橋本治「負けない力」

    大和出版 2015年7月
 
 最近のベストセラー?(というほどでもなく、ある程度売れている?)「嫌われる勇気」と何だかタイトルの感じが似ているというのが第一印象。「嫌われる・・」はアドラー心理学の解説本で、「嫌われる勇気」さえ持てれば人は強く生きることができるといった方向だから、広い意味での自己啓発本の範疇に入るものだろうと思う。この橋本さんの本は、アドラーもふくめ誰かに生き方を教えてもらうという方向自体を批判した本で、いっていることはただ一つ、「自分の頭で考えろ!」。
 そうすると「橋本治先生に自分の生き方を指南をしていただきたい」というような読者を拒否することにもなるので、書き方が直線的でなくなる。「負けない力」とは知性のことなのだそうだけれども、これを読んで、「そうか! 知性とは負けない力のことなんだ。一つ勉強した。今度、誰かに自慢してやろう!」などという読者には、「キミは間違っているぞ!」と言い続けなくてはいけないことになる。
 本書はまた「教養主義的な考え方」を否定する本でもあるのだが、そもそも読書するひとのかなりは教養主義に傾いているのかもしれず、そうであれば、ますます読者を限定する本になってしまう。
 極論すれば、橋本さんが本当に読んでほしいひとはこの本を手にとることさえせず、ここで橋本さんに説教されたくらいではびくともしない筋金入りの教養主義者だけが、この本を読むことさえありうる。そうであれば、世は何も変わらず、こともなくこれからも過ぎていくことになる。
 この本で述べられていることは「宗教なんかこわくない!」でいわれていたことと基本的には同じであるかもしれない(「“自分の頭で考えられるようになること”― 日本に近代化の必要が叫ばれるようになってから、日本人に終始一貫求められているものは、これである。これだけが求められていて、これだけが達成されていなくて、これだけが理解されていない」・・最初にここを読んだ時は、丸山真男!と思ったものである。)。しかし「宗教なんか・・」では「最大の理性とは、すべてを冗談にする力である」などととぼけたことをいっていた治さんが、本書ではなんだか真面目である。その分、パワーが落ちてしまっているように思う。
 「宗教なんか・・」はオウム真理教事件を契機に書かれた1995年刊行の本である。爾来20年が経過した。「宗教なんか・・」には「愛情に関する一章 ― 残念ながら、これは私の独擅場だ」という、とても偉そうなタイトルの章もあったのだが、「負けない力」では「この本の著者だって少しばかり不安がっている」といういたって治さんらしくないところもある。治さんは以前より、書いた文章が誰かに届くということに確信が持てなくなってきているのかもしれない。なんだか気弱である。
 わたくしが初めて読んだ橋本治さんの本が「宗教なんかこわくない!」であった。それで橋本信者になって以来、橋本おっかけを続け、過去本あさりもしているが(といっても全部を読んでいるわけではなく、小説は苦手、「窯変源氏・・」とか「双調平家・・」とかも駄目)、それは橋本さんという人がわたくしとは全然違ったタイプの人間、およそ知識人らしからぬ知識人であるからで、わたくしの持たない視座をたくさんもっていて、教えられることが多いからだと思っている。わたくしは橋本さんが鼻持ちならないとして嫌悪軽蔑する「ハイカルチャー」の側の人間で、漫画を読まず、テレビもほとんど見ず、音楽はクラシック派で演歌とかが苦手というよくあるタイプである。「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」とか「恋の花詞集」とか「完本 チャンバラ時代劇講座」とかを書き、竹内労「鞍馬天狗のおじさんは」に解説を書く橋本氏とは全然守備範囲が違っている。「鞍馬天狗・・」の解説にいう。「竹内労は「アラカンは差別されてきた」と言う。しかしそれは、別に嵐寛寿郎だけではない。チャンバラ映画そのものがそうだ。実は歌舞伎だってそうだ。映画だってそうだ。歌謡曲だってそうだ。・・日本の知識人は、「くだらない娯楽に深入りする理由が分からない」と言って、そうした諸々を一切排除し」てきた、と。そういう点でわたくしは典型的な「日本の知識人」である。橋本氏の「「三島由紀夫」とは何ものだったのか」は「日本の知識人の典型」研究であったと思うし、「小林秀雄の恵み」は「知識人であることを嫌悪しつづけた知識人」の研究であった。
