渡辺一夫「敗戦日記」 博文館新社 1995年

渡辺一夫 敗戦日記

渡辺一夫 敗戦日記

 今、ドナルド・キーンの「日本人の戦争 作家の日記を読む」をちょこちょこと読んでいる。副題のように昭和16年から昭和21年までの時期に作家がつけていた日記の抜粋から構成されている本である。永井荷風高見順伊藤整山田風太郎清沢洌などが主にとりあげられている。その中にこの渡辺一夫の日記もとりあげられている。それでこの本のことを思い出した。
 渡辺氏の日記は東京大空襲から8月15日までの比較的短い時期のもので、主としてフランス語で書かれている。それは検閲などを警戒してのものだが、それを日本語訳したものが本書である。といっても日記部分は2百ページ強のこの本の三分の一ほどで、後は串田孫一氏への書簡と、関連するエッセイで構成されている。特にどうということのない装丁の本だが装幀・串田孫一と書かれている。今ではあまりみない箱入りの立派な本で、日記原文すべての写真も付されている。お弟子さん筋の渡辺氏への敬愛が感じられる本である。
 渡辺氏はこんなことを書いている。「知識人の弱さ、あるいは卑劣さは致命的であった。日本に真の知識人は存在しないと思わせる。」
 「続敗戦日記」というのもあって、8月31日の項にこうある。「連合軍は進駐して来た、新聞記事は一変しての親米或は迎米主義となるらしい。」 知識人は相変わらず弱く卑劣なのである。
 それでは渡辺氏が考える真の知識人とは? どうもそれがロマン・ロランのようなのである。昔読まれて今読まれない本はたくさんあるが、今「ジャン・クリストフ」などというのを読む人がいるだろうか? だが、わたしが中学高校の頃にはまだたくさんいたような気がする。それと読まれなくなったのが「白樺派」。武者小路実篤とか「新しき村」とかもまた誰も読まないように思う。これもわたくしの中学高校の頃には現役の文学だったような気がするのだが・・。そして「新しき村」とかはトルストイ晩年の人道主義?みたいなものと関連があったように思う。「戦争と平和」や「アンナ・カレーニナ」や「復活」はいまだに現役の文学であろうが、トルストイの人生論みたいなものはもう過去のものであろう。
 マルクス主義が過去のものになっているとは思わないけれども、わたくしが中学高校のころのマルクス主義は、ロマン・ロラン白樺派トルストイと込みであった部分が少なからずあるのではないかと思う。人道主義の一つというような位置づけである。今日になってみるとスターリン毛沢東ポルポト人道主義の正反対のようなイメージになっているのでそういう発想は理解しづらいが、しかし、いまから50年ほど前にはまだそういうイメージもあったような気がする。
日本人の戦争―作家の日記を読む (文春文庫)

日本人の戦争―作家の日記を読む (文春文庫)