橘玲「(日本人)」(5)

 
 第二部「グローバル」の後半の「原発事故と皇太子狙撃事件」と「フクシマの空虚な中心 」の2章をみていく。
 「原発事故・・」は太平洋戦争の戦争責任の問題からはじまる。終戦直後、戦争責任の問題には2つの方向があった。一つは「一億総懺悔」論でみんなに等しく責任があるというもの。もう一つは「天皇有責」論で、戦前の憲法統帥権をもった天皇に責任があるというものであった。「一億総懺悔」論は為政者を免責するものとして批判された。「天皇有責」論も米国政府やマッカーサー占領軍が戦後の日本の統治に天皇の協力が不可欠と判断したため議論がされなくなった。そのため、「無垢な民衆が為政者に騙されて愚かな戦争に駆り出された」「昭和天皇も軍部の傀儡であったので責任はない」という「戦後史観」が公式見解となっていった。その結果、すべての悪はA級戦犯にあることになった。これはアメリカの占領政策にも好都合であった。しかし、「東京裁判は勝者が敗者をさばく政治ショーである」という批判がでてきて、A級戦犯までも“免責”されてしまうと、3百万人の日本人、2千万人のアジアの人の死者に責任を負うものがだれもいなくなってしまった。
 原発事故のときの自衛隊の放水活動は中央特殊武器防護隊を中心におこなわれた。これは防衛大臣の直属の部隊である。しかし、実際にはここを指揮は政府の対策本部にうつっていき、海江田経済産業大臣が指揮官となっっていった。海江田大臣は、自衛隊ばかりでなく消防庁にも指示をだした。これは法的には何らの根拠のないものであるから、海江田大臣はその結果に責任を負うことはない。
 橘氏が問題にするのは、海江田大臣の越権や管首相が東電本社に乗り込んで怒鳴りちらしたりしたことではない。こういうことがなければ、もっと事故への対応がうまくいっていた可能性があったのだろうかという点である。法制度上は原発事故においては原子力安全委員会原子力安全保安院の専門家が対策をたて、それによって防衛大臣自衛隊統合幕僚監部などに指示をだすことになっている。しかし専門家は早々に責任を放棄してしまった。本来の統治機構は崩壊してしまった。とすれば、あとは属人的な指揮命令によるしかなくなる。
 原発事故の責任はどこにあるのか? 原子力損害賠償法には事業会社に無限責任を課しているが、その損害が巨大な天災などによる場合にはこの限りでないとされている。東電はこの免責条項を根拠に免責を主張した。しかし、政府は免責をみとめず、事故の責任は東電にあるとしたが、その責任が具体的にどうようなものであるのかは一切述べなかった。結局、政府からの資金援助を条件に東電は免責の主張を断念した。したがって法的には東電が無限責任を負っていることになっている。
 しかし、会社法上は、株式会社は有限責任である。政府が法で東電が債務超過にならないように無制限に資金援助できることになったので、債権者の責任は消えてしまった。つまり、東電は原発事故に対して無限責任を負っているが、法律上の所有者である株主も、応分の責任を負うはずの債権者も“有限”の責任さえ「免責」されることになってしまった。それなら責任は誰が負うのか? 原子力発電は歴代の自民党政権が推進してきたので当時の民主党政権はもともと責任意識が希薄だった。もっとも大きな責任を負っているはずの事故当時の総理大臣はいつのまにか“脱原発の闘士”になってしまった。けっきょくこの未曾有の大惨事の責任の主体がどこにもいないことになってしまった。
 なぜ、こうなるのか? そこで橘氏がとりあげるのが1923年の難波大助による皇太子狙撃事件であり、それについての丸山真男による日本社会における責任の構造の分析である。この事件後、総理大臣の山本権兵衛は辞任、内閣は総辞職、警視総監と警視庁警務部長が懲戒免職、警護のかかわっていた一般の警察官まで免職。難波の出身地の山口県知事と、難波が上京の途中で立ち寄った京都府の知事も譴責処分、郷里の村は正月の行事を中止、難波のでた小学校の校長と担任は辞職、衆議院議員であった難波の父は蟄居し半年後に餓死した。