 橋本氏の関心は徹底して日本と日本人にある。この「負けない力」もまた日本人論である。日本の近代化が日本にもたらしたものが最大の関心事となっている。一方で本書は「考える」とはいかなることであるかを論じたものでもある。
 「考える」というのは個々の人間がそれぞれにおこなうことである。そうであれば「考える」ことは日本をこえ、人間に普遍的な現象のはずである。橋本氏は日本人がいう「考える」はほとんどの場合「考える」ではなく、すでにできているものの中から何かを選ぶことに過ぎないといっていて、そういうやりかたとは違う、本当に考えることをしなくてはならないといっているのであるが、なぜそれが必要かといえば、われわれがおかれている現代日本には問題が山積しているからなのである。
 普段われわれはなぜ「考えない」のか? 日本ではそのほうが楽だからである。では、なぜ「楽に」生きてはいけないのか? 日本がかつて「楽に」「何も考えずに」行動した結果、様々な問題をおこし、現在でも問題をかかえ、これからも問題をおこすであろうからである。
 でも、日本なんかどうなってもいいではないか? 自分さえ生きていければというひとは考えていないのか? という問いにおそらくうまく答えられないのが本書の一番の弱いところなのだと思う。「死にたい奴は死なしておけ! 俺はこれから朝飯だ!」というのは誰の言葉だったか? 吉行淳之介の本で読んだ言葉のような気がするのだが・・。「もし一杯の紅茶が飲めるのなら、全世界なんか、滅んでもかまわない」というのはドストエフスキーだったか? 要するに、この本は個人にかんする本ではなく、日本にかんする本なのである。
 それでは日本の問題とは? 明治期からの「進んでいる西洋に学ぶ」である。「自分達で考えるより先に、進んでいる西洋の知識をマスターする」である。しかし「日本人は結構頭がいいので、西洋の考え方や技術を取り入れるだけでは終わ」らず、「西洋由来の技術を独自に発達させて、その内に「勝てる!」という自負心を持ってし」まう。しかし、「その結果負けてしまう。」 それで、第二次世界大戦アメリカに負けると、今度は西洋(ヨーロッパ)からアメリカへ学び先をかえる。今度の場合も「考えずにさっさと学べ!」でいく。戦争の時代は去って経済で争う時代になっていたので、経済で勝負し、再び「頭がいい日本人」はアメリカ流もマスターして、それに勝ってしまう。それで「世界一の経済大国」になるが、再び負ける。「バブルがはじけた」のである(誰かが破いたのでなく、自然にはじけた)。余った金の使い道がわからない日本人が「行け行けドンドン!」でいって自滅した。それなら、ふたたび「お勉強」すればいいのか? 日本でバブルがはじけた頃、アメリカは経済の戦略を変えて、モノ作りから金融へという方向になった。そこでもまた日本はアメリカ流を学んでいくが、しかし「ITバブルがはじけ」「リーマンショック」がきた。実はもう学ぶべき先進国はなかったのである。
 しかし、それなら日本の若い人材が今までの日本ではできていた“独自の達成”を今後もなしとげることが可能だろうか? 日本にはもともとノウハウを学ぶ授業はあっても、独創性を育てる教育など存在していなかったのである。ただ一度、その可能性の萌芽がみられたことがある。それが「ゆとり教育」であるが、「ゆとり教育」とはそもそも「もう日本も豊かになったのだから、そんなに勉強なんかしなくてもいいですよ」という発想から生まれたのではないか?
