ソーントン不破直子「戸籍の謎と丸谷才一」 第4章 徴兵制のあった国 第5章 「笹まくら」 第6章 「裏声で歌へ君が代」の裏にあるもの

 
 本書のタイトルに「戸籍」があるのは、戸籍のもつ二つの側面(徴発と課税のためという国家からみた側面と、個人にセルフ・アイデンティティをあたえるという私的側面)を本書は考えようとしているからである。不破氏によれば、戸籍制度は東アジアの中華文化圏に特有のものである。それは戸籍の持つ私的側面、セルフ・アイデンティティの側面が西欧の制度ではみられないからである。
 不破氏によれば、古代に労働者としての徴用のためにつくられた戸籍制度は、その後むしろ個人アイデンティティの側面で日本人に意識されてきたが、明治国家となって、ふたたび徴兵のための制度という側面を担うようになった。
 丸谷氏の作品に、1)徴兵忌避をあつかったものと、2)自分は親の本当の子ではないのではないかというテーマをあつかったものが多いことを不和氏は指摘し、丸谷氏が次男として生まれていながら才一という名前をつけられていることからその原因を考察していく。当時の制度において養子は徴兵の対象とならなかった。父が将来、徴兵逃れのために養子に出すことを想定して才一という名前をつけたのではないか? そしてそこから、「彼(丸谷才一)は父と母の実子であっても、幼い時に他家に養子に出された、あるいは戸籍上だけでもそのように扱われた、あるいはもっと譲ってそうなる可能性があった、ということではないか。そして、現実には結局彼は生みの親の元に戻って育ったという、漱石の幼少時代を思わせるような状況が彼にもあったのではないか。もしそうなら、自分が生みの親に戸籍上の親子関係を絶たれるということは、親が彼自身を徴兵から護る方便としてやったにしても、自分は両親から距離を置いた位置にあり、その一方で世間に対しては卑怯なことをしたと感じたのだろう。その感情が上記のような作品の結実したと私は想像する」ということをいう。
 それからもう一つ、丸谷氏が昭和18年3月に鶴岡中学を卒業したあと、4月に上京して翌年春まで東京の予備校に通い、昭和19年4月に旧制新潟高等学校文科乙類に入学し、昭和20年3月に徴兵により山形の連隊に入営しているという履歴も問題にする。すでに学徒出陣がおこなわれていたとしても、学生は徴兵にかんして一般人よりは優遇された。そして父が医者であったので医者の道をえらべば、入営延期が期待できたのにあえて文科を選んだという選択をした丸谷氏の微妙な行動を考察する。学生であることは選んだが医者の道は選ばなかった。明確な徴兵忌避の行動はとっていないが、微かな徴兵忌避を選んだ? (辛くしてわが生き得しは彼等より狡猾なりし故にあらじか 岡野弘彦 岡野氏は丸谷氏の歌仙仲間であるはずである。わたくしの父は医者であったが、医者という道を選んだことについて徴兵の問題がかかわったのか、生前、ついぞきいたことはなかった。というより、戦争の体験について一切、話さなかった。南方の島にいっていたのだが。)
 丸谷氏の履歴自体は事実であるが、それが丸谷氏の作品にあたえた影響というのは不破氏の完全な想像の産物である。そういうこともあるかもしれないなという程度には説得的にかかれているが、それを知ることによって「笹まくら」や「裏声・・・」といったテキストが違った相貌のものに見えてくるかといえば、わたくしにはどうもそうは思えない。
 わたくしには「エホバの顔を避けて」や「笹まくら」に共通するテーマは逃げるということであって、何から逃げるのかといえば、「政治」あるいはなにか「武ばったもの」、総じて「強いもの」「なにかを強制してくるもの」であって、そこで響く声は「放っておいてくれ!」「自分にかまわないでくれ!」というものなのだと思う。そして、憲法第9条もまた「放っておいてくれ!」「かまわないでくれ!」と世界に対して叫ぶものであるとわたくしは思うけれど、「エホバ・・」や「笹まくら」が日本の憲法を意識したものだとは少しも思わない。そういう個別の問題ではなく、もっと普遍的な問題、何らか公的なもの政治なものを前にした個人の絶対的な弱さ、エルサレム賞受賞講演で村上春樹氏がいった言葉を使えば「高く堅牢な壁と、そこにぶつかれば壊れてしまう卵」といったことをあつかっているのだと思う。弱い、とても弱い存在、しかし、それでも・・・。
 あるいはサルマン・ラシュディのいう「安逸な日常生活、ぬるま湯につかった平和、ただの自由、日常生活のうちに生きる「公の場でのキス、ベーコンサンド、意見の対立、最新流行のファッション、文学作品、寛大さ、飲み水、世界の資源の公平な分配、映画、音楽、思想の自由、美、愛」といった、ささいでありふれた自由である(加藤典洋「ポッカリあいた心の穴を少しずつ埋めてゆくんだ」所収の「ポッカリあいた心の穴」で紹介されているラシュディの「日常生活に戻ろう」から)。
 それは「ヨーロッパの生みだしたもっとも美しい幻影のひとつである、個人のかけがえのない唯一性という、あの大いなる幻影」(クンデラ「小説の精神p10)の産物である。だからこそ「小説はヨーロッパの産物」(同p6)ということになるのだが、「しかし、個人が尊敬される世界(小説の想像世界と、ヨーロッパの現実の世界)がもろくはかないものであることを私たちは知っています」という現実がある。そうだとすれば、「個人の尊重、個人の独自な思想と侵すことのできない私的生活の権利の尊重、このヨーロッパ精神の貴重な本質は、私には金庫ともいうべき小説の歴史のなかに、小説の知恵のなかに預けられているように思われる。(同p192)」ということになる。(なお最後の引用は村上氏と同じエルサレム賞の受賞講演からである。)
