吉川洋「高度成長」(4)第7章「成長の光と影」― 寿命と公害

 
 本章は高度成長はよいことばかりではなかったとして、光としての「寿命の延長」と影としての「公害」を論じる。
 2009年の時点で、日本の平均寿命は男80歳、女86歳。男女平均の83歳は世界一。その時点で隣の中国は74歳、ロシア62歳、インド65歳、チャド47歳(男)48歳(女)。
 平均寿命は、医療技術ばかりでなく、経済・社会の要因が大きく関係する。途上国は低く、先進国では長い。
 しかし、1950年の時点では日本は欧米にくらべて寿命が短い国であった。それが60年ほどで世界のトップになった。1950年日本人の平均寿命は男60歳、女63歳であった。それが1975年には男72歳、女77歳となっている。しかし75年から先は鈍化し、その後20年で、男は5歳、女は6歳の延びとなっている。
 1900年の時点において、イギリスとイタリアと日本の平均寿命はそれほど変わっていなかった(45歳前後)。国民一人あたりの所得では日本人はイギリス人の1/5〜1/8であったにもかかわらずである。イギリスでは所得水準が高いにもかかわらず、公衆衛生の立ち後れと都市化の進展によって寿命が短縮されていたためである。(日本では、明治政府が公衆衛生に力を入れていたのと、都市化もまだそれほど進んでいなかった。)
 しかし、その後はイギリスやイタリアが順調に寿命を延ばしたのに対して、日本ではほとんど寿命が延びなかった。経済成長にもかかわらず、産業化と都市化がそれを打ち消したためであろうと、吉川氏は推定している。日本は軍備の拡張に走り、上下水道の整備や病院の整備などへの投資をおこたるようになったためでもある、と。
 今日の我々の常識に反して、都市化は疾病率と死亡率にかなりの時期まで悪い影響をあたえていた。都市の過密は健康に悪いものだったからである。ここで吉川氏は所得の上昇と公衆衛生の整備のそれぞれが平均寿命の延びに寄与するという常識的な考えを支持しないシカゴ学派などの「新自由主義」の経済学者たちをからかっている。個人の選択を重視し、政府の役割を評価しない「新自由主義」の経済学者は、政府の活動である「公衆衛生」が平均寿命の延長に寄与することを認めたがらないのだ、と。所得が上昇すると個人がよい食べ物やよい住まいを選択することが可能となるので、それが寿命を延ばすのだと強弁しているのだ、と。吉川氏は「自由主義」経済学に対抗するケインズ派のひとらしい。
 戦後の寿命の急激な伸びの原因を吉川氏は、抗生物質などの新薬やBCGワクチンの普及などの医学の進歩によるところが大きいとしている。
 日本では1950年代になって歴史上初めて都市の死亡率が農村のそれを下回るようになった。人口の密集のマイナスを、栄養の向上や住宅の整備や医療サービスへのアクセスの改善といったことが打ち消すようになったから、と。その結果として、農村から都市への人口大移動も死亡率を押し下げることになった。
 日本の乳児死亡率の低下は劇的である。1950年には千の出生に対して60であったものが、1994年には4になっている。病院での出産の普及と上下水道の整備と、健康保険制度の普及などが大きい、と。1961年からの国民皆保険制度の普及により病気のひとが医療機関にいく(いける)ようになった。それまでは受療率は25歳から34歳がピークで、その後は年齢が高まるにつれて低くなっているという、今からみれば異常な状態であった。
 一方、影としての公害としては水俣病が主に論じられる。高度成長期には公害の問題は企業や政府から無視されるか隠蔽されていた。1996年に水俣病の患者団体とチッソの間で和解が成立したが、これは水俣病の公式認定から40年もたっている。1956年にチッソ水俣工場付属病院の細川院長が「原因不明の中枢神経疾患」を報告している。1959年には熊本大学医学部の研究で、その原因がチッソ水俣工場からの排水中にふくまれる有機水銀が原因であることが明らかになっている。しかしチッソはなかなかそれを認めようとしなかった。当時の工場長は「工場操業によるプラスと被害のバランスを考えると、人が死んだからといってすぐに操業を止めることにはならない」と言っている。これが高度成長期の「企業の論理」であった。通産省も国もまたそれを支持した。政府が水俣病を公害と認定したのは1968年になってであった。