 日本人が発揮する独自性は学校教育で身につくのはない。社会に出てから身につくのである。学校教育は社会のほうには向いていず、上級学校のほうに向いているだけだからそうなる。さすがに、それではまずいという反省がでて、大学教育は「教養」から「実学」へとシフトしてきている。ということは現代において「知性はもう負け」ようとしていることになる。「へんなことを考えていると生存競争に負けてしまう」時代なのだから。
 単なる知識は身に沁みない。だから知識を寄せ集めただけの「教養」は体制順応型人間を作るだけである。「よき市民」は「自分から発信すること」ができず、指示待ち人間になってしまう。
 もはや規範のない時代になってきている。「自分ことや自分達のことは、自分や自分達でなんとかする」ことが求められている。そして、それをするものこそが知性である。知性とは自分で考えてなんとかすることである。
 もう「教養主義的な考え方」から脱しなければいけない。「教養主義」とは「他人の考え方」をも「知っておくべく知識の一つ」とみなす行き方である。だが、「他人の考え方」は覚えるものではなく学ぶものである。
 日本人は、「自分の考え方を肯定してくれる他人の考え方」だけを知りたがる。そうなら、「教養主義的な人間」に「自分」があるだろうか? 「自分」があるなら、簡単に「自分の考え方を入れ替える」ということはできないはずであるが、日本ではそれが簡単におきる。
 簡単にそれをするひとは「それをするとトクになるか?」という視点からモノゴトを見るひとである。自分のそれまでの考えを別の考えと入れ替えることは、必ずしも日本だけにおきていることではないだろう。しかし、日本人では「それをしてもあまり大きな混乱がおきない」という点に大きな特徴がある。だからかりに「革命」がおきたとしても、それにともなう「反革命的騒乱」はまずおきない。明治維新はだからこそ可能だった。
 日本人は「長いものには巻かれ」てしまう。なぜか? 日本人の「自分」は「自分の中」にあるのではなく、「自分の外」にあるからである。揺るぎない自分とは「損をしたら元も子もないから、損得で考えて長いものには巻かれてしまえ」という部分にのみある。日本人にとって「正解」は「自分の外」にある。だから、自分で考えて答を出そうとするのではなく、「いまの正解はどこにあるのかを探そう」とする。江戸から明治への転換期から日本人はそうなった。「みんな」(≒「世間」)は何を考えているのだろう? と「空気」を読むのである。
 この世のどこかに「成功の鍵となるような正解」が存在している、という考えを日本人は前提にしている。しかし、もう「正解」はどこにも外部には存在しないのである。それは自分で考え出すしかないものである。
 従来からある考え方の全取っ替えの典型的なものが「革命」であった。しかし20世紀は「革命」に懲りた。
 知性は「問題を発見してしまう」ものである。大事なのは「問題」を発見することで「答」を見つけることではない。
 「知性」とは「謙遜」のことでもある。自分よりも優れたものが多数いることを知ることである。世界には「自分」だけでなく「相手」もいることを知るのも知性である。
 なぜ日本人は勝つことにこだわるのか? それよりも負けないことが大事なのではないか? 「考え」続けることは、いつまでも「安心」には至れないということである。しかし、「自分自身の尊厳」に気づくからこそ、知性は「負けない力」として必要になる。
 
 どうも本書のメッセージは少し分裂しているような気がする。タイトルのように、「知性とは負けない力である」という方向には収斂せず、メッセージ1:大切なことは勝つことではない、負けないことである(あるいは生き残ることである)。メッセージ2:知性とは自分が生きていくための知恵をいうのであって、自分の生き方とは関係のない何かについて知っていることではない。メッセージ3:われわれは頭で生きているのではない、身体全体で生きているのである、の3つが混然としている感じである。
 橋本氏は明治期に、西洋にあるものを批判的に吸収するのではなく、無批判に、考えるまでもなく正しい知識として、ひたすら覚えることで接したことに、今日の日本の混乱の原点を求める。「目的がないままに「知識」だけを集めても、人にひけらかして自慢する以外に使い道はない」ではないか、と。
