今日入手した本

 偶然、書店で見つけた本。著者は政治思想(特に東アジア方面)の専門家らしいが、本書は西洋哲学史概論(というか著者の目から見た独断的西洋哲学史解釈)で、副題の如く、なぜ近代科学が西洋で生まれたのかをそこから説明しようとしている。
 キーワードは「向こう側」。これは「こちら側」と対立するものだが、「あちら側」ではなくて(といっても何のことやらであるが、「あの世」とか「来世」とかではなく)、「この世」にありながら実際には存在しないもののことであり、例えば負の数とか無理数とか虚数であり(わたくしは自然数自体も「こちら側」ではなく「向こう側」にあるように思うが)、プラトンイデアもまた「あちら側」ではなく「向こう側」にあるのだという。この「神様の領域」「向こう側」「こちら側」の三者からなる(「この世」=「こちら側」+「向こう側」)西洋と、「この世」と「異界」しかない日本、「この世」だけしかない東洋という図式を出して、この「向こう側」が科学を生んだという主張を展開しているようである(まだ斜め読みしかしていない)。
 わたくしは西洋というのはどういうわけかモノ自体の探求に興味を持つ文化であり、それが科学を生んだというようなことを漠然と考えているのだが(東洋はモノなどは価値がなく、ココロあるいはそれがする認識のほうにこそ価値があるとした)、本書のような主張であれば、たとえば日本の生物学者とあちらの生物学者の肌合いの違い、もっと一般に、日本の科学者とむこうの科学者の違いをとてもうまく説明できるように思う。日本の科学者は「職人」である。「思想」などはわたくしの領分ではございませんという(唯一、科学者が「思想」とかかわったのはマルクス主義の場合かもしれないが、その場合も思想というよりも、わたくしは日本共産党を支持しますとか、核兵器反対運動に加わっていますといった、いたって即物的な方面においてであった)が、あちらの科学者はある程度柄の大きなひとになるとすぐに思想方面に口を出してくる。自分の専門分野を大胆にも拡張して思想方面にも進出したがる。思想にまではいかない科学者でも、各論を論じるのではなく総論に話をひろげてくる。日本の科学者がタコツボにこもってお隣の研究には関心はございません、という姿勢でいるのと対照的である。
 著者は自分の専門分野以外で主張する、日本人としては珍しいタイプのひとである。それも門外漢ではございますので専門家諸賢の御批判を仰ぎたいなどという謙虚な姿勢は微塵もない。偉そうである。これまた日本人らしくない人である。「日本の科学者には国語の能力もおぼつかない人が多いように見える」なんていってしまっていいのかなあ、である。
 「おわりに」に記されている出版までの経緯も面白い。