今日入手した本 津野海太郎「百歳までの読書術」

百歳までの読書術

百歳までの読書術

 書店で偶然見つけた本。津野氏の本は「電子本をバカにするなかれ」というのを読んだ気がするが、熱しやすく醒めやすい性格で、電子本というのにまったく興味をなくしてしまったので、どこかにいってしまったようで、確認できない。
 著者は今75歳くらいの方だと思う。60代はホンの短い過渡期なんだそうで、読書好きの人間の多くは歳をとったら自分の性にあった本だけ読んでのんびり暮らそうなどと思っているうちに、あっという間に過ぎてしまうのだそうである。わたくし今68歳。「70歳になるころから体力・気力・記憶力が凄まじい速度で衰えはじめる」のだそうである。もっと衰えるのであろうか?
 パラパラ見ていて、目についたところなど。
 「岩田さん(岩田宏氏)が「いかなる魔が差したのか、とつぜん」四十年もまえに古本屋で買って、そのままになっていた一冊の「未読の本」を読みはじめてしまう。」 その本というのがエリオット・ポールの「The life and death of a Spanish town」 エリオット・ポールは吉田健一ご贔屓の文筆家で、その「The last time I saw Paris」は少し前にお嬢さんの訳ででた。この「The life and death ・・」は翻訳はでていないと思う。スペインのある島の「幸福感にみちた暮らし」がスペイン内戦で根こそぎ破壊されてしまう話らしい。 読んでみようかとも思うけれど「The last time・・」も英語が全然歯がたたなかったから、原書では無理だろうなと思う。もっと英語を勉強しておくべきだった、と時々思う。
 「私がヴォネガットの名を知ったのは1973年、2年前に死んだ友人のデイヴィッド・グッドマンととともに欧米を旅していたときだった。その道中のどこかで、「いまアメリカの若い連中はどんな本を読んでいるの?」という私の質問に、ブローディガンの「アメリカの鱒釣り」とイヴァン・イリイチの「脱学校化社会」とともにグッドマンがあげたのが、ヴォネガットの「スローターハウス5」だったのである。」 へーえ、アメリカでイリイチが読まれていたことがあるのだ、と思った。イリイチは日本でも一時期小流行したが、今ではまったく忘れられてしまっている人である。最近読み直している渡辺京二さんに決定的な影響をあたえたひとなので、渡辺氏の本には頻回に名前がでてくる。わたくしも昔少し読んだことがあって、思い出して本棚をみてみたら「脱病院化社会」「シャドウ・ワーク」と、一時期イリイチを精力的に日本に紹介していた山本哲士氏の「学校・医療・交通の神話」があった。渡辺氏の本を論じるときに少し読みなおしてみようかと思う。渡辺氏の本にも「幸福感にみちた暮らし」という言葉がさかんにでてくる。
 クッツェーとオースターの往復書簡を論じて、「このふたりの作家は私と同じ年ごろで、私がそうであるように、二十一世紀初頭という厄介な時期に老人となったり、なろうとしていることを、けっこうつよく意識しているらしい。そうと知って、私のうちに、それまでは遠かったかれらへの親近感が生じた。 親近感というか、順応するにせよ、反抗するにせよ、そこで人となった二十世紀の秩序や心性が大崩れして、さっぱり先が見えない。そんな時期に老年をむかえてしまった人間たちのあいだに生じる、いやおうなしの共感といったもの。」 いつの時代でも安閑としている時代などというのはないのだろうが、わたくしも「二十一世紀初頭という厄介な時期に老人とな」ろうとしているのだな、と思う。20世紀にも「幸福感にみちた暮らし」があったのだろうか? あるいは19世紀には?