今日入手した本

 三好範英「ドイツリスク」

ドイツリスク 「夢見る政治」が引き起こす混乱 (光文社新書)

ドイツリスク 「夢見る政治」が引き起こす混乱 (光文社新書)

 書店で偶然見つけたもので、著者については何もしらない。新聞社(読売新聞)に勤務して海外特派員としてベルリンにも長く暮らした経験がある人のようである。
 最近、ドイツに興味を持っているのだが、それはフォルクスワーゲンの問題からというわけではなくて、仕事の関係で熊谷徹氏の「ドイツ人はなぜ、1年に150日休んでも仕事が回るのか」を読んで、基本的にはドイツ贔屓である熊谷氏が、最後のほうで列挙しているドイツのいやなところ嫌いなところというのが妙に強い調子であるのが印象的だったのがスタートで、それでトッドの「「ドイツ帝国」が世界を破滅させる」を読み、フランス人であるトッドのドイツあるいはドイツ人に対してもつ強烈な嫌悪感あるいはほとんど恐怖感のようなものを見て、意外な感じがした。「帝国以後」でのトッドのアメリカ嫌い、あるいはアメリカを下に見る感じはヨーロッパの知識人に特有の、歴史を持つヨーロッパからの歴史のない国アメリカへの蔑視であると思ったのだが、ヨーロッパの中での先進国であるフランスの後進国ドイツへの蔑視と恐怖というのが、これほど根強くまだ残っているのかと思って、意外だったのである。そして加藤典洋氏の「戦後入門」で敗戦国ドイツと日本ということを考え、今ブルマの「戦争の記憶 日本人とドイツ人」を読んでいて、ドイツにおけるナチスアウシュビッツの傷の深さについてあらためて教えられて、それに比較しての日本の敗戦の傷の浅さ?というようなことを考えているので、それでこの本が目にとまったわけである。
 本書の副題が「「夢見る政治」が引き起こす混乱」である。あるフィンランド人が「ドイツ人は夢見る人。ファンランド人は実際的な国民です」といったのだという。これは原発の問題についての発言なのだが、ドイツ人が日本の原発事故の後に、あっというまに脱原発を決めてしまったことに関して述べられたものである。著者によれば、「夢見る人」とは「現実を醒めた謙虚な目で見ようとするよりも、自分の抱いている先入観や尺度を対象に読み込み、目的や夢を先行させ、さらには自然や非合理なものに過度の憧憬を抱くドイツ的思惟の一つのあり方」なのである。わたくしは全然知らなかったのだが、福島原発事故当時、ドイツでは熱に浮かされたような(著者によればヒステリックな)報道と社会の反応があり、メルケル政権の脱原発への転換はそれに押されたものであったという(現在、それによる電力料金の急激な上昇が大きな問題となっており、脱原発の方策がうまくいくか懸念される状態なのだそうである)。
 「ドイツ人の「夢見る」性格は、音楽や文学の分野で豊かな文化遺産を築いた一方、現実問題に直面したとき、ゆがみや病として顕在化することが多かったと三好氏はいう。ドイツ人の振る舞いは政治の舞台に立つとき、ぎこちなさを醸し出してしまうのだ、と。作家トーマス・マンも指摘しているドイツ人の「政治下手」である」。実は、これは「はじめに」の部分にあって、そこから先はまだ斜め読みなのだが、目次を見ると「おわりに」が「ロマン主義思想の投げかける長い影」と題されている。「夢見る」性格は「ロマン主義」に由来するのではないかというのが三好氏の一つの結論ということのようである。環境保護とか反原発運動(「みどりの党」のような政党が大きな力を持っている先進国はドイツだけ)は長いロマン主義思想の流れの中から出てきたという見方ができると著者はいっている。