今日入手した本

  
 わたくしは橋本治さんは近世の人であると思っているのだけれど、ここでの近世とは、明治以前の日本で、近代とは文明開化以降の西欧を受け入れた日本である。
 もうはやらなくなったけれどもポストモダン思想というのがある。「近代後」思想というのは変で、「反=近代」思想、「非=近代」思想、あるいは「近代はよくなかった」思想であり、「近代を乗り越えよう」思想である。
 「近代を乗り越えよう」という方向で有名なものとしては、「近代の超克」座談会というのがある。ここでの近代とはおそらく西洋とほぼ同義である。明治以降西洋を受け入れてきたが、もうこりごりだ、西洋なんかもうやめようというという方向である。
 わたくしは近代という言葉を吉田健一から学んだ。吉田健一は近代はもう終わったといっていて、ポストモダンの時代のことを現代と呼ぶ。丸谷才一氏は吉田健一の近代という用語は恣意的で一般的なものではないといっているが(「近代といふ言葉をめぐつて」(「別れの挨拶」所収 「ごく常識的に言へば、近代といふのは歴史の時代区分の一つ、ルネサンス、大航海、宗教改革以降の時代を言ふはずなのに、吉田は「英国では、近代はワイルドから始る」と書き出す・・つまり近代といふのはモダニズムのモダニティなので、時代区分の語ではないらしい。」)、たしかに、評判になった「ヨオロツパの世紀末」で吉田氏はヨーロッパの世紀末を近代と呼ぶような特殊な使用法をしているる。氏はヨーロッパ世紀末を18世紀ヨーロッパのよみがえりであるとし、ヨーロッパは18世紀に爛熟し、その文明の頂点をむかえたが、19世紀になると再び野蛮に転落し、その野蛮からの回復の運動が世紀末の動向であったとする。吉田健一流にいうならば、「近代の超克」は必要なのであるが、それが西欧全体を否定しようとしたのは間違いで、否定しなければならないのは明治維新に日本がたまたま接することになった「野蛮な西欧」だけなのであり、本当のヨーロッパ、ヨーロッパの精髄である18世紀ヨーロッパ(とそれの甦りである世紀末の文芸)は少しも否定の対象にはならないことになる。
 わたくしははじめ、こういう吉田健一の論を氏の独創的な見方であると思い感嘆したのであるが、吉田健一が若き日に留学をした当時のケンブリッジのインテリたちのとってはこれはかなり共通に受けいれられていた見解であったのだろうと、その後、思うようになった。氏が師事した学者・文学者はブルームズベリー・グループ使徒会などに属する知識人で、特に、ブルームズベリー・グループの一員であるリットン・ストレイチーの論が吉田氏に決定的な影響をあたえているのは明らかと思う。また「ヨオロツパの世紀末」以前にも、たとえば丸谷才一氏の「津田左右吉に逆らって」(「梨のつぶて」所収)などにはすでに吉田氏の論と通じる視点が示されている(「日本近代小説の師たちの世紀は、ヨーロッパ史全体のなかで最も真面目くさった時代だったのだから。科学と実利主義は、そしてフランス革命による宮廷文化の消滅は、直前の十八世紀とはまったく対立する気質のものにこの世紀を変えてしまった。十九世紀は、生真面目で俗悪で道徳的なブルジョアの支配する世紀であった。歴史学者ホイジンガの巧みな言いまわしを借りれば、「十九世紀は労働服を着こんだ」のである。」)。ある程度ヨーロッパを深く学んだひとには、吉田氏の論が決して奇矯なものではなく、かなり常識的なものと受け取られたのではないかと思う。要するにわたくしが不勉強であっただけの可能性が高い。18世紀ヨーロッパは19世紀ヨーロッパよりはるかに高級で文明的な世紀というのはむこうの知識人にとってはかなり常識的で当たり前となっている話なのかもしれない。吉田氏の独創はヨーロッパ世紀末を18世紀の蘇りとみる視点のほうにあったのであろう。
 ブルームズベリー・グループはその当時を覆っていたヴィクトリア朝的な道徳とかヘーゲル流の大言壮語の重圧に反発していて、それからの解放の道を示すものとして、ムアに「倫理学」がかれらのあいだで熱狂的に受け入れられたことが清水幾太郎氏の「倫理学ノート」に描かれている。しかしこのグループは静的で高踏的な人の集まりであり、彼らがさまざまなことにシニックであることに激しくD・H・ロレンスが反発したことも清水氏の本で紹介されている。ブルームズベリー・グループもロレンスもともに19世紀ヨーロッパに反発したのであろうが、ロレンスのほうがより根源的であったということなのだろう。
