池田信夫 与那覇潤 「「日本史」の終わり」(1) 「まえがき」 第1章「中国から歴史を見る」

    PHP文庫 2015年3月
 
 本書は2012年に刊行された本の文庫化で、したがって民主党政権が論じられ、橋下市長の「大阪維新の会」についてかなりの議論がなされている。
 それで、池田氏の「まえがき」によれば、橋下氏の手法は西洋近代よりも中国的な「人治政治」に近い。これはある意味では当然で、日本の官僚機構は儒教的システムでおこわなれており、議会が立法して官僚が執行するという三権分立ではなく、立法も行政も司法もおこなう官僚機構が権力を独占している状態が明治以来ずっと続いているからである。
 中国では「国家」とは皇帝と官僚機構のことであった。議会は伝統的に存在していない。法律が国家権力を拘束する「法の支配」はなく、皇帝の属人的な権力に国民を従わせるのが法律の役割となっている。
 しかし一方では日本は中国型とは大きくことなるところがある。それが与那覇氏のいう「江戸時代型」である。300の藩が別々の法と武力をもち身分を固定化し移動を禁じたやりかたは平和の維持には有効であったが、中間集団がタコツボ化して全体戦略や強いリーダーが不在となるという重大な欠点を有した。この内向きで縦割りの社会は必ずしも江戸時代の産物ともいえず、丸山真男が「古層」と読んだ古代以来の日本人の行動様式なのかもしれない。
 以下は、近代化=西洋化という従来からの歴史の見方を再検討し、日本・西洋の2軸ではなく、日本・西洋・中国の3軸で見てみようとする試みである。
 として、第1章「中国から歴史を見る」に入る。
池田:中国の存在感が増してきている。中国をちゃんと考えなければという機運がでてきている。おそらく1980年頃、欧米のひとは日本というわけのわからない国が急速に成長してきた、として日本に関心(と恐怖心)を持つようになった。それと同じことが中国に対して今おきてきているのである。
那覇:「近代化」とか「西洋化」というと無条件にいいものとされる傾向があった。「国際化」や「グローバル化」はそれが無条件にいいものとはされないかもしれないが、とにかく対応しなければならないものとされる。しかし「中国化」というと、そうではない。それが自分が「中国化」という言葉を出したねらいである。ここでの問題は「中国的なもの」のほうが「日本的なもの」よりもグローバル化に適合しているのではないかということである。
池田:バブルが崩壊したら途端に日本人論のブームも去った。
那覇:問題は「中国まで台頭してしまったということである。これは従来の「西洋化」のモデルでは説明できないかもしれない。「大躍進」という毛沢東の重化学政策が失敗したころには、中国は「西洋化」の劣等生とみなされた。しかしそれが成長したきた。とすると西洋とは別の発展ルートがあるのではないかという見方がでてくる。いつの間にかサムソンに勝てる日本企業がなくなってしまっていた。「理解できない逆転」がおきた。それへの苛立ちが今の日本の「嫌韓」「嫌中」の根にある。
池田:日清戦争あたりで日本は中国は後進国というイメージを持った。
那覇:かつて、民衆が貧しいうちは開発独裁でいいが、生活水準が一定の閾値をこえると人々が立ち上がって民主化を起こすといわれていた。しかしこれは経済が成長して中産階級の形成が進むと彼らが政治的な権利を要求してブルジョア革命にいたるというフランス革命=「西洋的な近代化」モデルに依拠した見方である。しかし猛烈な経済発展をとげている中国では一向に民主化は進んでいない。
 学問の世界では西洋中心主義への批判は1990年ころにはピークであった。しかし、西洋中心の見方はいけないとは主張されても、代案がだされたわけではなかった。批判していた彼らも西洋以外の場所に世界の中心が来てしまうのではないかとは考えていなかった。
池田:西洋中心主義への批判はレヴィ=ストロースなどもそうであった。しかし、それは未開社会にも理性はあるぞという主張である点で西洋的なロゴス中心主義ではないかという批判をジャック・デリダなどから受けることになった。
 イギリスは平和だったので、コモンローが生まれ、戦争の多かった大陸では中央集権的な政府の権力が強くなり、ナポレオン法典のようなものが生まれた。一方で、まったく戦争がなかった場合のモデルが日本で、同族集団がゆるやかに連合して仲よく全国に広がって、法律も宗教もほとんどないままでやってこられた。
