ソーントン不破直子「戸籍の謎と丸谷才一」(終)

 本書は終章に「死すべきものの彼方 ― 四季と写真に関する考察 ―」というのがあるが、わたくしの関心をひく話題は特になかった。
 この本がわたくしの興味をひいたのは不破氏が文学にかんする学問に従事するひとでありながら、それでもこういう評論的な本(氏にいわせれば「独りよがりの、いいかげんな」もの)を書いたということが大きい。
 不破氏が評論あるいは随筆の「いいかげん」さを論じているのは『女ざかり』の主人公の弓子が新聞社を退職して「評論や随筆を書くことにしたい」という部分においてである。わたくしが一番ひっかかったのは「新聞記事・評論という客観的な論拠こそが命の書き物をするはずのキャリアウーマンのロールモデルともいうべき論説委員の職を捨てて、こんないいかげんなものを書くことにしたい、などとはまことに情けない」という部分である(p257)。わたくしは新聞記事や論説などというのは客観性を装って主観的なことを書くというもっともいいかげんな書き物であると思っているので、ここの部分を読んでびっくりした。
 学問は客観性あるいは証拠を要求される。しかし評論はそうではない。思いつきでも何でも、そこに書いてあることを読んだものが何かを考えるきっかけになれば、それでいいものだと思う。読者はそこに学問的な厳密さなどは決して求めていないはずである。
 丸谷氏がいささか滑稽であったのは「忠臣蔵御霊信仰」説というほとんど思いつきだけのような話でかなり真剣に学者と争ったりした点で、学問ということがあまりわかっていなかったひとなのかなとも思う。
 丸谷才一三浦雅士鹿島茂による鼎談「千年紀のベスト100作品を選ぶ」のなかで、鹿島氏が「プルーストや『ユリシーズ』を読んだときにつくづく感じたのは、ありのままの信仰っていうのかな、現実の体験のほうが偉いという、自然主義的な体験信仰っていうのじゃ、文学は作れないっていうことですね。モダンな文学っていうのは『新古今』から出てきたって感じがするんですね。」というのに対して、丸谷氏が「そういうことを僕よりかなり若い人が言ってくれると、ほんとうに満足だよ(笑)。そういうことを僕は、三十いくつかの時に、独力で発見した。それで大変な発見だと思って、ずーっとそれで来たんだなあ。」と答えている(光文社知恵の森文庫版p153)。え?、独力で?と思ってしまう。それってたとえばT・S・エリオットの「伝統と個人的な才能」の単なる変奏ではないの?と思う。(独創性とか、天が下に新しきことがあると思うこと自体、丸谷氏の信条に反するように思うのだが・・)
 「モダン文学=新古今起源」説というのは一つの見取り図であって、それは学問的な検証に値する仮説では決してない(モダン文学とは何か? 新古今的なものとは何か? ということが学問的に確定されることはありえない)。しかし、そのような見方はわれわれの文学享受を豊かにはする。吉田健一の「ヨオロツパの世紀末」などというのも歴史学者などからみたらトンデモの箸にも棒にもかからない暴論であるはずで、なにしろ吉田氏の本のどこにも18世紀当時の農民ことなどでてこないのである。
 不破氏が学問ではなく「いいかげん」な評論として本書を書くのは、決して学問的に確定できるようなものではないとしても、ここで氏が示したような「戸籍」や「可死性」という見方を導入すると、丸谷氏の諸作に今まで見えていなかったものが見えてくるのではないかという思いからなのであろう。そして不破氏がそのような見方を得たのは不破氏自身が国際結婚の場で経験した米国と日本の戸籍というものへの見方の非常に大きな違いからなのである。
 学問を仮説の提示とその検証という枠組みで考えてみる。ある仮説を提示する場合、少なくともそれによっていくつかの事象がうまく説明できることが必要である。しかし、それによって説明できない多くの事象が積み重なってくると、その仮説は棄却されてしまう。それではなぜその仮説が得られたのかといえば、それはその仮説を提示したひとがそれまでの自分の生で経験してきたすべてのことが結晶してたまたまそうなったとするしかないであろう。それは何らか私的なものを公的なものへと変えていこうとする試みなのである。しかし、私的な部分に多くを依存している仮説は公的な場においては第三者からは受け入れられない可能性が高い。
 文学が学問の対象になるのかというのがここから問題になってくる。文学というのは、客観的に存在する書物のことではない。その書物が読者におこす反応のことである。その書物を読んで何も感じないひとには書物は物理的には存在していても、文学はない。また読者が何を感じるかは読者ひとりひとりですべて異なっている可能性が高い。重力とか遺伝子というのがすべてのひとを規定しているとは根本的に異なる。テキストと読者のかかわりが不破氏の専攻する学問分野なのではないかと思うが、これは重力や遺伝子ほど客観性をもつものではないとしても、個々のテキストの話ではなくテキストのもつ作用を論じるのであるから、個々の文学作品を論じる場合よりも客観性が期待できるはずである。
 文学を論じる評論の場合には「俺はこう思う!」ということ以上のものは最終的にはないのかもしれない。それでもなるべく「俺」を消し客観性の装いのもとでその論を提示するというのが作法なのであろう。そうではなく、剥き出しの「俺」がでてくる論はまず読むに耐えないのが普通である。
 文学作品というものがなぜ書かれるのか? それを書くひとがかつて文学作品を読んだからである。読んだことがそのひとにおこした作用が、そのひとに新たなものを創るようにうながす。その連鎖が文学という世界をつくってきた。
 丸谷氏も「文学に淫した」人間として過去の多くの作品を読みに読み、それに舌鼓をうちうち、ついには自分でも創ってみたくなったということによって、読む側から創る側へと移行した人なのであろう。実際に小説を書く側になってみると、自分の実際の人生経験などというのは限られたものなのであるから、その限られた材料が自作のなかに反映してくるのは当然である。
 しかし、丸谷氏はそのおのれの体験を小説化したくて書く側にいったのではないと思う。あくまで自分がたくさん読んでいくなかで、これこそが文学であると思ったものと同じようなものを自分でも創ってみたいからであったからであるはずである。とすれば氏の問題は、自分にはこれほど面白く一生を賭けるに値すると思われる文学の世界が多くのひとにはまったくそうではないのだということ、そして文学の世界にいるひともまた過去の文学作品にうたれたことにより文学を志したのではなく、自分の体験したことを書いてみたくて小説を書く道を選んだらしいということに驚いて、それを考えていくことを自分の小説や評論や随筆執筆の動機にしたのだろうと思う。だから氏の作品から戸籍や可死性の問題をとりだしてきて論じることは、氏の進もうとした道を逆戻りすることになるのではないかと思う。
 そして、戸籍の問題とか可死性の問題を論じる手段としては小説を書くなどというのはきわめて迂遠で適さない方法であるということがある。小説というのは小説でなければ書けない世界があるからこそ書かれるものなのであるはずである。「笹まくら」とか「横しぐれ」とか「樹影譚」はそういうものとなっている。しかし、後期の長編小説は何かを論じるための手段としての小説となってしまっていって、小説でなければ書けない世界ではなくなっていってしまった、それが丸谷氏の問題であったのだと思う。晩年の氏にはもう書きたいことがなくなってしまっていて、それでも小説を書きたいという願望だけは残っていたのではないだろうか?
 

戸籍の謎と丸谷才一

戸籍の謎と丸谷才一