣るかもしれないが、少なくとも何をいっているのかはよくわかる」といっている。これは当然で、小林秀雄の文章は内容ではなくて語り口が大事というものなのだから、啖呵の切り方にシビレるひとにはいいかもしれないが、何かを考えようとするひとには困るものなのである。論理ではなく飛躍に依存するほとんど詩に近いものである。
 さて丸谷氏は同書のp155で「欧米のほんとうの学者というのは、知識も膨大だし、文学的視野がものすごく広いし、さらには文学的感受性が十分に鋭い」といっている。折口信夫を英国人にしたようなのはいくらでもいるぜということなのであろう。そして、おそらく丸谷氏も自分もそうなんだぜ、といいたいのであろうが、文学的視野と文学的感受性はいざ知らず、知識が膨大というのはどうなのだろうと思う。河出ムック「丸谷才一」で池澤夏樹氏が「あるとき、僕に向かって丸谷さんが、「まあ、僕たちジャーナリストはみんな一夜漬けなんだよ」と言ってくれたことがありました。本当に安心しましたね。よかった、俺だけじゃないんだと思って」といっているが(p64)、こっちのほうが本当なのだろうと思う。学者が読む本の量というのは半端ではないはずで、小説家兼批評家が読む量とは桁が違うはずである(たくさん読めばいいというものではないにしても)。
 吉田健一などは若いときにケンブリッジなどで「欧米のほんとうの学者」に触れてしまったために、日本に帰ってきてまわりで文学といわれているものがあまりにそれとかけ離れているので、驚いて、動きがとれなくなってしまったのではないだろうか? もちろん、まだ未熟で自分の言葉を持てなかったということが一番大きいのであろうが。
 本書の第一章「戸籍制度のある国」では、「日本人は七世紀後葉に、中国をまねて「戸籍」という制度を採用したが、それをさまざまに変形・洗練させつつ名称も変え、その本来の用途を超えて、可死性への挑戦の一つの手段にしてきた」(p23)というテーマが提示される。「本書はその戸籍制度の謎を、一人の現代作家の作品を通して解き明かそうとするものである」と書かれる(同ページ)。
 それならば、本書執筆の目的は「日本の戸籍制度の謎」の解明なのであり、丸谷作品の解読はそのための手段なのだろうか。ところが「戸籍制度の謎」を探るのも、もっと大きなテーマ「可死性への挑戦」という問題を考察するための一つの手段であるようでもある。「可死性」というのは耳慣れない言葉であるが、ラテン語の mortalitas や英語の mortality であり、従来から「死ぬべき運命」といったように訳されてきたが、最近はそれが「可死性」と訳されるようになってきているということで、本書は「日本人がどのように可死性を受け止め、克服しようとしてきたかを考えることを一つの端緒としている」と書かれている(p22)。「可死性」が「人間が死すべきもの」であることなら、どうすれば不死性 immortality を得られるかを古来から人間はもとめてきたのであり、「現実には人びとは死んでいくのだが、それを、死んではいないのだ、生き続けているのだ、と考えられる方法」を求めたということがいわれる(p23)。
 そこからまず西欧の可死性への対応ということが概観される(p23〜p46)。ギリシャでは「循環の概念」(生命は有限であるが、それを構成する万物を構成する元になる物質は循環していくといった見方)と世代の継承という「人間は個体としては生成消滅の過程を逃れられないのだが、「種」としての人間は時間と同様に不死性をもっている」とする見方の二つがあったことが提示される。「循環と直線の併存」である。しかし、キリスト教がはいってくると、循環は排除され直線のみとなる。
 その後で、丸谷氏の初期の中編「彼方へ」が論じられることになる。これは「西欧における人間の不死性の希求の跡を、ごく普通の現代人の意識にたどっている」のだとされる(p46)。そして以後もこのテーマは丸谷氏の小説や評論にくりかえし顔をのぞかせることになるという(p53)。それは結果的に多くの場合、日本で特異な発展をとげた戸籍制度への対応あるいは対峙という形で作品化されていくといわれる(p53)。そこから今度は日本の戸籍制度の概観となる(p55〜p68)。そこでは当然「家」意識も議論される。
 「可死性」とか「不死性」とか「家制度」とかいった問題を論じるあるいは考える場として小説というのがふさわしいのだろうかということが問題となる。
 大分以前であるが「彼方へ」を読んだときの印象はつまらない小説だな、というものであった。つまらないというのは主人公に魅力がないということである。何をやっても自分がいずれ死ぬのだと思うと空虚であるといった人間は魅力がない。小説というのは、いずれあるいは明日にでも死ぬかもしれない人間が、そんなことはぜんぜん念頭になく、目の前のできごとにあくせくばたばたしている人のを描くものなのではないかと思う。そういうのが生命力というものであって、「彼方へ」にでてくる人物たちは生命力が希薄である。あるいは類型的な人物であり、不破氏がここでやっているような形で説明ができてしまう。
ウォーの「黒いいたずら」の「解説」で訳者の吉田健一は、

