最近の朝日新聞

 
 わたくしは従軍慰安婦の問題については、それについて何かいえるほど勉強しているわけではないので、最近の朝日新聞の訂正の記事自体については特に何かいえるほどの見解はもっていない。ただ、朝日新聞というかマスコミ一般についていえることなのかもしれないが、他人を責めるときは強いが、責められると弱いのだなというような一般的な感想を持つのみである。
 したがって以下に書くことは、朝日新聞の今回の慰安婦問題の記事訂正をきっかけにして、「朝日新聞的な何か」といういうものについて少し考えてみる試みである。
 「朝日新聞的な何か」ということについては以下のようなものがあるかもしれない。
 1)良心的でありたい
 2)虐げられている側、弱者に味方するものでありたい
 3)権力に抗する側にいたい
 4)正しい側にいたい
 5)人を指導したい
 6)偉そうにしたい
 7)他人を批判したい
 敗戦を機にある意味では朝日新聞は180度変わったかもしれない(別の見方かたからはまったく変わっていないのかもしれないが)。戦争中、朝日新聞をふくむマスコミは、軍部以上に好戦的で意気軒昂、戦意高揚にひたすら努めていたが、敗戦を機に己の間違いを深く反省し、今後は権力から離れ、反権力でいこうと誓ったのかもしれない。

 戦後五年にしてようやく我々の政治の化けの皮もはげかかって来たようであるが、例によってそれが正体をあらわしてからやっと幻滅を感じそれに喰ってかかり始めた人々のあることは滑稽である。人のよい知識人が、五年前、「だまされていた」と大声で告白し、こんどこそは「だまされない」と健気な覚悟のほどを公衆の面前に示しているのを見かけたが、そういう口の下から又ぞろどうしても「だまされてる」としか思えない軽挙妄動をぬけぬけとやっていたのだから、唖然として物を言う気にもなれない。えてして、政治にうとい、政治のことに深く思いを致したことのない人間ほど、軽はずみに政治にとびこみ、政治の犠牲になるというのが、わが国知識階級の常套である。政治くらい、人の善意を翻弄し、実践的勇気を悪用するものはない。・・「戦後政治」の化けの皮をイの一番にはがすことを当然の任務の一つと心得ていると思われた陣営の人々が、太平洋戦争の規定において、占領軍の性格づけにおいて、到底我々が正気の沙汰とも思われぬ「たわ言」を吐いていたことは、当時私の少なからぬ驚きであった。・・その五年間最も驚くべきことの一つは、日本の問題が Occupied Japan 問題であるという一番明瞭な、一番肝腎な点を伏せた政治や文化に関する言動が圧倒的に風靡していたことである。(林達夫「新しき幕開き」1950年)

 ここでの「人のよい知識人」というのが、「朝日新聞的な何か」の一番根底にあるものなのではないかと思う。「善意」なのである。慰安婦問題にしても、それは最近よく言われるような日本を貶めたいというようなことではなく、戦前・戦中の日本が悲惨なものであればあるほど、それを反省し、そうでない日本の建設にはげむ自分たちの「良心」が鮮明になるという構図から、戦争中の日本人は極力極悪非道のことをしていてほしい、そうでればあるほど反省する自分たちの「良心」を際立たせることができるからという動機に由来しているのであると思う。
 戦争中、確かに「朝日新聞」は戦争に協力した。しかし、それを深く反省している。その反省を示すためには、戦争中の「悪」を少しでも多く暴いていくことをしなくてはならない。それがそれをしている自分の「良心」を示す、という構図である。これにより、1)〜4)までがみたされる。そしておそらく、5)〜7)までもみたされる。問題は、当事者は1)〜4)の動機でやっていると思っているが、本当は、5)〜7)までが真の動機ではないのかということである。
 わたくしがそういうことを考えるようになったのは、若い時に全共闘運動というのを身近に見たことによるのだと思う。それは「革命的マルクス主義者同盟」だったり「社会主義者同盟解放派」であったりと、政治運動である体裁をとっていたが、自己否定という言葉が飛び交っていたことが示すように、自己というものに徹底的にこだわった運動で、政治的目的のために小異をすてて大同につくなどということは決してすることがなかった。そうであれば最終的には一人一派になってしまって政治運動にはならなくなってしまうはずであるが、おそらくこれは文学的運動という側面を強くもっていた運動で、それこそがその運動の魅力ともなっていたのだと思われる。どのような立ち位置にいるのがもっとも良心的で誠実であるのかが最大の関心であるひとが多いように当時感じていた。
 そして、もう一つ思うのが、わたくしが若いころは、まだ東西の対立というものが現実にあって、マルクス主義が東の国々の立国の根底にあることになっていたことである。ソヴィエト社会主義連邦であり中華人民共和国であり朝鮮民主主義人民共和国である。朝日新聞が「朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)」という表記からたんなる「北朝鮮」という表記に変えたのはいつからだっただろうか?
