今日入手した本
- 作者: 大岡昇平
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/08/12
- メディア: 文庫
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これを購入する気になったのは、最近山本七平氏の初期の陸軍ものを読み返していて、大岡氏の「レイテ戦記」などを思い出していたからである。
「レイテ戦記」は単行本を持っている。出版が確かこちらの大学生の時で、かなり高額の本だったので相当無理して買った記憶がある。で、読んだのかといえば、最初のほうを少し読んだだけである。いつか読むかというとわからない。これはわれわれ読者にというよりもフィリピンで死んだ戦友に向けて書かれているようなところがあり、あの戦争を経験したひとでないと本当にはわからないところがある本のように思う。
本書にも「作家の日記(抄)」という公開された1958年の日記が収められており、その頃ゴルフに狂っていた大岡昇平が、新聞でフィリピン派遣遺骨収集船「銀河丸」が自分が戦中駐屯したミンドロ島サンホセにも寄港するという記事を見て激しく動揺する様が描かれている。「サンホセで死んだ友達をどこに埋めたか、僕は知っているつもりである。何故俺にきいてくれないんだ、「銀河丸」があんなつまらない戦場に寄ってくれるなんて、こっちは考えもしなかったんだ。/ サンホセの地面にぶっ倒れて、わあわあ泣いてみたいんだ。あそこで俺達がじっと我慢していたことを、知っている奴がいたら、お目にかかりたい。それはどうしても人に伝えられないことなんだ。・・・」
そしてテレビで「銀河丸出帆」を見て、またショックを受け書いた「詩みたいなもの」。
その部分。「ここでこうやって、言葉を綴り、うさを晴らすだけとはなさけないが、/ なさけないことは、ほかにもあるんです。/ 誰も僕の気持ちを察してくれない。/ なさけない気持ちで、僕はやっぱり生きている。/ わかって貰えるのは、みんなだけなんだと、今日この時、わかったんです。/ しかしみんなは今は、土の中、藪の中で、バラバラの、/ 骨にすぎない。・・・」
異様な文であるが、あの戦争はそれを経験した人でないとどうしてもわからないところがあるのだと思う。山本七平氏の「私の中の日本軍」なども、言葉で伝えようとしても伝えられないものをそれでもなんとか伝えたいというもどかしさがひしひしと伝わってくる本である。
山本氏の本を読み返しているのは、昨今の朝日新聞の従軍慰安婦問題からで、山本氏の本がとりあげて批判しているのが、戦中あるいは戦後における新聞の戦争についての記事の欺瞞ということだからである。戦時中は戦争を礼賛して戦争を煽り、戦後は一転してアメリカ礼賛から、さらにはソ連中国礼賛への方へと舵を切りかえ何回も転進したのは、実際の戦争の現実を知らないからこそできたことなのだ、という主張である。最近の朝日新聞の醜態は、実際の戦争を知らずに理念で戦争を語ってきたことの化けの皮がはがれかかってきているということなのだと思う。しかし朝日の現状を批判し、また笑い、さらに攻撃しているひとたちも、戦時中、戦争の実際を知らずに「兵隊さんの苦労を思え」などと説教していたひとと同じ位相で発言しているように思え、結局は朝日新聞のネガであって、同じ陥穽に落ちてしまう可能性が高いのではないかと思う。
それにしても朝日新聞に関係する人たちは、「良識あるひとびと」などが目立たないながらも日本の津々浦々に確実に存在していて自分たちを熱くあるいは静かに支持してくれているというような幻想を今日の今日まで抱いてきたのだろうなと思う。そしてそんなものは、もうどこにも存在していないことにようやく気がつき、自分の足下が消えていくような恐怖を味わっているのではないかと思う。
山本七平氏の本についてはまた書くかもしれない。