 ここにみられるのは古代の呪術的な無限責任の構造であり、事件にかかわったものはなんらかの“穢れ”を負っているとする構造である。丸山真男は、このような過酷な“無限責任”が、日本を“無責任社会”にしたと論じた。日本ではいったん「責任」を負わされると、スケープゴートにされたときの損害があまりに大きいので、誰もが責任を逃れようとする。そのため権限と責任が分離し、外部からはどこに権力の中心があるのかわからなくなる。
 われわれは「自分のしたことには自分で責任をとる」のは当然であると思っているが、この“自己責任”の考えは近代以前には存在しないものである。
 戦国時代の合戦は多くが農閑期におこなわれている。当時の農村では旱魃や飢饉はしばしばおき、冬から春には食糧が尽きることが多かった。合戦は農民に生き延びる機会を提供する公共事業だったのである。もちろん大名は合戦に参加する農民に給料などは払わない。戦場での獲物の現物支給である。当時、最大の商品は奴隷で、合戦が終わると町には人買いの市がたった。国内で買い手がない奴隷は東南アジアに売られていった。
 このような暴力の支配する社会は中世の中期になると、自生的な「連帯責任」へと移行していった。当時の最大の問題は出奔や逃散といった村民の出奔だった。それをふせぐための相互監視のシステムとして「五人組」などの連帯責任制度がはじまった。これは戦前の“隣組”まで続いていく。
 バンフラディシュのユヌスは“貧者の銀行”と呼ばれるグラミン銀行を創設して、それにより貧困改善に成果をあげたとしてノーベル平和賞を受賞した。グラミン銀行は貧しいひとから高利(年利10〜20%)をとるばかりでなく、借り手に「連帯責任」を負わせた。
 グラミン銀行マイクロクレジットは最貧困層への無担保融資であるが、融資の条件が地縁などによる5人一組のグループをつくることである。バングラディシュは男尊女卑の社会で、それまで女性はお金に触れたことさえなかった。この制度によって、わずかな融資を元手に牛を飼い竹の籠をつくってその収益から返済することになった。グループの一人が返済に窮すると他のメンバーが立て替える。返済率は98%ときわめて高い。今まで善意で経済援助をしてきたひとたちはこの制度を批判した。しかしユヌスは施しを与えるのは相手の尊厳を奪うことで、収入を得ようとする意欲を失わせると主張した。「借りた金を返す」ことはひとに自尊心をあたえるのだ、と。返済が滞る最大の原因は夫が妻が借りた金を取り上げてしまうことで、それを防ぐのに連帯責任が有効である、この制度は孤立していた女性たちに連帯を教えた。
 中世の村社会やバングラデシュでの連帯責任に対して、近代社会では「法の絶対性」と「自己責任」が原理となる。しかし、日本では法契約の絶対性はまったく理解されていない。80年代の日米構造協議でアメリカは通産省が主導する業界カルテルを批判したが、批判された側はみんなに都合が悪い法律をなぜ守らなければならないのかが理解できなかった(「みんな」には消費者や外国人はふくまれないのだが)。通産省の役人は自由と自己責任が表裏一体であることが理解できなかったのである。自己責任がとれない社会では統治構造をつくることができない。