 この小説には、何々はというものは、ということがない。それは先入主が働いていないということと同じであって・・そこに小説家の、あるいは文章家の想像力と統計の違いがあって・・このウォーの創造物を前にして、われわれはその生気に感じ入るばかりである。こういうのを型破りというのだろうか。しかし型にはまったものなどというのは二流、三流の小説家の頭にしかないものなのである。(白水Uブックス版 p308)

 といっている。どうも「彼方へ」の登場人物はみな型にはまっているように思える。
 しかし不破氏は「彼方へ」を読んでとても面白そうである。不破氏には丸谷氏を読む以前に死生観についていろいろと考えていたということがあり、その死生観を背景に「彼方へ」を読むと他の読者にはみえてこないような点がいろいろと見えてくるということがあるのではないかと思う。
 それなら丸谷氏自身はなぜ「彼方へ」を書いたのだろう。本当のことは丸谷氏自身をふくめ誰にもわからないのだろうが、「知識人」を描いてみたかったのではないだろうか? その内面の空虚のようなものを描いてみたかったのだと思う。それは丸谷氏自身にも自覚しているものなのだろうが、その空虚を埋めるものとして丸谷氏には「文学に淫する」という楽しみがあった。
 わたくしから見ると「文学に淫する」ことも可死性への対抗の一手段なのである。何も戸籍とか子孫を残すといった方向にいくこともないはずである。
 わたくしは小説というものは、近代における個人の成立の賜物だと思っている。

 芸術を、なかんずく小説を考慮することなしに、ひとつの世紀の精神を、もっぱらそのもろもろの観念や理論的概念にしたがって判断することはできません。十九世紀は機関車を発明しました。ヘーゲルは普遍的「歴史」の精神そのものを把握したと確信していました。フローベールは愚かさを発見しました。私はあえて申しますが、これこそ、おのれの科学的理性をかくも誇りに思っていた世紀の最大の発見です。・・フローベールの愚かさに対する見方のなかでもっともショッキングでもあれば、またもっとも言語道断なことは、愚かさは、科学、技術、進歩、近代性を前にしても消え去ることはないということであり、それどころか、進歩とともに、愚かさもまた進歩する!ということです。・・この芸術は、だれも真実の所有者ではなく、しかもだれでもが理解される権利をもっている、あの魅力的な想像的空間を創出することができました。この想像的空間は、近代ヨーロッパとともに生まれました。それはヨーロッパのイメージであり、というか、すくなくともヨーロッパに抱く私たちの夢です。この夢は何度も裏切られましたが、しかしそれでも、私たちのちっぽけな大陸をはるかに凌駕する友愛に私たちすべての者を結びつけるに足りるほど強固なものです。・・個人の尊重、個人の独自な思想と侵すことのできない私的生活の権利の尊重、このヨーロッパ精神の貴重な本質は、私には金庫ともいうべき小説の歴史のなかに、小説の知恵のなかに預けられているように思われるからです。(クンデラ「小説の精神」p189〜192)

 そして国とか家というのは個人と対立するものである。「エホバの顔を避けて」も「笹まくら」もともに国家(あるいは集団や政治)対個人を描いたものである。しかし、その関係においては絶対に国家が強く個人は弱い、しかし自分は個人であることあるいは自分であることを守りたい。その緊張感が「エホバの顔を避けて」や「笹まくら」を張りのあるものとしていた。しかし「たつた一人の反乱」以降、うまくやればゲリラ戦や奇襲作戦や搦め手戦術で個人だって国家に一泡ふかせることもできるかもしれないと思いはじめたのではだろうか。そうすると緊張感がなくなってくる。
 丸谷氏には、ひょっとすると俺は自分の戸籍上の親の子供ではないのではないかという疑念が個人史的にあり、それが丸谷氏の作品に潜在するもう一つのモチーフになったということがあるのではないかというのは不破氏の指摘のとおりであると思う。「個人対国家」の問題と「実の親」問題は別の問題ではないかと思うのだが、不破氏はアメリカ留学と国際結婚という個人史的理由で国家と戸籍の問題が自分のなかで結びついたため、問題が氏の中で一つになったということがあるのではないだろうか?
 そして不破氏のなかでは文学を学問の対象にしている人間である自分というもう一つの問題があり、それが本書の通奏低音になっているように思う。あまり多くのひとには読まれることのないが厳密な学問的手続きを踏んで書かれる学術論文と、ある程度の数の読者は想定できるがいい加減で学問的手続きはほとんど皆無であるような評論文という問題である。
 そのことはまた追々考えていくことにして、可死性と戸籍という問題は第2章『年の残り』で検討されることになる。
 (今回、試みに。引用の場合、書名だけでなくページまで書いてみたが、それでもちろん少しでも学問的になっているなどということはなく、ここにあるのは、相変わらずの批評でも評論でもないたんなる雑文である。)

戸籍の謎と丸谷才一

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文学のレッスン

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持ち重りする薔薇の花

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文学の楽しみ (講談社文芸文庫)

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丸谷才一 (文藝別冊)

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彼方へ (1977年) (集英社文庫)

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小説の精神 (叢書・ウニベルシタス)

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