 企業においては経営者ばかりでなく、その当時もう労使協調路線に転じていた組合もまた企業の側にたった。
 当時の地方公共団体は「地域開発」のため熱心に工業団地を誘致した。四日市市もそういう都市の一つで、1959年にコンビナートが完成している。しかし、同時に老人や子どもなどに重症の喘息が多くみられるようになった。そのため1965年ごろには、各地でコンビナート建設反対運動がみられるようになった。また、モータリゼーションの進行によって、都市の環境は悪化し、自動車事故ばかりでなく、光化学スモッグなどが問題にされるようになってきた。
 
 一般的にはある程度の経済の発展段階までは、GNPの延びと寿命の延びは平行するけれども、先進国のなかで比較すると、GNPが高い国ほど長寿というわけではない。
 一般的に貧困の病気は感染症、中程度の経済状態では脳卒中、経済状態がよくなると今度は心臓病が増えるとされる。どういうわけか、日本では心臓病が少ない。これは魚を多く食べるためという説がある。もう一つ心臓病が少ない先進国のフランスは赤ワインが予防効果があるという説もある(酒飲みは好んで引用する)。一般的に、社会的地位が高いほうが長寿というデータがあって、これはいいものを食べているからというようなことだけでは説明できず、社会的地位が高いこと自体も健康にいいらしい。また社会の階層分化が進んでいないところほど長寿というデータもあって、一億総中流などといわれていたころの日本はそれが寿命にいい影響をあたえていたかもしれない(これから格差社会が進行すると日本の寿命は悪化するのかもしれない)。また社会の混乱も寿命に影響するらしく、ロシアが異常に寿命が短いのは、ソ連の崩壊以来の社会の不安定が原因という説もあるらしい(ウオトカの飲み過ぎという説もある。社会が混乱すると酒が飲みたくなるのかもしれないが)。
 いずれにしても、寿命の延長に医療がそれほど大きな貢献をしていないのは確からしい。そのことにわたくしがはじめて気がついたのは、昔、砂原茂一さんの本を読んでいて抗結核薬の出現以前からすでに結核は減り始めていることを知ったときで、栄養状態がよくなると感染への抵抗も増すようである。さらに栄養状態がよくなると脳の血管も丈夫になるらしい(脳卒中の減少も血圧のコントロールがうまくいくようになった結果とは必ずしもいえないようである)。
 貧困な人びとが都市に過密に住んでいるというのは、結核などの感染を広げる格好の条件であるわけで、マルクスが住んでいたころのロンドンなどはひどい状態だったはずである。資本論を書かせた相当に大きなものは結核であったのかもしれない。
 光化学スモッグと言葉はわたくしも記憶しているが、その当時の受け取りかたは、経済成長の副産物という感じで、だから成長をするなというような論調は当時あまりみた記憶がない。あるいは当時あったのは、これは資本制社会で経営者が利潤のみを追求することからおきるもので、社会主義社会になったならば公害などという問題はおきえないといった論調であった。何しろ、当時は中国には蠅がいないとか一匹いたとかが真面目に議論されていたのである。現在の中国の大気汚染はひどいものだが、中国の人たちはそれでも経済発展のほうがいいと思っているのだろうか? 今の中国が社会主義とどう関係するのかはわからないが、ソ連の時代でもその環境破壊はとんでもないものであったようである。とすれば、公害のコントロール市場経済体制のほうがまだしも可能なようである。企業の評判ということが無視できないからである。ここに書かれているように企業内組合も当初は自企業の公害には目を瞑る方向にいたわけであるが、そういう姿勢が社会からは受容されないとなれば、段々と方向を転換せざるをえなくなったわけである。(それにしても、最近報道されているフォルスク・ワーゲン社の排ガス規制逃れのソフトというのはひどい話である。やはり株主の利益の最大化を至上命題とする市場経済体制には問題があることになるのだろうか?)
