北中淳子「うつの医療人類学」(5)第5、6章「鬱、ジェンダー、回復1、2」

 
 第5章と第6章はジェンダーの問題をあつかっていて、第5章が男性、第6章が女性を論じている。
 うつ病は欧米では長い間「女性の病気」とされてきた。典型的には子どもが巣立った後に感じる空虚感である。ファミニストはうつ病は女性がおかれた社会的状況の象徴であると主張した。
 その点でうつが男性の病気とされる日本は特異である。それは過労の産物であり、仕事からおきる病とされた。日本の精神医学は男性の「過労の病」としてのうつ病にやさしい。そこでは、一生懸命に働いているひとが報われないのはおかしいという意識が働いている。仕事中心の人間像は医師にも共有されている。そして仕事の側面が強調されるため、他の因子、たとえば家庭の問題などは看過されやすい。
 執着気質のうつの患者同士がお互いの体験を語る自助グループができていて、そこでの語りのなかから、自己の「執着」を離れて「諦念による自由」をえるようになるひともいる。
 日本でうつの女性が少ない点については、社会的地位が低いために医療にはかかりにくいためとか、社会的地位が低いために社会の重圧を受けにくいためとか、さまざまな説明がなされてきている。
 精神障害のなかでも生物学的背景のはっきりしたものほど性差が少ないことが知られている。ということは、うつにはやはり社会的要因が大きく関与しているということである。
 著者が接したさまざまな患者についてみても、男性の場合には定式化したストーリーが作りやすいが、女性の場合ではそうではないという。
 女性の場合はうつ病と認識されるまでの壁がある。女性の語りが単線的ではなく複合的で男性の場合よりわかりにくいということもある。そもそも男性医師は女性が語る物語に共感を感じにくい。また、そのために女性の患者の場合、医師との安定した関係を築きにくい。男性は医師とのあいだのパターナリズム的関係に安住する傾向があるが、女性の場合、依存への欲求と自己コントロールへの希求のあいだで揺れ動く。男性医師と女性患者の場合には「転移」「逆転移」の問題もでてくる。
 
 ここでは論じられていないが、うつの大きな原因として、マタニティー・ブルーといわれる出産後のうつがある。これが引っ越しうつとか昇進うつとかとも関連する大きな目的を達した後の空虚感などとどのように相関するのかはわからないが、ホルモンバランスの大きな変動が関係しているとの見方が多いのではないかと思う。また更年期障害といわれる症状の一部にだるさとかやる気のなさといったうつと関係ないともいえない症状があり、しばしばホルモン補充療法で改善する。女性は毎月ホルモン変動を繰り返しているわけで、それが身体にあたえる影響は非常に大きいものがあると思うが、それを男性が実感することは不可能である。
 それとの関連でいえば、医者をはじめたばかりの20歳代の研修医が85歳の患者の気持ちをわかれといわれても無理だし、健康な医者が進行した癌で余命が見えているひとの気持ちをわかることもまたできないと思う。尊厳死協会に入っていて、リビング・ウイルの書類の「無駄な延命処置を一切しない」にサインしていたひとが、いざ大きな病気で入院してくると「できることはなんでもしてください」と前言を撤回することも2回ほど経験した。自分のことさえわからないのに、ましてや他人のことなどわかるはずないではないか、しかも異性のことなど。精神医学というのはとんでもないことに挑んでいることになる。
 男と女の間には暗くて深い川があるのかどうかは知らないが、最近では男女の差というのは「社会的に構築」されたものではなく、狩猟採集時代に生き残りのため(子孫をたくさん残すため)に最適な戦略であった役割分担がそれを規定したとする進化心理学による説明が主流のようである。それによると、なぜ女性がハーレクイン・ロマンスを好むのかといったことまでもちゃんと説明できるのだそうである。白雪姫の物語の変奏で「どこかから王子様が」であるし、あるいは竹取物語で、美女のまわりに男が集まって贈り物攻勢である。最近の世界的ベストセラーという「フィフティ・シェイズ・オブ何とか」というのもその路線らしい。いずれにしても男はハーレクイン・ロマンスなどは読めないのである。
 狩猟採集時代に男は狩りに出て、女は木の実などを拾いながら子育てをした。太古から育児や介護は女の仕事だった。医療の起源はおそらく子供をあやす母親である。現在、看護というのが主として女性の仕事となっているのはその名残で、したがってシャドウ・ワークの一つであった介護が介護保険により有償の仕事とされたのはフェミニズムの方面からは画期的なことと評価されている。育児にしても、料理にしても、すでに有償の部分はあった。だが、出産は男にはできず、自分のお腹の中に子どもがいるという体験も男にはできず、どんな経験か想像もできない。
 著者は女性であるが、本書ではジェンダーについての主張は穏やかである。男性は社会人であるうちは仕事によってほとんどの生活が塗り込められているが、女性の場合は仕事だけでなく、家族関係をふくめた重層的な要因がうつと関係していることを述べるだけである。
 最近、専業主婦のことがいろいろ議論されているが、農業が主たる産業であった時代には、妻は即労働力でもあったはずで、当初、専業主婦になることは肉体労働からの解放を意味した。しかし、はじめはそれでも家事に膨大な時間をさかねばいけなかった。昭和20年代には主婦の家事にとられる時間は十数時間であったといわれるが、現在では2〜3時間らしい。高度成長期から失われた10年にかけて、さらにはリーマン・ショックなどを経て現在に至る労働環境のさまざまな変化が男性にあたえた影響については本書でも論じられているが、女性については比較的現在直面している問題に話が限局されていて、女性も経験してきたであろう歴史的変化による立場の変化がメンタルに与えた影響については、あまり議論がされていないように感じた。著者も働く女性として、仕事をしている女性のほうに共感が働くということがあるのかもしれない。わたくしの乏しい経験でもいわゆる総合職第一期生から多くのメンタル不調者が出たことをみている。過度の使命感により燃え尽きた人を何人もみた。これから女性登用が世の中の流れになっていくと、地位が上昇した女性が、それが本当に自分の力が認められてそうなったのか、女性を登用しないといけないという社会の圧力からたまたまそうなったのかといったことで悩むことが増えるのではないかと思う。
 わたくしの身近にある話では、女医さんは男性医師の何倍も苦労をしている。子育てしながら仕事を続けている女医さんは収入のほとんどを保育の人やシッターさんの確保というような部分つぎ込んでいるようである。しかも女医さんに気の毒なのは、男性患者からも女性患者からも男性の医師ほどの信頼を得られない場合が多いことである(産婦人科を除く)。これは男性看護師の微妙な立場ということをふくめ(看護の仕事は男性患者からも女性患者からも基本的に女性の仕事と思われている)、ジェンダーの基本にかかわる問題だろうと思う。医療の場にはパターナリズムがはたらきやすく、父性は男性の機能だからである。
 これからの日本における正社員と非正規社員の格差のあいだの問題、寿退社という言葉が死語になっていくであろう時代に女性が当面する可能性の高い目には見えないガラスの天井といったものがメンタル疾患の動向にあたえる影響というのはきわめて大きいだろうと思う。現在問題になっているいわゆる「新型うつ」の多くは男性である(女性もないわけではない)が、それもこれから変わっていくかもしれない。。
 次章の「「労働科学」の新たな展開」は、直接、労働とうつ病の関係について論じている。
 

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