講談社現代新書 2014年5月
イシコロと蟹は違うものだというのが、わたくしの基本信念で、前者は「モノ」、後者は「生きもの」、「モノ」は物理化学的にすべてが説明できるが、「生きもの」が生きているということ自体は物理化学にすべて説明できるが、それでも「生きもの」は生き残るという課題をもつという点で「モノ」とは異なるとずっと思ってきている。こう考える場合の一番の問題点は、「モノ」と「生きもの」の不連続をどう考えるかということで、「モノ」から「生きもの」がある日ある時ひょっこっとできてくるということは、どう考えても説明が苦しい。神様といったものを持ち出せば簡単なのだが、それは別になにを説明したことにはならなくて、ただそう信じろというだけのことである。わたくしは神様などは一向に信じない人間だが、今の科学では全然説明できないが、過去のあるときにどうしてだか生命というものが生まれてしまったのだよなあ、といったはなはだいい加減な理解でお茶を濁してきた。
わたくしが考える「生きもの」は、存在しつづけることを課題としてもつ自己複製をおこなう境界を持つものといった程度の曖昧なものである。「モノ」も存在しつづけるがそれを課題としているわけではない。また結晶化は「モノ」であっても自己増殖するかもしれないが、境界は曖昧である。モノーの「偶然と必然」の冒頭は、火星人が地球を訪問して、そこにあるイシコロと時計を自然のものと人工のものと区別することができるかといった問いからはじまっていたように記憶している。ベイトソンは「精神と自然」でゆでたての蟹が生きていたものの死骸であることはどうすればわかるかといった課題を提出していた。ここでも火星人がその判断をするとすればという想定がされている。そのどちらにも、生命とそれがつくるものは、「モノ」自体とそれが生み出すものとは違うという信念が根底にあると思われる。
もう一つわたくしは、進化というのは「生きもの」にしか生じないもので、それは生命をもつものだけが「生き残る」ということをふくめた課題を負っているからだと思ってきた。
本書の驚嘆すべき点は、「モノ」についても進化という視点を持ち込んだ点にある。それが可能になるのは、生命前駆体のような「モノ」(アミノ酸とか、RNA前駆体のようなもの)が地球の歴史のなかでどのように生き残れたかという見方によってである。この視点を導入すれば、「モノ」と「命」の間に「前命」あるいは「中間命」とでも呼ぶべきものを導入できるので、生命がまったく独自のものとして突然出現するという説明困難な事態を回避できる。
そして「モノ」にも進化論が適応されるといっても、本来は生物に適応される進化論を生命の構成要素となる「モノ」についても外挿してみるということであるから、あらゆる「モノ」に進化論が適応されるということではない。とすればわたくしの理解が根本から否定されるということでもないのかと思う。
著者はX線結晶学とか物質科学を専門とする学者ということのようなので、本書でのかなりの部分を占めるのは、生命の誕生の問題というよりも、生命に必須である物質が地球史の中でどのように形成されてきたかという問題のほうである。
われわれ人間は、固い地球の上に頭上から光がさしてくる環境を当たり前のこととして生きている。地表を離れ、少し高いところ、地中の深いところ、深海などでは生きられない。自分が生きている地表の世界を自明のものと思っている。
ところが本書で概観されている地球史というのはわれわれの想像を絶したとんでもないものなのであるが、それはたかだかこの数十年のあいだに明らかになってきたものなのであるという。わたくしが中学や高校で勉強していたころにはまったく知られていなかったことらしい。そういえば中学や高校でビッグ・バンとかを教えれた記憶もない。生物学でもショウジョウバエでの減数分裂の観察といったことがホットな話題だったような気がする。自然科学は猛烈な勢いで進展しているらしい。