 この吉川氏の本を思い出したのは、もともと渡辺京二氏の本を読んだからなのだが、渡辺氏は水俣病の問題と深くかかわってきたひとである。しかし、渡辺氏は水俣病などの公害といった問題も市場経済体制のなかで解決ができる問題と思っていたということで、水俣病をもっと大きな文明史的観点からとらえていたらしい。
 しかし、水俣病などの公害に対する闘争を反=資本主義、反=市場経済体制の問題として捉えて、その視点から運動に参加していたひとも多かったはずである。それだからこそ、福田恆存氏の「平和論の対する疑問」のような論もでてきたわけである。福田氏が問題にしたのは反=基地闘争だが、結局、そのときの東西の対立体制が変わらない限りは(そして社会主義陣営が勝利しない限りは)基地問題も解決しないというような議論は、その場その場でのとりあえずの暫定的な改善追求を抛棄するもので、それは結局、現状をそのままにしておくことにしかならないではないかというものであった。
 反基地闘争の相当部分は三池闘争と同じなのだった。福田氏の論が発表されたのが昭和29年(1954年)である。その当時は二つの異なった体制が歴然と存在していて、日本に革命をおこして日本を社会主義化するという運動が空想ではなく現実の政治運動として存在していた時代であった。社会主義に移行しないかぎりこの世は闇とするひとがたくさんいたわけである。
 あとから水俣病とよばれるようになった病気の病態がはじめて発表されたのが1956年である。とするとこの当時の水俣における公害闘争の一部にはそれを革命運動の一環とみなすひともいたはずである。渡辺氏がどのような経緯と立ち位置で水俣の問題にかかわるようになったのかはしらないのだが、1956年まで日本共産党員であった氏が単なる被害の補償といった観点からそれに参加するようになったとは考えにくいので、参加していくうちに段々と多くの運動家に違和を感じるようになり、そしておそらくその間に石牟礼道子氏を知ることとなり、それに決定的な影響をうけて、段々と現在のような立ち位置へと変わっていったのであろう。それは単なる健康の問題でまったくなく、人びとの生活の基盤を決定的に損ない、それゆえに人びとの幸福を損なうものと認識されるようになった。もしも水俣病が資本の制度から生まれたものであるとするならば、それはまだまだ資本の制度が不十分にしか開化していないことを意味するだけで、資本制が爛熟するならばそのような問題は解決され、もう起こらなくなってしまう、と氏はしているようである。資本制の開花爛熟によって、確かに生活は便利で快適になる。しかし同時に土地から切り離され自然との共感や共鳴が失われ、他人との関わりをたたれて都会のなかで寒々とした“個”として生きていくことになる、それが市場社会であり資本制の運命なのである。経済体制としては市場性と資本制しか選択肢はない。しかしそれでいいのか? 便利で快適にはなった、しかし幸せか?という問いが氏の発するものである。
 マルクス疎外論というのは読んでいないが(「経済学・哲学草稿」?)、おそらくそこのどこかにつながる議論なのではないかと思う。最初マルクス主義に経済の問題から入り、それに飽き足らずもっと深いほうにいきたいと思うひとは、どうもその方向にいくようである。しかし最近の渡辺氏の書くものをみていると、曾野綾子さんのいうことと似ているなと思うこともある(曾野さんがカトリックだからなのだろうか?)。 むかし読んだ福田恆存とも似ている感じでもある。「私はかう考へる。私達が自分にとつて損になるものを切捨てるときは、必ずそれに伴ふ得になるものも一緒に切捨てることになり、その反対に何か得になるものを入手するときには、必ずそれと抱合はせに損になるものも一緒に背負ひこむことになる。・・昔あつたのに今は無くなつたものは落着きであり、昔は無かつたが今あるものは便利である。昔はあつたのに今は無くなつたものは幸福であり、昔は無かつたが今はあるものは快楽である。幸福といふのは落着きのことであり、快楽とは便利のことであつて、快楽が増大すればするほど幸福は失はれ、便利が増大すればするほど落着きが失はれる。(福田恆存「消費ブームを論ず」)」 渡辺氏がいっていることとそっくりな気がする。天が下、新しきことなし。論調だけみると、昨今の渡辺氏は完全な保守派(反動派?)なのである。
 吉川氏は現在の経済学のひとのなかでは、おそらくやや左のほうに位置するのであろう。国家の役割をみとめ、福祉を重視する方向だからである。経済の中で国が果たす役割を大きくしたのがケインズで、そのケインズ派なのである。最近の経済学の学会内での勢力構造がどうなっているのかはしらないが、少なくとも一時は隆盛であった「シカゴ学派」などの「新自由主義」経済学は、個人尊重・国家軽視の方向で、国は余計なことに口をだすな、個人の選択にまかせておけという方向である。あなたは幸福ですか?などという問題に経済学は口を出すべきではない。そんなパターナリズムの方向を経済学から追放せよ、という方向である。