 ソヴィエトの崩壊が1991年だからまだ20年ちょっとである。そして慰安婦問題というのが問題になってきたのは、その10年くらい前かららしい。つまり、それが問題となってきた時にはまだソ連というものがあり、今はもう存在していないということである。かわりにロシアというかなり西欧の基準からみると特異な国が存在している。
 社会主義というのは階級なき社会を実現するものとされていた。一方、世界のあらゆる「悪」をつくっているのが資本主義であるとされていた。戦争という悲惨があるのも、資本制が根絶されていないためとされていた。したがって反=資本主義的であることは、上記の1)〜7)すべてを充たすことになった。
 わたくしは1947年の生まれである。1950年から53年にかけてあった朝鮮戦争はほとんど記憶にない。現在ではこれは、北側からの侵略によるとされていると思われるが、当時は南側から仕掛けたと信じるものが少なからずいたらしい。戦争をおこすものは資本主義の側であるという信念が正しいとすれば、北側からの侵略などありえないことになる。
 当時「平和勢力」という言葉があった。資本主義体制があることが戦争がなくならない原因であるとすれば、資本主義打倒をめざす東側は平和勢力である。かりに東側がいくら武力に訴えているようにみえる事態があったとしても、それは世界平和を実現するためのやむをえない行動なのである。
 現在の憲法はしばしば平和憲法といわれる。それは第9条が戦争放棄の条項をふくんでいるからであると思うが、少なくとも朝鮮戦争以後、ソ連の崩壊まで、もしも日本が参戦する事態があるとすれば、アメリカとともに西側の一員として東側と戦うということである可能性が圧倒的に高かったはずで、そうであるとすれば、戦争に参加しないという憲法の条項は、平和勢力を攻撃しないという意味での平和憲法ということでもあったのではないかとわたくしは思っている。
 アメリカという国は軍国主義日本という「悪」を打倒してくれたという観点からは「正義」の側にいたのだが、ナチスドイツと軍国日本を倒すために共に戦ったソ連をふくむ連合国が、戦後東西に別れて対立するようになると、今度は「正義」は東側にうつり、アメリカは「悪」の陣営の頭目ということになってしまった。
 1960年の安保条約改定反対運動というのは、今となっては何を目的とした運動であったのかよくわからなくなってしまっているけれども、当時の心情とすれば、アメリカという軍事勢力との協力関係が固定化してしまうことへの反対ということが大きかったのかもしれない。
 「アメリカ=悪」という図式を象徴するのがベトナム戦争で、これはいつはじまったかははっきりしないが概ね1960年から72年までとして、これも今になって思えば、アメリカとソ連(+中国)の代理戦争であったわけであるが、当時の報道では抑圧された人民が手製の武器や道具(ホーチミン・サンダルというのもあった)で、近代兵器で武装したアメリカ軍を打ち破ったといった図式のものが圧倒的に多かった。「正義」は「悪」に勝つといった図式である。
 そうはいっても、1956年のスターリン批判やハンガリー暴動などでソ連が「正義」の側というのもちょっとねという疑問が生じてきていたところにおきたのが、1966年の中国での文化大革命で、ソ連では風化しようとしてきている革命精神を中国において永遠に継続しようとする毛沢東の偉大な精神を賛美しようという論調が当時は目立った。それで1969年の党規約改訂で毛沢東の後継者に指名されていた林彪が1972年に亡命しようとして死ぬというような事態がおきると、当時の新聞を読んでいる限りは、何がなんだかまったく理解できなかった。これも今からみれば権力闘争で、その巻き添えで膨大な犠牲者を出した悲劇であったわけだが、当時の報道をみているかぎりはそんなことは少しもみえなかった。
 1968年、パリは燃え、世界中で反乱の嵐がおきた。
 しかし、1985年にはソ連の書記長がゴルバチョフになり、ペレストロイカなどといっているうちに、1989年にはベルリンの壁が崩壊し、1990年に南北ドイツは統一され、1991年にはソ連も消滅した。
 中国では1989年に天安門事件があったが、国家は崩壊せず、鄭小平のもとでいつのまにか資本主義体制へと移行していた。世界から社会主義国家が消えてしまった。