 無限責任をとらせるムラ社会では誰もが責任をとらないシステムができることは自己防衛の観点から理解できることではある。しかし重大なトラブルがおきた場合には組織が機能を停止してしまう。トラブルの隠蔽と先送りがそこから生じてくる。これは日本企業の構造的な問題であるので、取締役会の改革程度では対応できない。根本原因は日本社会が「株主主権」を頑強に否定している点にある。「株主主権」とはガバナンスを機能させるための作り話である。組織の権限と責任を決めるためには「会社の所有者は誰か」ということを決めなければならないから。民主政国家では「国民主権」という“虚構”がある。それと同様に会社では「株主主権」という虚構が必要になる。ところが日本では「株主資本主義」は日本的な美風に反するという批判がつねになされてきた。しかし「みんなのための会社」は「誰も責任をとらない会社」と同じである。オリンパスの事例は、統治なき日本の“素晴らしい伝統”そのものであり、陸軍や海軍の無責任体制と同じもので、戦後の官僚制度や政治体制もそれをそのまま引き継いでいる。
 原子力損害賠償法は、事業会社に原発事故に対する「無限責任」を負わせている。しかし近代的な責任とは有限責任のことだから、これはそもそも近代の理念に反している。有限責任を前提とすれば、巨大事故がおきた場合の損害賠償をどうするかをあらかじめ決めておかなくてはならない。しかし、このやっかいな議論を避けるため、巨大事故はおきないという前提で議論が進み、電力会社もそうなったら国がなんとかしてくれるだろうと思って、無限責任を受け入れた。責任をとる場所がどこにもなくなるとあとは呪術的な無限責任=バッシングが残るだけである。
 東電の事故以来、東電社員へのバッシングが続いた。社員が休日の居酒屋で酒を呑んでいるだけで非難され、社員の子供の運動会に参加した保護者の社員は「お前はフクシマの被害者のところへいけ」といわれた。東電に勤めているというだけで“けがれ”を共有しているものとみなされた。
 明治国家は伊藤博文山縣有朋らがつくった。だから彼らは責任も負った。しかし、かれらがいなくなると、誰も責任をとるものがいなくなった。
 戦後の日本は近代的なガバナンスの形だけはつくったが、その意味を理解できず、その内部で相変わらずのムラ社会をつくっていった。
  
  
 最近の朝日新聞の騒ぎをみていると、太平洋戦争の戦争責任の問題はまったく未解決のままできているのだということを感じる。
 「A級戦犯にすべての責任がある」論が「靖国参拝」問題の根底にあることは間違いないであろう。
 もう一つ感じるのは「人間は戦争という環境化においては“悪人”になり、平和という環境下では“善人”になる」とでもいった見方で、朝日新聞があれだけ“平和”にこだわるのは、戦争という事態になると人間どうなるかわからないといった恐怖心のようなものがあるようにも思う。従軍慰安婦問題にしても、戦争下で人間がいかにあさましい存在に成り果てるかの事例蒐集の一例という側面もあるのではないだろうか? 戦争中に日本軍がいかにひどいことをしたかを朝日新聞が嬉々として報道しているようにみえるのも、それは自虐史観といったこととは必ずしも関係はなく、戦争がいかにひとを狂わせるかを示すことによって、平和の有難さを読者に感じさせるという教育的効果をねらっているということもあると思う。 何よりも、この観点にたてば、朝日新聞が戦時中になぜあれほど好戦的な記事を書きまくったのかということの説明にもなるわけで、戦争という事態が朝日新聞を狂わせたのであって、戦争が終わって憑いていた狐が落ちてみると自分でも何であんな記事を書いていたのかがわからない。「そうか、戦争のせいなのだ。戦争が人を狂わせ、われわれを狂わせたのだ。われわれも戦争の被害者だったのだ!」ということになれば、めでたく自己の責任は消え去るわけである。
