今日入手した本 橘玲「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」幻冬舎文庫

 2010年に刊行された本の文庫化らしい。
 橘氏の本は今まで何回かとりあげている。橘氏はわたくしにとって非常に間合いの計りにくいひとで、そのいっていることのかなりには賛同できるのだが、書いている姿勢のようなものがよくわからない。わたくしは投資とか投機とかがいたって苦手な人間で、バブルの頃、たしか長谷川慶太郎さんだったかが「今の時代に投機をしない人間は世捨て人である」といったことを言っているのを見て、「確かに自分は世捨て人だなあ!」と思った。なにしろ「武士は食わねど高楊枝」という諺が大好きなのである。あるいはチェホフの座右銘「何もいらない」とか。しかし橘氏は投資とかをあっけらかんと肯定する(ように見える)。
 一方、本書にかぎらず氏が引用する本のかなりがわたくしが読んでいる本で、こういう基本的に文科系の本に広い意味での理科系的な本にたくさんの言及があるのがうれしい。
 本書は勝間和代氏と香山リカ氏の論争の話からはじまる。このお二人ともにわたしは苦手で、何か底が浅い感じがする。とても勉強しているひとだと思うのだけれど、必要なことしか読んでいないようで、もっと役に立たない本も読まなければ深みと幅がでないと思う。ここでの勝間氏は「自己啓発派」の代表選手である。一方、香山氏は「努力したくないひとがいてもいいじゃないか」派。
 本書は橘氏自己啓発派への違和感の表明の書であるらしい。(まだ半分弱しか読んでいない。)
 ここでとりあげられるのがピンカー「人間の本性を考える」であり、ハリスの「子育ての大誤解」であり、ドーキンスであり、デネットであり、ベッカーである。デネットまではわかるのだがベッカーが苦手である。ベッカーは確か竹内靖雄氏の「経済倫理学のすすめ」で知ったのだと思うが、その副題「「感情」から「勘定」へ」を文字通りに実践したのがベッカーで、ノーベル経済学賞を受賞したひとにこんなことをいっていはいけないのかもしれないが、この人、たかがお金ではないかという含羞のようなものが一切ないひとなのである(竹内氏には明白にそれがある)。
 「子育ての大誤解」もたしかピンカーの本で知ったと思うのだが、いまだに本当なのかなあという疑念が残っている。これが本当ならフロイト学説など雲散霧消である。若いころ伊丹十三岸田秀にいかれたことがある人間としては青春を返せである。もちろんフロイト学説のほとんどが根拠を失っていることは事実なのであろうが、一方、フロイト説というのが一部の人を癒やすのも事実なのである。臨床というのは治せば勝ちであって、正しいかどうかは二の次であるとすると、今だフロイト説の有効性が完全になくなったわけではないことになる。
 最近の日本の小説では母親−娘の葛藤というのが一つのブームのようである。それの解毒には本書は有効かもしれない。
 本書の一番の背景には進化論がある。今時、進化論ぬきの人間論など意味がないと思うのだが、未だに文系においてはそれが跋扈しているようである。わたくしが橘氏の本にひかれる一番の理由はそこにあるのではないかと思う。