今日入手した本 新垣隆「音楽という〈真実〉」
- 作者: 新垣隆
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2015/06/19
- メディア: 単行本
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あの事件?はいろいろなことを考えさせてくれたわけで、譜面として定着した楽譜というのものは変わらずにあるにもかかわらず、誰がどのように作ったのかということがわかる前と後でその評価が全く変わってしまうというというのは考えれば大変に奇妙なことで、クラシック音楽というものの現在のありかたについて考えさせるものをたくさんもっているはずである。これはピカソの作と思われていた絵が別人の作と分かった途端に値段が下落するという話とはちょっと違う話である。
この本の終わりのほうにこういう部分がある。「私が行ったことのいちばんの罪は何かと言えば、それは私がワーグナー的に機能する音楽を作ってしまったことでしょう。人々を陶酔させ、感覚を麻痺させる、いわば音楽の魔力をうかうかと使ってしまったわけです。/ 『HIROSHIMA』は、スタイル的にはロマン派で、20世紀前半、戦後ちょっとくらいまでの音楽を踏襲しています。・・ああいう作品は、実は19世紀の終わりから20世紀半ばくらいの間に、クラシックでもたくさん書かれていました。それを時代も地域も違う現代の日本でたまたまやったのが、私だったということになります。/ そして、ロマン派の音楽は、人々を陶酔させ、感覚を麻痺させやすいんです。・・そういう方が音楽は作りやすいんです。そういうロマン派的な、なるべく荘厳で壮大で、というイメージは、もちろん彼(佐村河内氏)が求めたものでした。・・」
最近の映画であるとかテレビとか、やたらと「泣ける」というのが宣伝に使われている。そしてクラシック音楽の世界でも「感動」とか「陶酔」を求めているひとが少なからずいて、そういうひとが『HIROSHIMA』のような音楽をこれこそが自分の求めていたものと歓迎したのであろう。わたくしは偽作騒ぎの前にこれをきいて、「無感動」な現代音楽に飽き足らないきわめて有能なアマチュア作曲家が自分が「感動」できる曲を作ったものなのだろうと想像していた。
ロマン派は問題である。ワーグナーはナチス・ドイツに道を拓いた、としても、それなら無機的で音の戯れに過ぎないような現代音楽がそれにとって変われるかといえば、まったくそうではないわけで、クラシック音楽というのの未来はどうなるのだろうと思う。
養老孟司「文系の壁」
- 作者: 養老孟司
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2015/06/16
- メディア: 新書
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なお、STAP細胞の話もでてくるようである。『HIROSHIMA』と『STAP細胞』という話題は一見関係ないようでもあるが、天才神話というような共通のものも根底にあるような気がする。天才というのはロマン主義と浅からぬ因縁を持つものであるはずである。