那覇:しかし、日本でも恒常的な内乱状態が続いた中世ではそうはいえないのではないか? だが、最終的に日本では中国的な「一つの暴力団」による貫徹した専制支配にはいかずに、「大名」という地方暴力団が残っていった。戦国時代は慢性的な飢餓状態だったので、大名はそれぞれの領民を保護することで勢力が均衡したのではないか? ただし、戦国時代の内乱状態といっても、世界の他の地域とくらべれば「まだまだ生ぬるい戦争にすぎなった」とはいえるかもしれない。
 中根千枝氏の「タテ社会の人間関係」は読まずに誤解しているひとがいるが、同族集団が、「場の共有」(タテ社会)と「資格の共有」(ヨコ社会)のどちらに規定されるかを論じたもので、「どの土地に暮らしても、同じ資格=職業を持っていれば仲間」と考えるか、「いかなる地位にあろうが、同じ場所にいるものが仲間」と考えるかの区別である。ヨコ社会の典型はインドのカースト制度である。
池田:ドーキンスの「利己的な遺伝子」でいわれるように、遺伝子のコピーを最大化するということでほとんどの行動は説明がつく。しかし最近「集団淘汰」ということがいわれるようになり、E・O・ウイルソンなどが集団のレベルで淘汰がおきるという理論を提唱している。ドーキンスの血縁淘汰では説明できないことがある。利他的な感情がそれで、これは誰ででもあるが論理的には説明できない。不平等は非道徳的という感情は世界共通である。これが遺伝的か文化的かが問題となるが、日本列島が大陸から分離した2万年くらい前からの時間で遺伝的な差が生じるとは考えられないから日本人と中国人の差は文化による。カーネマンの「プロスペクト理論」でのシステム1とシステム2で、無意識のメカニズムによるシステム1が人間の行動の8割を決めているとされる。
那覇:完全な「個体だけ」の合理性では人間社会は動いていない。日本ではつねに地域共同体のほうが職能共同体より強い。村や藩といった地域共同体の積み重ねで日本は構成されている。その完成が江戸時代という究極の「タテ社会」である。だから日本は労働組合も企業横断型にはならない。企業一家となっていく。
 
 わたくしは自分ではリバタリアンと江戸時代をいったりきたりしているように感じていて、われながら無原則な人間であるなあと思う。リバタリアンの前提は個人であるはずで、その個人を生んだのは西洋近代だと思うので、その点ではわたくしは間違いなく西洋近代の信奉者であるのだが。何よりも小説というのは西欧近代の産物で、その根にあるものはどのようにつまらないように見える人の生にも神話の神々と同じ物語があるという見方で、つまり人の生は貴賤なく平等なのである。
 だから個人を抑圧してくるようにみえる共同体というのが大の苦手で、いわゆる日本の農村共同体的なものからはひたすら逃げたい。こういうような存在を逃亡奴隷といったのは伊藤整だったかもしれないが、独立した個人(これを伊藤整は仮面紳士といっていた気がする)どころか逃げまどう奴隷である。
 丸谷才一氏の「笹まくら」も個人が共同体から逃げ出すが捕まってしまう話であったと思う。「エホバの顔を避けて」もまた同じである。エホバが指すのは狭義には政治なのであろうが、広義には人々が集まってすることすべてであろう。とにかく人と一緒にいるのが苦手、一人にさせておいてくれ、などというのは独立した強い個人などからはほど遠い。
 以前アーレントの「人間の条件」を読んで、広場に出て自己の思うところを演説しない人間は人間ですらなく、黙々と生産に従事しているひとは奴隷であって人間ではないように書かれているのをみて驚いたことがある。前者が活動で、後者は労働、その中間に仕事というのがあるのだが、この本を読んでびっくりしたのは、労働価値説のようなマルクス主義的な見方を根元からひっくりかえしているように見えたからであろう。さらにこの根元には、公共領域と私的領域の区分という問題がある。みなで一緒に田の畦づくりをするのが公共なのだろうか、ということである。アーレントの描く人間の像はまぎれもなく西欧のものであると感じる。西洋の一流の人間が描く人間の像には何か凄いものがある。
 その個人を捕まえにくるのが「江戸時代」なのだとしたら、明治以来の西洋受容は個人の確立というよりの「江戸」からの逃亡であったのかもしれない。門閥制度は親の敵でござる(福沢諭吉)であり、脱亜入欧である。
 本書に流れる通奏低音は逃げても逃げても追いかけてくる「江戸」ということである。あるいは日本人骨がらみ浸かっている「江戸」というものの呪縛の強さである。