 わたくしは極度の経済学音痴で、何度かトライしたがギリシャ文字式の本を理解することについてはもうとっくにあきらめたが、時々読む本に竹内靖雄氏の「経済思想の巨人たち」がある。新潮新書版の裏表紙に公文俊平氏が竹内氏を「日本には稀な筋金入りの強い個人であり、本物の自由主義者である」といっている。そしてこの本で照会されている36人の経済学の「巨人」たちのうちでもヒューム、スミス、ハイエク、ブキャナンにとくに共感を示しているといっている。広い意味でのシカゴ学派の方向の人である。竹内氏の本で最初に読んだのが「経済倫理学のすすめ」で、それが面白かったので後に続けていろいろ読むことになったわけであるが、その「経済倫理学のすすめ」の副題が「「感情」から「勘定」へ」である。いいか悪いかなどといいだすと感情的になり、かっかとしてきて収拾がつかなくなるばかりだから冷静に損得勘定をしてみましょうよ、という方向である。だからベッカーなどと近い路線であると思うのだが、ベッカーなどを読んで感じる下らない!とか浅いという感じが竹内氏の場合にはおきない。フリードマンなどを読むとむきになって金儲けを擁護しているような感じがするのだが、竹内氏は「ケインズには資本主義的メンタリティに対する嫌悪感があった。たかが金儲けではないか。自分の利益を追求するのは当たり前として、それしか考えない人間というものは尊敬するに足りる人間ではないとし、自分の同類と見なすに値しない人間である、というのがケインズの本音ではなかったか」と書くひとなのである。どういうわけか竹内氏の本を読むと倉橋由美子氏の著作を思い出すのだが、両者の本の好みが近いからなのかもしれない。竹内氏は吉田健一もかなり読んでいたのではないかな、というのが私の推測である。
 「たかが金儲けではないか」という思いがどこにもない経済学者はどうも信用できない気がする。そうかといって前にちょっと名前を出した飯田経夫氏のように、そこから一直線に経済学否定にいってしまうのもちょっと困るのだが。わたくしは武士は食わねど高楊枝という言葉が大好きという時代遅れの人間なので、竹内氏の本が肌に合うのと思うが、その竹内氏は福祉国家の方向、国家が必要以上の再配分をおこなうことに否定的である。経済成長の時代ならパイ全体が拡大していたのでパイの増加分のみを格差解消に使うこともできたが、ゼロ成長の時代になったらそんなことはもうできなるといっている。
 どこできいた話か忘れたが、日本で国民皆保険の制度ができた当時、制度を作った人たちでさえ、この制度は数年でもたなくなりすぐに修正が必要になると思っていたらしい。しかし、丁度1960年ごろからの毎年10%を超える経済成長が続いたため、持つはずのない制度がどういうわけか持ってしまい、段々とその制度自体が自明のものとなってしまって容易に手がつけられなくなって、改正が後手後手にまわってしまったのだそうである。
 そもそも90年代になって、後からは失われた10年とか20年とか言われることになったが、その渦中にいたひとのほとんどはこれは一時的な失速であって、2〜3年もすれば再び成長経済に戻れると思っていたような気がする。80年代は土地の値上がりが続き、サラリーマンが一生働いても小さな家一軒も持てなくなったといわれていた。だからかなり多くのひとがちょっと成長が頓挫して、土地の価格の高騰が止まったことを歓迎していたと思う。そもそも日銀総裁にしてからがそう思っていたのではないだろうか? 土地を右から左に動かすだけでボロ儲けというのはおかしい(当時、地上げという言葉があった)。土地転がしをしていたような人がバブルの破綻で大損をして、そのような濡れ手に粟のあぶく銭を稼いでいるひとがいなくなり、もっと「実体経済」での地道な活動こそが経済活動の中心になるまで、もう少しの景気停滞は望ましいと、相当のひとが思っていたと思う。
 医療の仕事をしていると社会保障制度というものなしの医療制度は考えられない。上に述べたように寿命の延びに医学の進歩がどの程度貢献しているのかは疑問な点があると思っているが、身体の不調があったときに医療機関の閾が経済的な問題のゆえに高いということはあってほしくないと思う。同時に今の制度が持つわけはないということも強く感じている。
 原因が何であれ、寿命は延びた。それはいいことであるとしても、寿命が延びたことが社会保証制度の維持をこれから困難にしていくのもまた確かである。といっても、90歳を超えたらすべて自費診療といった方向を言い出せる政治家がいるとは思えない。国民皆保険制度はもうできて50年以上がたち、空気のような当たり前のものとなってしまっている。
 夏目漱石は確か48歳で死んだのではないだろうか? 鷗外も60歳ちょっとで亡くなったはずである。正岡子規35歳、樋口一葉24歳。子規、一葉は結核である。漱石胃潰瘍、鷗外は腎不全となっているようだが、腎結核という説もあるらしい。今ならみなおそらく命にかかわることのない病気である。漱石や鷗外の晩年?の写真を見ても、とてもそれが40代とか、60代はじめのひととは思えない。
 あるひとが、「惜しまれて死ぬなどというのでは駄目だ、あいつやっと死んだかといわれるのが大往生だ」というようなことをいっていた。医療の目的はすべてのひとが天寿を全うして大往生することなのかもしれないが、そうなった暁には、医療という制度そのものが成り立たなくなってしまうような気がする。
 それで、最終章が「経済成長とは何だろうか」。
 

高度成長 (中公文庫)

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