 もう一つ、今度の戦争についての見方としては、それが天変地異に類するもの、人為によっては避けることのできない巨大な大きな流れの所産のようなものであるとする見方もあるのではないかと思う。そうであればやはり誰にも責任はないことになってしまう。小林秀雄が戦後、どこかの座談会でいった「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについて今は何の後悔もしていない。大事変が終った時には、必ず若しかくかくだったら事変は起らなかったろう、事変はこんな風にはならなかったろうという議論が起る。必然というものに対する人間の復讐だ。はかない復讐だ。この大戦争は一部の無知と野心から起こったのか、それさえなければ起こらなかったのか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然というものを、もっと恐ろしいものと考えている。僕は無知だから反省などしない。利口な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」といったことをいったのもその流れの中にあるのではないかと思う。
 明治維新で西洋を受容することに方向を決めた。それにともなって生じてきた様々な歪みや軋みが積もり積もってもう二進も三進もいかなくなってきていて、それが爆発するしかなくなってきていた、その結果としての戦争という見方である。しかし、それがかりにするしかないものであっても、そうであれば勝てるということには少しもならないわけで、始めるしかないとしても、いかに被害を最小に犠牲を最小にして早期に負けるかということと両立しないわけではないと思うが。
 太平洋戦争がおきたということが事実であるが、それがなぜおきたのかについては無数の説明がありうるわけで、それはわれわれがある出来事についてなんとか納得をしたいという衝動をもつことの帰結なのであろう。東日本大震災が起きたのはなぜであるかと問うひとはいないであろうが、それによっておきた結果については誰から責任を負わなければならない。
 だいぶ以前、「会社は誰のものか」という議論が出たことがあって、その時に、会社は株主のものであるということを知って仰天した。会社は社員のものであると思い込んでいたためで、ことほど左様にわたくしは前近代の人間なのだが、そういう議論がでる前に山本七平氏の本をいろいろと読んでいて、日本人が実際にずっと法であると思ってきたのは律令ではなく、貞永式目なのであるということに納得してきていたということもあるように思う。貞永式目というのは(わたくしが理解したところでは)土地の権利争いの判定指針のようなもので、一所懸命、実際に土地を耕している者をまもるということを原則にしているのかと思った。名目的な権利よりも実際にそこの土地で額に汗をして耕しているものを大事にするということで、「権利の上に眠る者は、これを保護せず」というのだろうか?(違うかな?)
 これは多くの日本人の思考の根底にあるものではないかと思う。会社で汗水流して働いている社員ではなく、単に金を出しているだけの株主が会社の持ち主だといわれても納得できないのである。
 難波大助の事例というのは本当に考えさせられる事件で、谷沢永一氏は日本人の特徴を一言でいえばおせっかいといっていたが、この人を非難してもかまわないと思えば、自分と一切かかわりのない人間であっても、みなでよってたかって非難攻撃の合唱をしている輪に加わる。開高健は「日本人は独裁者なき全体主義者なんですが、一度誰かをやっつけていいんだ、コテンパンに叩いていいんだということになると、どいつもこいつもがモラリストのような顔をしてぶったたく」と言っている。最近でも類似のことはいくらでもおきている。チャタレィ裁判のときに証人となった吉田健一が「猥褻とは何か」という質問に答えて、「他人の情事を話題にすること」と答えたというのをどこかで読んだ記憶があるが、それに則れば、日本人は猥褻なのである。橘氏はここで“穢れ”という言葉を持ち出すが、この辺りは井沢元彦氏の本で縷々説かれている。“穢れ”と“禊”というのは今でも日本人を深く規定しているとは思うが、この場合は“穢れ”というようなことよりも、単なる「連帯責任」意識なのではないだろうか?