 フォースターがいうように「偉大な創造的行為やまっとうな人間関係は、すべて力が正面に出てこられない休止期間中に生まれる」のであり、フォースターは「こういう休止期間がなるべく頻繁に訪れてしかも長くつづくことを願いながら、それを「文明」と呼ぶ」というのであるが(「私の信条」岩波文庫「フォースター評論集」p115)、しかし、「力はたしかに存在する」のであり「大事なのは、それが箱から出てこないようにすること」ではあっても、「いずれは出て」くる(同ページ)。だからわずかにでも文学に力を発揮できるときがあるとすれば、それは己の非力を十二分に心得ている場合であり、文学は現代ではもはや呪力などはいささかも持っていないことを十分に自覚している場合に限られる。わたくしが後期の丸谷氏の作品に感じる一番の不満は、初期にはあった非力への自覚がそこでは失われてしまっているように思える感じるからである。
 「笹まくら」と「裏声・・・」の間には「たつた一人の反乱」があるのだが、どういうわけか本書ではほとんど論じられない。「たった一人の反乱」の単行本には背表紙に、まだ若い、例によって蝶ネクタイをした丸谷氏の写真の下に「作者のことば」というのがある。本文が新仮名遣いであるのに対して、どういうわけかここだけ歴史的仮名遣いになっている。全文を示す。「通産省から天下りした重役も 大学教授の娘も 物騒な写真が専門の若いカメラマンも 主人思ひの女中も そして 刑務所がへりの老女も 大勢の登場人物が みんな てんでんばらばらに “たつた一人の反乱”をおこなふ。わたしは 大揺れに揺れてゐる現代日本を 生きのいいまた(ままの誤植?) 捉へようとして こんな物語を夢見てしまつた。そして この長編小説 それ自体もまた 今の日本の小説の書き方に 決然と 逆らつてゐるといふ点で 一人の小説家の “たつた一人の反乱”にほかならない。 丸谷才一
 なにしろ読んだのが昭和47年(1972年)、40年以上前だからほとんど覚えていないが、読後の印象は「なんかいい気なものだな」というようなものだった。たしか主人公は官僚で防衛庁への出向を命じられて断るのだが、それが“たった一人の反乱”なのである。「え?、それが?」という感じである。この程度のことで反乱を気取ってほしくないなと思ったのである。
 吉田健一朝日新聞でしていた「文芸時評」(「本が語つてくれること」新潮社 所収)では、昭和47年6月の時評で「たった一人の反乱」がとりあげられている。「さういふ色のことが言へる程明確に一つの世界をなしてゐる「たった一人の反乱」のやうな小説は少なくとも明治以後の日本では珍しい。/ 或はこの小説しか今までの所はないといふ感じさへする」というのだから絶賛なのであろうが、書いてあることはどうもよくわかない。「そこに書いてあることが嘘だらうと本当だらうと人間と人間、或はその周囲の関係で我々がさうであつてそれ以外のものでなかつたと認める論理が成立し、その網が張り廻らされることで我々が実際に知つてゐて生活してゐるのと同じ人間の世界が再現する為である」とあり「我々がその日その日を生きてゐるといふのはこの論理を知つてゐるといふことなのであり、その味が我々が生きてゐることの味でもあ」るというのだが、わたくしにはどうもそう思えない。「終りの方に出て来る授賞式の場面がこの小説の圧巻であるとも言へる」とあるので、そこだけ読み返してみたのだが、まったく覚えていなかった。記憶力の悪さなのであるが、少なくともわたくしに強い印象はまったく残していなかったわけである。もった印象は、後年の丸谷氏ならエッセイで使ったであろうようなゴシップあるいは雑学のようなもので小説が水ぶくれしているなというものである。さらにもう少し後のほうをみていたら、「戦争は嫌いですよ。でも、市民社会というぼくの好きなものを裏返すと近代国家があって、いや、裏返さなくたって、ちゃんとあって、それには歴史的過程として帝国主義がくっついていたし、どうやら今でもくっついているらしい。これは事実なんですよ。そういう市民社会ってものの氏素性、それを知らないふりをする気はないということなんです。知ってる上でいろいろ大事にしようというような、つまり明るい一方じゃない、むしろかなり憂鬱な気持ちでそれを大事にする・・そんなところですね」と主人公がいう場面があり、それにあるひとが「市民社会の暗い面を全部、国家のほうに押しつけるから市民社会を明るく理想化することができる論法」と批評する場面があった(講談社版 p481〜2)。しかし市民社会というのは主人公に大事にされたからといって温存されるものではないはずなである。そのあたりをいい気なと感じたのかもしれない。
 「裏声・・」に感じるのも同じような印象である。国家と個人というのはまったくレベルの異なる存在であるはずなのに、国家と個人が(対等にではないにしても)闘っているとでもいうようなお伽噺のような感触である。ここにあるのは国家ごっこである(不破氏の言葉によれば「ままごと遊び」)。それは何かとても不真面目な印象をあたえる。