 こういう議論の場合、人文学的なものと自然科学を区分することが必要になると思う。あるいは「一般教養」と「実用学」。本書で示されるのはたとえば漱石の例であるが(「夏目漱石は、当時の「教養」を振り回す人間達をバカにしています」)、「坊ちゃん」の赤シャツや野だいこ、「我輩は猫である」の閑談・空論をくりかえす多くの登場人物たちがバカにされていることは確かであるが、これは人文方面の話である。技術の方面、あるいは社会の制度の方面の話は別であろう。人文方面の出来事になるのか微妙であるが、明治期前後の時代での様々な訳語の創出ということが後代のわれわれにもたらしたものはきわめて大きいはずである。「経済」とか「哲学」といった語もすべて明治期にできたもののはずである。競争という語もまだ江戸の時代に幕府の役人のために福沢諭吉がつくったものであったはずである。明治期にきわめて大きな力を持った語であるはずの「生存競争」という語もそういう背景がなければ生まれなかった。「知性」だって「教養」だって(おそらく)その時期に創出された語であろう。橋本氏がこのような本を書けているのも、明治の先人達の努力の産物による。われわれはそれによって日本語でものが考えられるようになってきている。「明治以後の文学者達が苦心して築き上げた現代の日本語というものさえ残っていれば、そして外国の文学作品を従来通り読むことが出来れば、その明治から今日に至るまでの文学者達が書いたものが一つ残らず消えてなくなった所で、誰も別に不自由はしないのはないだろか」と吉田健一がとんでもないことをいっているくらいである。
 自然科学を自国語で勉強できるアジアの国というのは少ないのだそうである。科学の分野では今存在している見方をいちいち基礎から吟味していたのでは先にすすめない。科学技術の分野にかんする限り、明治期に西洋にあったものをてできあがったものとして知識として鵜呑みをしたこと自体を間違いとはいえないだろう。そしてこれがうまくいった結果、日本人が増長して傲慢になり、それが今時大戦の敗戦に繋がっていったのかというと(橋本氏の本ではそういっているように見えるのだが)、それは微妙である。
 西洋システムに参加していった結果、そこに見たものにいやになったのではないかと思う。西洋にあるのはモノと欲だけではないか? ココロはどこにいったのか?、人間はもっと美しいものではないのか? しかしモノで競争したら全然「西洋」には勝てそうもない。それで人間の力を最大限に見積もってモノの不足を補う(補える)こととし、しかしやはりあえなくアメリカのモノ(物量)に負けた。それで原点に戻って?またもやモノでいくことにした。それでふたたびアメリカを凌駕したが、それも一時の栄華で、失われた20?年とか、リーマンショック、福島の原発事故などで意気消沈してそのまま現在に至っている。それでもまだ韓国よりはましだと自分をなぐさめ、中国がコケそうだとみえるとにんまりし、過去に戦争に負けたこととその結果としての平和憲法、世界で唯一の被爆国になれたことを自分のレーゾンデトールとしてかろうじて自尊の念を保っている、それが現在の日本なのではないだろうか?
 あれほど平和憲法にこだわるのは、もしそれがなくなったら日本がただのどうということのない国になってしまうし、太平洋戦争で死んだ多くの人々が無意味にまったくの犬死をしたことになってしまうという気持ちがあるからなのではないだろうか? 平和憲法は(左の?)靖国神社なのである。
 こういう仮定は意味がないが、もしも昭和16年の時点で、冷静で理性的な判断によってアメリカとことを構えることを回避していたと仮定する。あるいは開戦はしたが、初戦の勝利を背景に冷静に理性的に和平交渉を目指していたとする(勝利に酔っていた日本人がそれを許したとは思えないが)。そうであったのなら、われわれはいまだに帝国でいて、大日本帝国憲法を戴いているのだろうか? 「大日本帝国万世一系天皇之ヲ統治ス 皇位皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之を継承ス 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス・・」のままだろうか?。帝国陸海軍(今なら空軍も)はまだ健在だろうか? 
 少なくともいえるだろうと思うのは、太平洋戦争の実に膨大な数の死者と展望を欠く戦争継続の結果としての無条件降伏がなければ、昭和20年におきた革命的な変化はなかっただろうということである。日本人が自分自身の手によって合法的な手続きによって今のような体制をつくり、軍を解体し(明治期であれば廃刀令か?)、戦争放棄をうたう憲法を自分たち自身でつくっていたとは、わたくしには到底思えない。
 さらにいえば無条件降伏後、日本人によって新しい憲法をつくることを占領軍が指示したとしても(Occupied Japan でそのようなことがおきるということ自体がありえないが)、その日本人たちが作成したであろう憲法は今の憲法とは似ても似つかぬものとなっていたであろう。(松本委員会案も、進歩党案も主権は天皇にあるとし、自由党社会党の案も主権は国家とし、主権は人民にありとしたのは共産党の「日本人民共和国憲法」案だけなのだそうである。ただし、民間の憲法研究会案だけは主権は国民にありとしていたそうである(天皇は祭祀のみを司る、と)。) もしもナチスドイツが勝利していたとすれば、ドイツ人はその後、自分たちの手で現在のドイツのような体制を段々と作りあげていったのであろうか?