本書はまず大陸移動説からはじまる。ヴェーゲナーがこの説を提唱したのが1912年というから約100年前。しかし「海も大陸も動かない、冷えて固まった地球」という当時の人々が持っていた信念のため、ほとんど無視された。著者の中沢氏によれば、1961年(約50年前)に岩波書店から刊行された「現代の自然観2 地球の構造」では、大陸移動説にはほとんど言及がされていないという。それにもかかわらず、1929年刊行の「小学生全集」(なんと全部で88巻!)の第60巻「海の科学・陸の科学」にはしっかりと紹介されていて、それを記憶している世代もあり、手塚治虫の「ジャングル大帝」の第1話にも大陸移動説が紹介されているという。
そのヴェーゲナー説が復活したのは地球磁場の研究からで、磁場の変化の考察から1957年に大陸移動説が復活したのだという。そして約50年前の1967年にはプレートテクトニクスの概念が確立した。全地球が大小12個のプレートに分かれていて、それぞれのプレートはマントル対流を駆動力として、海嶺で沸き出し、海溝でマントル内部に沈み込んで消失するとする考え方である、と。
しかし日本では、地球物理学の分野でこそ1970年頃にはその考えを受け入れたが、地質学では1980年頃にようやく受け入れたのだという。その異常な遅れは、閉鎖的で専門分化しすぎているという日本の学問世界の特有の事情によるのであると。(そうであるのだとすると、福島原発建設時の日本の地震学のレベルというは、かなり低いものだったのでないかだろうか? (1965年ごろから設計され、71年稼働))
日本は4つのプレートが押し合っている上にある。プレートの厚さはおよそ100キロ。プレートは対流を生じている熱いマントルが冷やされて生じた”地球の皮”である。だが、プレートテクトニクス理論で説明できるのはたかだかこの2億年の事件だけである。
1992年、プルームテクトニクス、すなわち「地球変動の主体は下部マントルを落ち込んでいく巨大なコールドプルーム(冷たい下降流)である」という日本発の学説がでてきた。これならこの十数億年を説明できる。
地球は46億年前にできた。どういうわけか、宇宙空間に希薄に存在していた星間物質の分布に揺らぎが生じ、密度の高いところを中心に収縮と回転がはじまり、太陽系ができた。太陽ができると、周辺の星間物質は、太陽を中心として回転する遠心力と太陽の引力とが釣り合う位置に凝集して、直径10km程度の微惑星がたくさんできた。それらの微惑星が相互に衝突と合体をくりかえすことで惑星ができてくる。
地球は45.5億年前に現在の大きさになった。微惑星が相互に凝集して一個の惑星になるには0.3億年程度の時間がかかるのだという。大きな微惑星が創生期の地球に衝突して、微惑星の一部が蒸発・熔解・飛散してできたのが月で、その形成に要した時間は1ヶ月程度なのだそうである。
今の程度の大きさになると、その重力で微惑星を引きつけるので、それとの衝突を繰り返した。そのため、原始地球は高温の熔解状態にあった。その当時の大気温度は1200℃以上あったと推定されるので、酸化反応が進行する環境であり、かりにアンモニアやメタンや水が産生されても、酸化されて、窒素や水素や炭酸ガスにまで分解されてしまう状態であった。有機物質ができても残存する余地のない無機的世界である。
45億年前ごろ、地球を形成した微惑星や隕石の衝突の頻度が低減し、地球表層の温度が徐々に下がりはじめた。そのため水蒸気が凝集して海が出現した。それにより大気圧も急激に低下して現在の値に近づいた。海の出現は43億年前くらいと推定されている。地球に隕石などが衝突した痕跡は全地球流動のため地球では失われているが、月では今でもクレーターとして観察できる。
35億年前ごろには隕石の衝突などは現在程度の頻度(千分の一)まで減少したと一時考えられていたが、その後、40〜38億年前に「後期重爆撃」と呼ばれる激しい隕石衝突が、太陽系の惑星軌道の揺らぎによっておこったと想定されるようになってきている。2005年ごろには、衝突体のほとんどは火星と木星の間にある小惑星帯を起源とする小天体であろうと推定されるようになった。
この「後期重爆撃」の時には地球にすでに海があったことが重要である。当時はプレートテクトニクスが始まったばかりで、大陸は発達しておらず、地球表層はほぼ全体が海で覆われていた。衝突体の多くは金属を含んでいた。衝突の衝撃による超高温で水は酸素と水素に分解されるが、酸素は金属を酸化する形で吸収されるため、水素過剰すなわち還元的大気が出現した。