 この本は箱入りで、そこの裏にも著者の言葉がある。やはり全文を引く。「政治的人間といふ言葉がある。政治が人生のいちばん大事な主題である人間、といふ意味だらう。わたしは政治的人間ではない。/ しかし、そんな人間にこそ政治は襲ひかかるし、あるいは、そんな人間ほど、政治に襲ひかかられたと感じるものらしい。すくなくともわたしは幼いころからずつと、そんなふうに感じて鬱陶しい思ひをしながら、現代史とつきあつてきた。案外、たいていの人がさうなのではなかろうか。/ そのへんの消息をわたしは何とか書いてみたいと思つた。そこからはいつてゆけば、現代人を悩ましてゐる、そしてわたしを子供のころから悩ましてゐる、国家とは何かという問への答へも、おぼろげに浮かびあがるかもしれないといふ気がした。/ つまりこれは非政治的人間の書いた政治的小説である。蝶の嫌ひな男は蝶類図鑑を編まないけれど、小説家にはそんな態度は許されないのだから仕方がない。 著者」
 「小説家にはそんな態度は許されない」のだろうか? こういう文章を読むと何か一種の裏返しの特権意識のようなものを感じてしまう。この小説もまったく記憶に残っていない(冒頭の地下鉄の長い昇りのエスカレーターを逆に下って降りる場面だけ覚えているのは、おそらく、書かれた当時もっとも長いエスカレーターであった新御茶ノ水駅を知っていたので印象に残ったというだけだと思う)が、国家とは何かという問への答えがそこにあると思わなかったことだけは確かである。
 小説は“政治的現実の傍観者”であると「台湾民主主義共和国」という現実の政治運動をしている男から批判される男の話である。あなたの考える国家は昔のドイツ、国家と自我の対立がすごくきびしい国家ではなくて、現代の西欧国家で、その対立をうまくごまかしている国家であるということを指摘され、「寛容な国家がある日とつぜん、暴君としての国家に変わったら?」と質問されて、「そのときは仕方がないから、実際の国家よりも、自分の夢みてゐる理想の国家のほうに就きますよ」と答える(新潮社版p494〜6)。問題はここからである。主人公はそう答えた後、「これは危険な思想だ、と自分で驚いてゐた」と描写され、「おれはいつまでもかういふ剣呑な人間として、この考へ方をまるでヤクザの家の箪笥のなかの認定證のない日本刀のやうに心のなかに秘めて生きてゆくしかなにだろうと思つた」と書かれる。ここのところは覚えていて、なにが剣呑な人間だ、いい気なものだぜ、と感じたことを明瞭に記憶している。こういう態度のことを著者は「裏声で歌う」という言葉でいったのであろう。「たった一人の反乱」というのは時々はマスコミで使われたけれども、「裏声で歌う」という言葉はついにそうはならなかった。「面従腹背的生き方」というか「おれは羊の皮をかぶった狼なんだぜ」的行き方を丸谷氏はとても新しい生き方と考えているように思えるのだが、単なるインテリの独り善がりとしか思えない。
 江藤淳がフォニィといって否定した作家のなかにたしか丸谷才一もふくまれていたように思うが、江藤氏のように常に頭に血がのぼっていたようなひとからみると、そう見えるだろうなあと思う。「歌声・・・」の致命的な欠点は、描かれた「台湾民主主義共和国」運動というのが、たとえ逮捕や投獄という事態をともなっているとしても、それでも「ごっこ」であり「おままごと」にすぎない点にある。三島由紀夫の事件で、血がながれ人が死んでも、それでもそれは現実の政治的行動ではなかったのと同じである。自分のための行動はどこまでいっても政治とは関係してこないのである。
 現在では、国の力はますます強く個人の力はますます弱く、あるいは文の力はますます弱く、理の(あるいは工の)力はますます強くなるばかりである。「亡ぶなら核のもとにてわれ死なむ人智はそこに暗くこごれば」という岡井隆氏の歌は河出書房「文芸別冊 丸谷才一」の村井紀というかたの文章で知った。こういう歌もまた宮廷文化の伝統のもとに作られたというのだろうか?
 

戸籍の謎と丸谷才一

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ポッカリあいた心の穴を少しずつ埋めてゆくんだ

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小説の精神 (叢書・ウニベルシタス)

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フォースター評論集 (岩波文庫)

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たった一人の反乱 (1972年)

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本が語ってくれること

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裏声で歌へ君が代

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丸谷才一 (文藝別冊)

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