 とすると、戦後一貫して正しい側を指す指標となっていたものがなくなってしまったわけである。しかし、そうであっても過去においてあった間違ったことは消えない。その最大のものが軍国主義日本が犯した侵略戦争であり植民地政策であるので、それを批判することはいつまでも正義であり続ける。
 今回の事態で朝日新聞がいっていることは、「確かに記事に間違いはあったかもしれないが、それはつねに虐げられた側、弱い側に立ち、日本の軍隊という一大権力が犯した戦争という巨悪を二度と繰り返えさせないようにしたいという「良心」と「正義」の心から書かれたというその記事の本質からすれば些末な問題であって、もしもうっかりと謝罪などしてしまえば、戦争という悪を肯定する方向に道を開きかねないので、断じてそれはできない」といったようなものなのではないかと思う。
 朝鮮戦争当時の報道というのをわたくしは見ていない。それはまだ Occupied Japan の時代であり、米軍の検閲下に書かれたものであろうから、本当に報道したいと思ったことは書けていないかもしれない。しかし、ベトナム戦争当時の報道や文化大革命の当時の報道はわたくしも少しは覚えていて、その実態を伝えていたものはほどんどなかったように思う。あるいは実態は知っていたのだが、もっと大きな正義の実現のためにあえて筆を控えたというようなことがあったのかもしれない。
 いずれにしても朝日新聞の過去の記事を振り返って見てみれば、錯誤は山のようにあるはずで、それの多くは、1)良心的でありたい、2)虐げられている側、弱者に味方するものでありたい、3)権力に抗する側にいたい、4)正しい側にいたい、という思いが強い故に目が曇って筆がすべったり筆を抑えたりした結果としての、正しい意図から生じた些末な間違いということになるのかもしれない。
 一番の問題は、知識人というものが正しい社会のありかたを知っているので、その知識人が作っている新聞(売っているのは「知識人ではないひと」かもしれないが)の役割は、その正しいありかたを、それを知らない遅れた人々に伝えることにあるとするような自己の役割への誤った規定にあるのだと思う。そのような自己規定があるから、あの「社説」の偉そうな、民草を諭すような口調がでてくるのであろう。
 今、新聞はその役割を終えようとしているのではなく、それはことのはじめから間違った自己認識から出発していた。ただ、それが最近になって白日のもとにさらけ出されようとしているだけなのだと思う。そういうなかで、なにが正しいかはもう知ることはできないけれども、5)人を指導したい、6)偉そうにしたい、7)他人を批判したい、という気持ちは抑えることができないというのであれば、ただもう無惨でしかない。今の朝日新聞の醜態は、その現れのように思う。
 朝日新聞が間違っていて産経新聞が正しいなどということでもない。知識人が大衆を指導する時代は終わった。そして遡ってみてみれば、昔から知識人はほとんど常に間違っていて、多くの不幸をわれわれにもたらしてきただけなのである。本当は、はじめから指導する資格はなかったのである。
 もしも朝日新聞が今しなければならないことがあるとすれば、慰安婦問題の記事の撤回といった些末な問題ではなく、太平洋戦争というものがどのようなものであったのか(それが一部のA級戦犯がおこしたなどという戯言をいうのではなく)、マルクス主義というのはいったい何であったのか(「正しい思想」というのがなぜ恐ろしい結果をもたらすことで終わるのか?)ということの徹底的な検証であろう。
 そこに正解などはあるはずはない。ただ多くのひとの多くの見解があるだけであろう。とすれば一つの見解にこだわる新聞はもう役割を終えた。ネット上の言論というのがいかに問題を多くふくむとしても、それは多様ではありうる。
 『五年前、「だまされていた」と大声で告白し、こんどこそは「だまされない」と健気な覚悟のほどを公衆の面前に示しているのを見かけたが、そういう口の下から又ぞろどうしても「だまされてる」としか思えない軽挙妄動をぬけぬけとやっていたのだから、唖然として物を言う気にもなれない。えてして、政治にうとい、政治のことに深く思いを致したことのない人間ほど、軽はずみに政治にとびこみ、政治の犠牲になるというのが、わが国知識階級の常套である。政治くらい、人の善意を翻弄し、実践的勇気を悪用するものはない』という林達夫の1950年(今から60年以上前!でわたくしが生まれて3年)に書かれた言葉は今でも少しも古びていない。そういう古びない言葉を書けるひとを知識人というのだと思う。