ミラーの実験以来、還元的混合大気ではアミノ酸などの有機物質が容易に生成することが実験的に確かめられている。この状況下では大気中の窒素も還元されてアンモニアが生成されるはずである。アンモニアは雨滴に溶けて海洋に回帰する。当時の海は多量の炭酸ガスを溶解していたはずだから、炭酸水素イオンとアンモニアが対になって併存することで、アンモニアの酸化は防がれたはずである。これが著者による「隕石海洋衝突によるアンモニアの局地的大量発生説」である。アンモニアはアミノ酸の前駆体であり、炭素があればアミノ酸ができるはずである。
親水性の有機物質は、海の深くでは酸化的大気から遮断されて酸化されずに済んだ。
地球に海があることで、水溶性・親水性の有機物は「生き残る」ことができる。一方、鉱物も隕石の海洋衝突で蒸発して再結晶化し、やがて海に回帰する。それらは粘土様物質になる。粘土と親和性の有機物は凝集し大型の粒子となり海底に沈殿し、より安全な場所に退避できることになる。これが生物有機分子が水溶性で粘土鉱物親和的である理由である。この性質を持つものだけが「生き残る」ことができ、生命の素となることができたのである。これを筆者は「自然選択」という表現をする。生物ではなく、分子の自然選択である。
これらアミノ酸などは、還元的な海洋堆積物が個化していく過程で重合し高分子になっていくと著者は推定する(「有機分子の地下深部進化仮説」)。
40億年前にプレートテクトニクスがはじまったが、その動きは現在と同じで年に数センチ程度なので、ある程度の移動には1億から2億年程度の時間がかかる。堆積物は熱水と接すれば加水分解されてしまうはずだが、粘土物質や疎水性有機分子に被覆されていれば、「生き残れる」。
高分子は何等かの小胞の内部に保護されれば生き残れる。最初は小胞の材料として粘土鉱物やシリカが使われたと思われるが、やがて大きい有機膜に覆われるようになり、最終的には生物の細胞膜である脂質二重膜に置き換わったと筆者はかんがえる。これを筆者は遺伝情報を持たない生物と考える。「個体」の成立である。これは生成・消滅するから「生死がある」。生命の出現である。代謝機能や自己複製機能は後から付加されたと考える。
生命体のような複雑なものがある日突然地球上に現れるなどということは、どう考えても説明に苦しいところで、RNAのような複雑な構造物がどのように形成されたのか誰でもが抱く疑問である。それについて、生命のはじめはRNAではなく粘土がその代用をしたのだという奇矯な説を昔読んだことがあって、著者が粘土学の専門家ということもあって、その話を思い出しながら読んでいた。そうしたらp272に、そのケアンズ・スミスの説がでてきて嬉しくなった。著者が紹介しているのは「遺伝子乗っ取り―生命の鉱物起源説」という本であるが、わたくしが読んだのは「生命の起源を解く七つの鍵」という本であったように思う。
ケアンズ・スミスは「生命現象に固有と考えられている遺伝機構も実は鉱物などに普通に見られる「結晶成長の際の情報伝達機構」を引き継いだもので、鉱物こそが遺伝子の前駆体であるとし、遺伝子様にはたらく結晶の候補として粘土鉱物の結晶が一番その可能性が高いとした。著者の中沢氏によれば、これは話は面白いが物理学的にありえないのだそうであるが、にもかかわらず遺伝子以外の無機鉱物が生命出現にある役割をはたしたという視点は貴重であるとする。中沢氏は遺伝子ではなく、脂質二重膜の前駆体として無機鉱物の膜があったのではないかとする。
中沢氏は、内部に有機物を含む小胞構造ができることをもって生命の誕生とするわけである。こうなると生命という言葉の定義になってしまうのかもしれないが、ミトコンドリア・イヴではないけれども、地球上にある生命体はすべて同一の塩基を遺伝情報のために用いているわけで、われわれの祖先は単一であるとしても、地球上には何回も生命が生まれ、それにもかかわらず、たまたま生き残ることができたものの子孫がわれわれであるということはありえそうである。