 ロレンスについてのわたくしの知識は福田恆存経由である。その福田氏から「スラブ」という言葉を教えられた。ヨーロッパに汚染されていない非西欧地域に存在する何らか「純なもの」「澄んだもの」「まごころ」とでもいうべき何かである(「いいかげんにしなさい。どういふつもりできみたちは、二ひきのがまみたいに座りこんで、自分たちの息で空気を腐してるんです。もうたくさんだ。」(福田恆存「チェホフ」より、「退屈な話」からの引用部分))。渡辺京二氏が「逝きし世の面影」で示した江戸のひとたちの像もそれにつながる何かであろう。渡辺氏もおそらく反=近代の人である。氏が石牟礼道子氏のよき読者であるのもそのためであろう。
 橋本氏のこの本は夏目漱石の「坊っちゃん」と「猫」からはじまる。橋本氏によれば、坊っちゃんは前近代青年、前近代人である。猫も前近代人(前近代猫?)である。だから「坊っちゃん」を平気で受け入れる日本人は「近代に生きる前近代人」なのである、と氏はいう。つまり「少年(こども)」である。「坊っちゃんはなんでこんなにエラソーで上から目線なのか? 生徒をこんなにバカにしている先生なんて教育者失格だ!」と思うのが「近代人」なのである。
 子供=前近代、青年=近代であり、人は「近代」を受け入れることで「青年=大人」になると、氏はいう。だが、そこには「近代教育を受けて近代人になった人間」と「近代教育を受けただけの前近代人」と「近代教育なしの前近代人」の3種類がいる。橋本氏は坊っちゃんが理科系の教育を受けた人間であることを強調する。理科系の学問だけなら前近代人でいられるのである。問題は文科系の学問である。坊っちゃんの前にあらわれるへんなロクでもないいやな奴はみんな文科系の近代人である。だから仲間になる山嵐は数学教師なのであり、西洋に毒されていない漢学の先生も大丈夫ということになる。文科系近代人はみな「近代人の皮をかぶっているだけの贋物」なのである。
 そして清は前近代女性である。「坊っちゃん」という作品は、「近代というへんな時代に生きることになってしまった主人公が、“清のいた時代”を慕わしく思う」ことを書いた小説であり、漱石は「近代」を「へんなものだ」と思っていたのだ、と橋本氏はいう。
 内田樹さんが「「「大人」になること―漱石の場合」(「「おじさん」的思考」所収)でいう「虞美人草」の「内面のない」青年宗近くんもまた坊っちゃんの同類であろう。宗近青年が「尊い女だ、誠のある女だ」という糸もまた前近代の女性である。内田氏は「尊い女、誠のある女」それは『坊っちゃん』の清にも通じている、という。
 「猫」も近代知識人のバカげたやりとりを、「猫」がバカにしながら聞いている話である、と橋本氏はいう。「猫」では、知識人と対立するものとしてあらわれるのは実業家であるが、「苦沙弥」先生は自分のほうが実業家より偉いと不思議にも信じている。
 と、まだ30ページほどまでしか読んでいないが、本書は《「近代」になるとなにかいいことがあるのだろうか?》というとんでもないことを問おうとするものであるらしい。
 橋本氏がロレンスの方の人とは思えないけれども、氏はわたくしとほぼ同年齢であるから大学生の頃には周囲には政治の言語、文学の言語、要するに西洋から明治以降に輸入されたさまざまな《頭の》言語が飛び交っていたはずである。それを橋本氏は「坊っちゃん」のようにあるいは「猫」のように「へんなの!」と思いながら見ていたらしい。氏にそれを変と思わせたのは氏の《身体の》もたらした感覚であったのだろう。
 「坊っちゃん」も「猫」も漱石のアマチュア時代の作である。アマチュアなら傍観でもよい。しかし作家になるとなればそうもいかない。それが作家になった後の漱石の作であると橋本氏はいう。橋本氏も大学生時代には「へんなの!」でよかった。しかし作家となってしまえばそうはいかない。ということで本書のような考察が生まれてくるのであろう。
 
別れの挨拶

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ヨオロッパの世紀末 (岩波文庫)

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てのひらの肖像画

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倫理学ノート (講談社学術文庫)

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逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

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「おじさん」的思考

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