 たとえば内田樹さん。どうも最近の内田さんはあまり調子がよくないように見えるけれども、それは現実政治に少し深くかかわりすぎてしまったためではないかという気がする。内田さんが仮想敵にしている橋下市長は本書では中国型に分類されている(皇帝志向が明白なので)が、それに対する内田さんは「江戸」の擁護者である。「調停いろはかるた」を知ったのは内田さんの本によってであるが、「論よりは義理と人情の話し合い」「なまなかの法律論は抜きにして」「白黒をきめぬ所に味がある」「権利義務などと四角にもの言わず」などというのが「江戸」なのである。このかるたはもともとは川島宣宜氏の「日本人の法意識」に紹介されているが、「三人吉三廓初買」の和尚吉三の調停?が日本における理想的?なやりかたである。内田さんは大学勤務時代は実にまじめに大学の雑務をこなしていた人だが、そこでのもめごとへの対応はひたすら「調停いろはかるた」の精神でおこなっていたのだそうである。
 大学の雑務というのはどう考えても公共の仕事ではなく、農村共同体の延長のようにみえる。吉田健一も大学教授をしていた時代があるらしいが、本人もそんな雑務をする気はなく、まわりもそういうことを極力させないように気を使っていたらしい。養老孟司さんも大学の会議などというのは本を読む場と決めていておよそ不真面目に立ち回っていたらしい。わたくしはこういう点にかんしては断然吉田・養老派であって、年を重ねると責任者になったりして何かの挨拶をさせられることもあったが、「今日はまことにお日柄もよく・・、当方の業績は・・、これからますます・・で、一言ご挨拶させていただきました」などというのを、自分でもなにをいっているのかわからないが、聞いているひとなどいるはずないであろうということを頼りに、その場を凌いでいた。
 内田さんは漱石の「虞美人草」を論じて、宗近くんとその背景にいる天保老人を称揚している。もちろん漱石自身もそうなので、作者が藤尾という女性を嫌悪していることは明白である。天保老人は当然江戸時代で、藤尾は「新しい女」つまり文明開化以後の新しい女、小賢しい女である。
 江戸時代に二つの面があることが問題なのだと思う。一つが農村共同体的集団主義が個人を抑圧してくる方向の日本、もう一つが「まごころ」?の日本、西洋の競争社会にさらされていない日本、渡辺京二氏が「逝きし日の面影」でうむことなく描いた今に満足し落ち着いている日本である。西洋競争社会からの脱落者であるハーンが憧憬の目で見た日本、漱石が「草枕」であるいは漢詩で描いた「白雲郷」、あるいは落語の世界?である。こういうものは実際には存在しなかったものへのノスタルジアであり、「江戸幻想」であるという批判はある。しかし、それが実際には存在しなかったものであるとしても、日本人がそういう方向こそがあるべき方向であって、明治以降受け入れた西洋は借り着、生き残るためにやむなく受け入れた方便、身過ぎ世過ぎのためいやいややる賃仕事、本当の自分ではないものと思ってきたことは間違いなくある。それがとことん厭になって借り着を脱ぎ捨てようと自棄になっておこしたのが太平洋戦争で、そこで徹底的に打ちのめされて、やはり力が必要だ、力の起源は西洋の物質&科学であるのだと見定め、それでいこうと猛進して高度成長をなしとげたけれども、組織の原理はあいも変わらず江戸時代のままであったので、成長が頭打ちになると、やはり日本的な組織原理では駄目なのかと、グローバルの風潮の前で佇んで考え込んでしまっているというのが日本の今の状態なのではないかと思う。そして中国の台頭を見て、そうなのか何でもかんでも西洋化しないでもいける可能性もあったのかと割り切れない思いでいるということなのかもしれない。
 今では一顧だにされない哲学者であろうが明治期の日本におけるハーバート・スペンサーの権威たるや凄まじいものであったらしい。「弱肉強食」「適者生存」である。最近のグローバルの思潮というのはスペンサー哲学のリバイバルであるように見えないこともない。
 第1章までの議論でよく理解できないのが「集団淘汰」とかカーネマンのシステム1とかシステム2などを論じている部分で、どうも恣意的というかいいとこ取りというか、自分の論に都合のいい部分だけをつまみ食いしているのではないかと思えるのである。
 もともとローレンツのが「攻撃」などで論じていたのは種に淘汰がかかるといった集団淘汰にもとづく議論で、それを否定したのがドーキンスの「利己的な遺伝子」の淘汰は遺伝子にかかるという論である。そこで問題となったのが利他的行為の存在をどう説明するかということで、それを説明したのが血縁淘汰の概念であったのだと思う。