地球への隕石の衝突などは容易に有機物を作り出すらしいが、それにもかかわらず、通常はできた有機物は酸化されて消えてしまう。それがたまたま地球が水の惑星であることによって、酸化を免れる有機物ができ、それが一億年というような時間をかけて蓄積され、やがて地球のプレート移動により濃縮され地表近くに押し上げられ、それが生命になっていったという著者の説明は説得力がある。しかし、著者の説明は主として有機物の形成であり、遺伝の獲得という生命の本質(とわたくしは思う)についてはほとんど述べていない。
わたくしが物理学音痴であるせいで理解が違っているかもしれないが、氏がエントロピーということで説明している部分がよくわからない。地球が大気中に熱を放出して冷えていくということが地球という系から見ればエントロピーの減少であり、それは地球構造の複雑化、ひいては生命の誕生を必須すると氏はいうのであるが、水蒸気が水になり氷になるということは、“自然”にはおきないことであり、なんらかのエネルギーが介入しなくては起きないことであるとはしても、水蒸気が氷になる現象は、物理的過程であり、生命の誕生とは一切関係がないと思う。生命の誕生というのはエントロピーの減少ではあるが、エントロピーの減少がそのまま生命の誕生とはならない。宇宙の中で局所的にエントロピーが減少している場所はたくさんあるのでないかと思うが、それは生命誕生の必要条件ではあっても十分条件ではないはずである。
だから、エントロピーの減少が地球の複雑化と生命の誕生を必須にするという氏の説には納得できないものがあって、たまたま地球史がたどった偶然が生命を誕生させたのであり、そうだとすれば、ここで氏が有機物の地球の環境によって生じた選択による進化とするものも地球に生じた偶然への適応であって、必然とはいえないように感じる。
そうだとすれば、進化は偶然に支配されるというわたくしの見解は変える必要がないのかもしれない。
進化というのはエントロピー減少の過程であるとするのは大変に面白い見解であって、そうだとすると生命の構造の複雑化が必須になる。複雑な構造ほど適応力が高いので、選択されるというわたくしの理解は変更する必要があるのだろうか? 複雑ということをエントロピーの減少といっているだけかもしれないのだが。
著者は、進化の法則として「巨大化し特殊化して絶滅する」というのをあげている。進化には(偶然によるのではなく)方向があるという見方がわたくしには困ったものとみえるのは、進化の頂点に立つ我ら人類「ホモ・サピエンス」というような見方をどこかに潜めているのではないかと感じるからである。著者はもちろんそのような見方はとっていないし、ちゃんと「絶滅する」というのを付けくわえているのも凄い。最近加藤典洋氏の「人類が永遠に続くのではないとしたら」という本がでたが、人類もかりに自滅しないとしてもいずれ環境の変化に対応できずに絶滅することは間違いのないことである。それで思い出すのは、わたくしの中学生のころには東西冷戦の帰結としての核戦争で人類が滅亡するというのがかなり可能性の高いシナリオとして、われわれの頭にあったことで(「渚にて」とかいう映画があった)、それがあまり見られなくなったのも、「東」陣営の崩壊の大きな産物の一つなのかもしれない。今、ロシアや中国とアメリカが対立しているといっても核ミサイルの飛ばしっこをはじめるのではないかと危惧しているひとはあまり多くはないと思う。
著者はところどころに仏教用語を入れたり、あとがきでも「刹那覚えずといへども終ふる期たちまちに至る」という兼好法師の言葉を引用したりで、46億年などというスケールでものを考えると、諸行無常、万物流転、というような思いに至るのかもしれない。
ここで紹介されている地球史の研究の知見についてはわたくしはほとんど(まったく?)知らないことばかりであった。科学の世界の進歩というのはもの凄いもので、学問というのもなかなか馬鹿にできないと思った。人間というのもまんざら捨てたものでもないのかもしれない。

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