 日本では権力の中心=責任の所在がどこにあるかわからないということは、河合隼雄の「中空構造 日本の深層」などでもいわれていた。いろいろな説があるということは、それぞれが幾分づつかは正しいということなのかもしれないが、事実として日本ではそれが認められるからこそ、諸説がでてくるのであろう。ただそれが日本に特有なことであるのか、農村共同体であれば、どこにでも見られることなのかは問題であろうが。
 戦国時代の合戦で、奴隷が国際的に売買されていたということは知らなかった。この頃からすでにグローバルであったわけである。
 バンフラディシュの事例はフクヤマの「歴史の終わり」での、歴史を動かす原動力は、尊厳を求める人間間の争いであり、その尊厳をまもることができなかったがゆえに共産国家は歴史の舞台から消えていくことになったという議論を想起させる。「歴史の終わり」執筆当時のフクヤマの予言、世界がフラットになっていくだろうという予言は外れたわけだが、現在のイスラム国の問題などは、予想とは違った方向でフクヤマの予言が現実となってきていることを示すのかもしれない。フクヤマは歴史が終わって、世界は末人の跋扈する平板な世界となっていくだろうとしたわけであるが、世界が平板な方向にむかっていくことに抵抗して、もっと血が沸く世界を希求するひとが少なからずいることをそれは示しているのかもしれない。ある時期、マルクス主義が人々のこころを捉えたのも、同じ理由によるのかもしれない。それは貧困の問題ではなく尊厳の問題であったのかもしれない。橋本治さんが、貧しいことは惨めなことなのだと指摘をしたときに、貧困が思想の問題になったのだといっていた。
 テリー伊藤氏の「お笑い 大蔵省極秘情報」で、大蔵省の優秀なるキャリア官僚氏が、「俺たちは猛勉強をしているから、どのようなことがおきても過去事例の知識から対応できる。ただ前例のない事態だけはだめだ。どうしていいかわからなくなる」といったことをいっていた。原発事故など前例のない事例の最たるものである。太平洋戦争なども前例のない事態であった。あるいは前例が日露戦争であったのかしれない。だから38式歩兵銃で戦争をした。
 わたくしは日本人論が好きで、山本七平河合隼雄井沢元彦、あるいは内田樹などといったひとの本を読んで、そうだそうだ、自分は典型的な日本人なのだなあと思ってきた。しかし、その一方でムラ社会的なものが嫌いで、群れるのがいやで、一人でいるほうがすきで、竹内靖雄さんのようなリバタリアンの本を読むのがすきなのだから明らかに矛盾している。
 橘氏は明確にリバタリアンの旗を掲げているひとであるので、日本人の分析は現状そうなっているという指摘ではあっても、それが望ましいものであるとも維持すべきものであるともしていない。それはわれわれにとって楽な生き方であるかもしれないが、これからの世界が否応なくグローバル化していく流れのなかでは維持することは不可能なのであるから、そのような古い生き方にしがみつかず新しい生き方を模索せよ、といっているようである。
 竹内靖雄さんのような強いひとは、日本にこだわることはない、世界のどこでも生きる覚悟をせよというようなことをいう。わたくしがむこうひとをみていて驚嘆するのは、ポパーやポラーニからドラッカーまで亡命して生きる多数の知識人がいることである。弱いひとであるわたくしには、日本以外で生きることなどまったく考えられない。ムラ社会がいやとかいっているくせに、日本でいきるのは楽なのである。これは語学力の問題ばかりではないだろうと思う。どこかで日本は文明であると思い、それに較べたら西洋は野蛮であるなあと思っていて、文明の中のほうが生きやすいと思っているからだと思う。グローバル化というのが必然であるのだろうことは充分理解できる。しかし、グローバル化は野蛮化ではないかと思うところもあって、橘氏ほどは前向きに捉えられない。おそらく、日本の文明のいいところと西欧の中でも文明的な部分のいいとこ取りなどという虫のいいことを考えているのであるが、そんなことできるわけはないだろうと橘氏は一笑に付すであろう。そうなのだろうなあ、とは思うのであるが。
 それともう一つ、日本が過去に苛烈な宗教戦争を経験していないということがあるのではないかと思う。ヨーロッパは心底懲りるような宗教の争いを経験しているわけで、そうであれば本当のところ他人が信用できないという思いが各人の思いの根底にあるのではないだろうか? 個人主義というのもそれの裏返しという側面もあるだろう。中国や韓国もわれわれに比べればずっと過酷な政治状況にあるわけで、失脚がそのまま死につながるような不安と隣り合わせで生きていると、信じられるのは自分だけということもでてくるはずである。
 わたくしが個人主義などといってもそういう過酷さとは無縁の甘い個人主義だし、非常に大きな内部抗争なしに来ている日本という国の生きやすさを前提にしているのだから、本当に過酷なグローバリズムに直面したら、はたして維持できるのだろうかという気がする。
 

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