今日入手した本 池澤夏樹個人編集「日本文学全集 20 吉田健一」

 
 「文学の楽しみ」と「ヨオロツパの世紀末」の長編2編と「「ファニー・ヒル」訳者あとがき」、「ブライズヘッド再訪」「ディラン・トマス詩集」(ともに「書架記」から)、「石川淳」(「交遊録」から)のやや長目の文4編、後は、短めの随筆9編、「酒宴」「辰三の場合」「お化け」の短編小説3編と、翻訳として「シェイクスピア詩集抄」を収める。
 まず妥当な選択のように思うが、わたくしなら、「ファニー・ヒル」あとがき、「ブライズヘッド再訪」「ディラン・トマス詩集」「石川淳」をけずり、「シェイクスピア詩集抄」ももっと数をしぼり、代わりに「瓦礫の中」か「絵空事」を入れ、「時間」からの数章を加え、「辰三の場合」と「お化け」を外して「航海」を入れるようにしたい。少し枚数オーバーになるかもしれないが。もっとも池澤氏は「解説」で吉田健一は「小説も書いたけれども、彼の小説を例えば大岡昇平と並べて論じるほど高く評価することはできない」というのであるから、吉田氏の長編小説を収載していないのは当然なのかもしれない。池澤氏は批評家としての吉田健一をもっぱら評価する。
 それでこの池澤氏の巻末の「解説」を見ていきたい。
 まず「シェイクスピア詩集」に所収された「翻訳論」の一部を引用して、「一見して悪文。「それ」や「その」や「この」などの指示代名詞が多すぎる」という。ところが、わたくしはその引用された文を読んですっと意味がとれるし論旨も頭にはいってしまう。少しも悪文だとは思わない。慣れというのは恐ろしいものである。
 「猫が誠実でないとは言へなく、犬が誠実であるといっても限界はありして」というのは福原麟太郎氏作の吉田健一文体のパロディーであるが、この「言へなく」がくせもので、ここは本来なら「言えないが」と逆態接続となるところである。「彼は金持ちであって、吝嗇である」というのは英語なら普通な言い方だが、日本語ではおかしい。日本語なら「彼は金持ちだが吝嗇だ」とならなくてはならない。池澤氏もいうように、吉田氏は「頭の中では英語やフランス語でものを考えていたらしい。」 少なくとも構文が英語的なのである。福原氏は上記のパロディーに続けて、吉田氏の文体を「テニヲハで無限に続く文体」といっている。吉田氏の悪影響で、わたくしがここに書く文章も、本来読点を打つべきところに句点を打って文章がダラダラと続くことになっていることは自覚しているが、なかなか変えられないでいる。多分、「それ」や「その」や「この」も多い。
 池澤氏は「『ファニー・ヒル』訳者あとがき」をまず論じて、「ファニー・ヒル」を猥褻と断ずるのは19世紀ヨーロッパの見方なのだという。さらに「ファニー・ヒル」とおなじものを日本で探せば江戸期の浮世絵の春画がそれにあたるとし、明治以降の日本でそれをわれわれが鑑賞することを妨げていたものは、「人生は辛く苦しいものであるという先入観が」あって「それに耐えて生きるのが人間だと思われていた」からであるという。それこそがヨーロッパ19世紀に生まれた思想が明治期に輸入されたことの影響なのだ、と。
 「文学の楽しみ」が言っているのは「文学を何かのための道具にするなということに尽きる」と池澤氏はいう。ところで新潮社の「吉田健一集成7」の月報の「小説からの逸脱」という解説で池澤氏はこんなことをいっている。「架空の人物を創造して、彼らにさまざまな体験をさせ、その体験を通じて思想を表現する。これが作者の視点から見た小説の原理である。読者の方は登場人物の運命に共感したりはらはらしたり、とりあえずはプロットの力で先へ先へと進んで、最後に作者の思想を理解するに到る。実に明快な装置だと思うが、吉田健一はそれを認めない。」 この池澤氏のいう小説の原理が正しいのなら「文学は作者の思想を表明するための道具」ということになって、吉田氏の主張とは対立することになる。ところがこの文学全集の「解説」で池澤氏は「この「日本文学全集」をぼくはもっぱら吉田健一丸谷才一の文学観に依って編んでいる」という。矛盾していないだろうか?
 わたくしは池澤氏にどことなく昔風の「進歩的文化人」の匂いを感じている。退歩的非文化人のわたくしとしては微妙になじめないものがある。「要するにひげをふくむ長髪は、新左翼のみならずその周辺のあらゆる文学青年的精神のシンボルなのである」という無茶苦茶なことを倉橋由美子さんはいっていたが、池澤氏も髭を生やしている。
 池澤氏には何か人を指導したいというところがあると思う。丸谷氏にもそういうところがあった。何か偉そうなのである。文学賞の選考委員などをやるのもその表れではないかと思う。あるいは徒党を組む、弟子を作る。吉田氏にはそういうところがなかった。自分はこう思うとただ書き続けた。
 「解説」で池澤氏は、吉田健一は「ファニー・ヒル」を賛美して、D・H・ロレンスには少し距離をおいた、「文学を性の解放の道具にしてはいけない」から、ということをいっているが、吉田健一はロレンスに距離をおくことはなく、またロレンスは性の解放などとは真逆なことをいったのではないかと思う。この辺りがわからない。
 「吉田健一が自分の文学観の基礎においたのはT・S・エリオットの「荒地」だった」というのもよくわからない。吉田健一はエリオットには距離をおいたのではないだろうか? エリオットも段々と「文学を何かのための道具」にするようになった、というのが「文学の楽しみ」でいわれていたことではないだろうか?
 日本の文学はずっと和歌中心できて、指導的な批評家として、まず紀貫之がいてそれを藤原定家が継ぎ、それが長く続いて明治になって正岡子規がそれをひっくり返し、しばらく低迷した後、吉田健一がその位置を占めることになるというのが丸谷才一の見立てと紹介した後、本当は自分だと丸谷氏は言いたかったのかもしれないと池澤氏は皮肉をいっているが、本当は自分だと池澤氏も言いたいのではないかとこちらもいささか勘ぐってしまう。何しろ、世界文学全集と日本文学全集を一人で編集してしまったのだから。
 解説の中に、「文学の楽しみ」から管茶山の「風軽軽。雨軽軽。雨歇み 風恬にして 鳥乱れ鳴く・・」の詩が引用してあった。それで、吉田氏の本のどこかで、この管茶山の詩が、中野重治の「雨の降る品川駅」の冒頭、辛よ さようなら/ 金よ さようなら/ 君らは雨の降る品川駅から乗車する・・の韻律にうり二つであることがいわれていたのを思い出した。吉田氏の本を読んで心底びっくりした何回かの一つである。江戸の漢詩人と昭和のプロレタリア詩人! こういうびっくりがあるから吉田氏は信用できるのだと思う。
 
わたしのなかのかれへ―全エッセイ集 (1970年)

わたしのなかのかれへ―全エッセイ集 (1970年)