今日入手した本

ケンブリッジ帰りの文士 吉田健一

ケンブリッジ帰りの文士 吉田健一

 偶然書店で見つけた本。著者については何もしらないが、1948年生まれということだから、ほぼわたくしと同年齢である。わたくしと同じような健一信者のようである。
 中学を出たばかりのときに神田の一誠堂書店で垂水書房版の著作集を買ったのが最初なのだという。わたくしが神田の古書店で大量に店頭で店晒しにされている垂水書房版の著作集を見たのは大学の専門課程に進学した後だったような記憶があるから同じくらいの年齢といっても、随分の違いである。
 吉田氏推奨の本をいろいろ読んだとあって、矢田挿雲の「太閤記」を読んだとある。わたくしは「太閤記」は読まなかったが「江戸から東京へ」はかなり読んだ。柴田天馬版の「聊齋志異」も読んだと。わたくしは買っただけに近いがまだ本棚の片隅にあるあずである。
 そういうことで大いに親近感のもてる著者であるが、ざっと流して読んだ印象では、書いてあることは吉田信者にはあまり新しいと思える部分はないように感じた。
  片山氏の本は、音楽の方面も面白いが政治方面のものを最近は読んでいた。氏は音楽では近現代の音楽や日本の作曲家あたりを一番の守備範囲とするかたで、比較的日本の作曲家のものを聴いているわたくしとしては話があう。わたくしが日本の作曲家のものを比較的聴くようになったきっかけというのをもうよく思い出せないのだが、何だか明治維新に西洋を受け入れた日本の健気さの象徴というのか、西洋音楽が少しは日本のものになってきたのは明治の半ば以降であろうが、そのころベートーベンとかを一生懸命日本の作曲家あるいはその志望者は勉強していたのであろうが、一方、その当時西欧ではどんな音楽が作曲されていたかを考えると、何だかその可憐さに胸がうたれる。当然、日本の作曲家には西欧の音楽技法を学びならがもそこに「日本」」をどのように入れるかということに腐心することになったわけだが、今から振り返ると、西洋と日本を折衷しようとした曲はあまり面白いものはなくて、西欧か日本かどちらかに偏った曲のほうにずっと面白いものがあるように思う。片山氏は伊福部昭などが大好きなようであるが、わたくしなどは最初に伊福部昭の曲を聴いたときには「あっ、芥川也寸志の真似!」と思ったものであった。ひどい話で、もちろん芥川のほうが伊福部の真似なのであるが、先に芥川のほうを聴いていたのである。もちろん、伊福部は日本派。一方、諸井三郎などは西洋派。今、山田耕筰の「曼珠沙華の華」を聴きながら書いているが、本当に日本人はよく勉強するというかわずかの時間に後期ロマン派まで自分のものにしてしまっている。山田も西洋派なのだろうなあ。でも日本の歴史をたどると、そのどこにもバッハもモツアルトもベートーベンもシューベルトブラームスもいないのである。日本の西欧受容のさまざまな問題というのは日本のクラシック音楽の世界に集約して現れているのではないかと思う。最近話題の佐村河内氏の問題などもこの点を離れては語れないのではないかと思う。この問題については片山氏の見解をぜひ聞いてみたいと思う(どこかで既に語っているのかもしれないが)。
 本書はそういう片山氏がバッハ、モツアルト、ショパンワーグナーマーラーという作曲家からフルトヴァングラー、カラヤンクライバーからグールドまでの演奏家について語った氏の普段の守備範囲から離れた本になっている。「カラヤンの演奏は二十世紀後半のブルジョアの夢を記録しています」と氏はいう。二十一世紀はブルジョアの夢がしぼんでいく時代になっていくのであろうから、クラシック音楽というのはどうなっていってしまうのだろうか? オペラは19世紀のヨーロッパの夢のエッセンスかもしれない。それがようやく少しほんの少し日本に(徒花として?)根を張ってきつつあるのかもしないのが皮肉である。クラシック音楽が保護すべてき古典芸能のようなものになっていってしまうとすると、西欧のものは保護する理由はあっても日本のものはその理由をみつけるのが難しい。それでも100年の歴史はそれなりのものではあるので、やはり残していくべき遺産ということになるのだろうか? (曲は変わって諸井三郎の第二交響曲。これが1938年ごろに書かれていたわけである。)
 
NHKスペシャル 病の起源 うつ病と心臓病

NHKスペシャル 病の起源 うつ病と心臓病

 この本はまだ目も通していない。理科系の学問では《いかに?》は問うてもいいが、《なぜ》ということは問うてはいけないことになっている。それを問うと神様がでてきてしまうから。唯一それに答えうるのが進化からの見方で、このNHKのシリーズは、病気を進化の観点からみることをしている。目次をみていると格差医学の観点もはいっているようである。