今日入手した本

 高島氏の本はいろいろと読んでいるが、特に「中国の大盗賊・完全版」が面白かったので、これまた面白そうと思って買ってきた。今、西洋と東洋などということを少し考えているところなのでその点でも。
 宮城谷昌光氏がこんなことをいっていると。「戦国時代以後は、儒教に縛られて、豊かだった中国の思想が、逆三角形のようにすぼんでいってしまうと、司馬さんは考えていた。」 確かに孔子は紀元前500年くらいで、そのころの日本はまだ縄文時代で文化などはかけらもない。しかし春秋戦国時代にわれわれが知る中国の思想家は集中していて、以後「生きた社会を見すえた思想・学問は、二千年間影をひそめてしまった。」(高島氏)
 本書での中国・アジア論の骨子は、アジア的な原理といったものはそもそもないということにあるようである。問題はあるにしても東洋というものが地理的には存在するという見方はありえる。しかし文化的な区分としての東洋文化とかアジア思想ということには非常に問題が多いという平川佑弘氏の論を、共感をもって高島氏は引用している。
 紹介されているたくきよしみつ「裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす」という本も面白そうである。
 
老いへの不安 歳を取りそこねる人たち

老いへの不安 歳を取りそこねる人たち

 社友会という会社を退職したかたの集まりで近々何か話さなければいけないので、参考資料というかネタ探しに買ってきた。
 精神科医というのは変わったひとが多いが、春日氏もかなり変わった方というか、わたくしより4歳くらい年下だから60歳を少し過ぎた年齢の方であると思うが、老成などと言うことは薬にもしたくない感じで、自分で中古品の若者や古ぼけた中年としか思えないといっている。
 現在において適切なモデルも参考となる手本も見つけ出せない「年寄り」というキャラクター、と氏はいっている。これからの高齢化の急激な進行で、「年寄り」の存在というのが今以上に大問題になってくるに決まっているが、枯れた好々爺などという年寄りはまず出現せず、ギラギラした往生際の悪い高齢者ばかりとなる可能性が高い。「楢山節考」のお婆さんは何歳だったのだろう?
 
「健康第一」は間違っている (筑摩選書)

「健康第一」は間違っている (筑摩選書)

 ということで、「まだ生きたいのか。そろそろ死にたいと思ったらどうだ」という恐ろしいことを述べた本である。
 著者は内科医。医者がそんなことを言っていいのだろうかと思うが、ざっと流し読みをした感じでは、真っ当なことを述べた本である(ただ言い方がくどいようであるが)。わたくしの感覚と重なる部分も多い。ただ違うのは、名郷氏が自分の考えを少しでも日本のスタンダードとすべく、このような本を書いて啓蒙に努めているのに対して、わたくしは「自分の考えは自分の考え、患者さんの考えは患者さんの考えで、自分の考えを患者さんに押しつけようとは少しも思わないことである。
 医者・芸者・役者とかいう言葉があったように思うが、ご贔屓のかたの要望に応じるのが客商売に求められていることであると思う。どの医者も医者になりたてのころ、医者になって5年、10年、20年で医療というものへの考えは様々に変わってくるはずである。名郷氏にしても10年前には今とは違った医療観をもっていただろうし、10年後にはまた違った思いになっているかもしれない。尊厳死協会の会員で延命措置は希望しないとサインしていたひとが、いざ入院してくると出来る治療は何でもしてくださいという場合もある。
 わたくしは今67歳であるが、80歳のひとの気持ち、90歳のひとの気持ちというのはほとんど理解できていないであろうと思う。今わたくしが抱いている医療観も自分が重病になればすっかり変わってしまうかもしれないとも思う。そう考えると、本書での名郷氏の論はいささか断定的過ぎるように感じる。