 ところがそれに対してE・O・ウイルソンなどが「集団淘汰」という理論を提唱しているのだと池田氏はいっている。そこでいわれているのは宿主と寄生するバクテリアとの関係で、宿主を全滅させてしまったら寄生バクテリアも死滅するしかなくなるから、そうならないようにする遺伝子がバクテリアのなかにあるはずである、という議論を展開している。しかしそういう遺伝子があるという議論は飛躍で、事実宿主を滅ぼしてしまったために自身も死滅してしまったバクテリアもたくさんあるに違いないわけで、そのように超強力なバクテリアは生き残れないのは事実であっても、それをそのための遺伝子があると仮定する必要はない。ちょうどいい毒性をもつバクテリアが生き残ってきたというというだけのことではないかと思う。
 しかし池田氏は人間が持つ利他的な感情という例を持ち出して、そこから人間でも「集団淘汰」が働いているはずであるというように議論を進めていく。「他人が利己的に行動するのはけしからんという感情は誰にでもある。感情的に許せない。こういう感情は世界共通で、特定の人が富を独占するのは不道徳で、みんなに分配することが道徳的だという感情も普遍的です」という。「これは狩猟採集社会で飢えに直面しているときに、獲物を捕まえた人がそれを独占すると他の人が餓死するため、集団淘汰で備わった感情であると考えられています。伝統的社会では、獲物を独占して隠した人は、他の人から強く避難されます。さてそれが遺伝的であるか文化的であるか?」
 慣習や文化の影響を池田氏は潜在意識(システム1)に組み込まれているという。意識的にコントロールできない感情とか衝動が人間の行動の8割くらいを決めているのがカーネマンのプスペクト理論であり、それは人間が意識的にすべての行動をコントロールしているとする新古典派経済学が依拠している合理的人間像を乗り越えたのだというようなことがいわれる。
 わたくしが疑問に思うのは、「利他的な感情」は普遍的なものではなく、身内・仲間だけにしか働かないのではないかということである。狩猟採集時代にはヒトは数十人レベルの集団で行動したいたはずで、その数十人は身内・仲間である。しかし他の集団は自分たちが採集したものを奪いにくる可能性を潜在的に持つ敵である。そこに「利他的な感情」が生じる余地はないと思う。栗原慎一郎氏が「パンツをはいたサル」でいう「砂かけばばあ」「妖怪・一反もめん」にヨソモノは見えるのである。どこまでをヨソモノとし、どこまでをミウチと見るかは遺伝的なものではなく文化の産物であろうが、人間を仲間と敵に二分するというというのは人間に遺伝的に備わっている性向であると思う。したがって、利他的な感情は文明の産物であって遺伝的な基礎を持たないはずである。そうでなければ昨今のイスラム圏でのさまざまな出来事は理解できない。
 フォースターはいう。「ポルトガルで暮らしている人が、まったく知らないペルーの人を愛しないさいなどという ― これはバカげた話で、非現実的で危険です。・・われわれは直接知っているひとでなければ愛せないのです。」あるいは同じフォースターの「力はたしかに存在するのであって、大事なのは、それが箱から出てこないようにすること」で、「偉大な創造的行為やまっとうな人間関係は、すべて力が正面に出てこられない休止期間に生まれる。」 こういう休止期間をフォースターは文明と呼ぶわけで、利他的な感情が身内以外におよぶことがあれば、それは人間の歴史で例外的である文明の時期だけなのである。決して、人類に普遍的なものではないと思う。
 カーネマンのシステム1、システム2も必ずしも非合理と合理ということではないと思う。人間がつねに合理的に考えていたらそれは非合理な行動なのである。ゆっくり考えるのではなく、いくつかの材料から手っ取り早く判断してしまうほうが、多くの場合合理的である。生き残るという目的にとって、ゆっくりと時間をかけて考えることは非合理なのである。考えている間に補食されてしまう。
 江戸で完成された文化が遺伝子に組み込まれているはずはないので、今の日本人の行動が江戸を引きずっているとしても、すべて文化的なものであるはずである。このあたりに集団淘汰などという話を持ち込むと混乱が増すばかりである。
 日本・中国・西欧の比較論において遺伝子とか淘汰といった語を持ち出しても混乱がますばかりであるとわたくしは感じるので、どうもこの辺りの議論には納得できないものが残った。
 第二章は「戦争が国家を生んだ」。
 

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