 今次大戦の敗戦によって、それまで日本人の上に重くのしかかっていた国の重さが比較にならないくらいに軽くなった。国家は自分たちに命を捨てることを命じてくる存在から、自分たちに何かをしてくれる存在へと大きく変わった。戦争で国民国家にこりごりした日本人は、敗戦を歓迎した。敗北を抱きしめた。わたくしにはそうとしか思えない。第九条ばかりがいわれるが、基本的人権(第11条)であり、個人の尊重(第13条)であり、法のもとでの平等(第14条)であり、思想良心の自由(第19条)であり、信教の自由(第20条)である。
 第9条の議論は、否応なく個人をこえる国を想起させる。憲法の前提は国家の存在であるる。その国家とは国民国家である。国民国家は戦争の必要、戦争に強い国家の要請から生まれた。平和憲法を守れ!という声の背後には、戦争のための装置として存在する国家という事実を直視したくないという心情が潜んでいるように思う。EUというものが可能になったのは、ヨーロッパの域内において国民国家同士の戦争という可能性が現実的なものと思えなくなったということが背景にあるはずである。しかし、今の日本では、それがおかれた地政学的な位置のなかに、国民国家意識が強固な国が少なからず存在しているし、日本人自体も(戦争の装置としてでなければ)国民国家意識は相当に強いのである。日本と韓国と北朝鮮と中国と台湾が東アジア○○共同体というものを作って、共通の通貨を発行するなどということは考えられもしない。
 橋本氏がいうところの、西洋を無批判に「良きもの」として無批判に受け入れたことが問題という図式からは外れてしまう事象が数多くある。
 明治の時期に日本が受け入れた西洋は、西洋の技術、西洋のモノ、西洋の制度であって、西洋の発想、西洋のものの考え方ではなかったかもしれない。明治期に西洋を受け入れた日本は、西洋のモノによって日本のココロが浸食されるように感じたかもしれない。多くのひとが今グローバリズムについて感じている違和感と同じようなものがそこにあったかもしれない。穏やかな協調の世界からギスギスした競争の世界へ? 同胞が相抱く平穏な世界から万人が万人の敵となる不信の世界へ? スペンサーの社会進化論的な世界、適者生存の弱肉強食の世界、ラフカディオ・ハーンは西洋の競争社会の敗残者として日本に来て、そこに安心の地を見出した。しかし、それも急速に「逝きし世」となろうとしていた。
 太平洋戦争開始時に多くのひとが感じた頭のうえの暗雲が消え、透明な青空が戻ってきたと感じるような開放感(米英を屠るとき来てあなすがし四天一時に雲晴れにけり)、もう西欧世界ではないところで、東洋の仲間たちとやっていけばいいというような感覚(大東亜共栄圏)、それは漱石の「草枕」で夢見られたような「白雲郷」の世界でもあり、西洋という色相世界とは別天地の穏やかな世界とも通じる何かであったはずである。((米英は)「富の陥穽に落ちた放蕩者の国、見てはならない夢を漁る不倫の国」(野口米次郎)) イスラム圏が現在の西側を見る目はこれに通じるところがあるのではないだろうか?
 吉田健一もこんなことを書いている。「十二月八日以来我々は凡てが変わつた思ひに生きて居る。・・思へば、これこそ久しい年月の間我々が待望して居たことなのである。・・興奮して居るのではなく、揺るぎのない感動がある儘に凡てが我々には新鮮に見えるのである。空襲も恐れるには当らない。我々の思想の空からは英米が取り払われたのである。」
 日本は、日本人だけで生きている限りは良き世界であると思っている日本人は多いのではないだろうか? だから自閉していたいという願いが根本にあり、鎖国への希求がある。グローバリズムへの違和感もそこから生じる。
 明治期に無理に世界に参加させられたという屈折した思いが今も残っている。争いの世界の部外者でいたいという願いが、平和憲法へのこだわりの根にあるはずである。自閉していればよかったのに傲慢になりアジアとの協調ではなく東洋の覇者たらんとしたことへの処罰としての広島・長崎。「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」
 どうも単純に西洋の知識を無批判に暗記の対象として取り入れたといったことだけでいろいろなことを説明していくのはつらい。おそらく橋本氏は「知性」についての本の依頼を受け、「知性とは負けない力である」という補助線を得て書き始めてみたが、それだけでは何か足りないものがあることを感じ、日本の西洋受容が「知的」ではなかったというもう一つの線が導入されることとなり、「負けない力」との整合が取られないままに本が終わってしまっているという印象をうける。
 「宗教なんかこわくない!」には「ゴーダマ・ブッダの得た悟りとは、近代合理主義の開祖であるデカルトの「我思う、ゆえに我あり」に近いのである」(自分の人生は自分のものだと思ってもいいんだよ)とか、「キリスト教も仏教になる」(仏教は「誰にでも悟りは開ける」である。それが「仏=ただの人になる」ことなんだから、意外なことに仏教は、能動的な“なる教え”なのである。一方、・・キリスト教は、受動的な“してもらう”宗教なのである)とか、強烈で強引な一般化という橋本節が炸裂していて、とにかく考えさせるのであるが、本書での一般化はどうも不発のままで終わってしまっているような印象があった。
 

負けない力

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