「ロマン主義は18世紀後半に、啓蒙主義的合理主義に対する反発からヨーロッパで生まれた精神運動で、しばしば古典主義や近代科学の精神に対比して論じられ、自然を生命に満ちた全体と見て、自然と共感し、共鳴する態度でなければ自然を知ることはできないと考える神秘主義を核にしている」として、「森は自然の世界の象徴であると同時に、ドイツ民族の過去に思いをはせる場所として特別な意味を持った」とする。ブルマらの「反西洋思想」でも、「フランスこそが政治的、文化的、軍事的に西洋を支配していた」が、「これは敗北を喫したドイツ人、特に伝統的で、信心深く、経済的に遅れた東プロシャ人にとって大変な屈辱」でドイツ人は自分たちの劣等的地位を受け入れることを拒絶し、「彼らはフランス人の空虚で無情な洗練を、ドイツ人の深遠で精神的な内面生活、国民的魂に宿る詩心、素朴さや高貴さなどと対比させた」というようなことがいわれていた。
 「あとがき」で著者は「J・S・バッハ、モーツァルト、ベートーベンの音楽を愛することにかけて、人後に落ちない」自分であるが、どうも「ドイツの政治文化やメディア、「過去の克服」にはどうもなじめない」という。
 バッハとモツアルトがロマン主義と通じるかは微妙な問題であるが(小林秀雄の「モツアルト」はそこを扱ったもので、ベートーベンのロマン主義(運命交響曲の大袈裟な身ぶりをゲーテに否定させる構造になっている)、わたくしの感じではバッハもベートーベンも田舎の人であって、モツアルトもウィーンなどで暮らしたとしても洗練された都会人というイメージからはほど遠い。
 ハイドン以降のクラシック音楽ソナタ形式を抜きにしては考えられないが、ソナタ形式はほとんど弁証法そのもののようにも思われる。提示部で対立した二つの主題が再現部で融和する。
 クラシック音楽の世界では圧倒的にドイツが威張っているが、哲学も同様でカントである。あるいは「哲学はギリシャ語とドイツ語でしかできない」といいはったハイデガーである。わたくしのハイデガーのイメージは農夫(「その道は森の中にあるのでなければならない。」「そま道」!)であり、まるで時計のように生活したカントもまた都会人ではない。 中井久夫氏の「西欧精神医学背景史」に「“森に20歩入れば人は聖俗の権力から完全に自由”であった」ということがいわれていた。これは魔女狩りを論じて、魔女が森と平野の境界に出現したということを言っているのだが、魔女狩りの根源に「ほとんど儀式的・強迫的なまでの「清浄性」の追求」があったということをいっている。ロマン主義とは“森”から生まれたもののように思う。
 ドイツはヨーロッパの辺境であって、さらに辺境のロシアと共鳴するところがあるのかもしれない。フォースターの「小説の諸相」にドストエフスキーの「カラマゾフ」から、ミーチャの「皆さん、僕は素晴らしい夢を見たんです」という部分を引いている。ドストエフスキーの登場人物は、「彼らの経験よりも深遠な何かを彼らと共にすることを、読者に要求する」といっている。
 わたくしは、自分では啓蒙主義の合理主義者だと思っているのだが、ロマン主義の尻尾をひきづっていることはまぎれもない事実で(バッハ・ベートーベン・シューベルト・・には何か本当のもの、真実なものがあるという感じをどうしても否定できない)、ロマン派の音楽というのは、ロマン主義を個人の中で消費して、公の場(政治の場?)には持ち込まないようにするための装置ではないかと思っている。
 日本の知識人は英仏派とドイツ派に二分されるのではないかと思う(アメリカ派というのは少ない?)。当然、啓蒙派は「英仏派」なのだろうが、印象派の音楽は「軽い」し、イギリスもエルガーくらいしかいないのでは寂しい(どうでもいい話だが、先日、you tube を見ていたらBBC主催の音楽会と思うのだが、そこでエルガーの「威風堂々」を演奏していて、それにあわせて聴衆がユニオンジャックを打ち振りながら、何だかとんでもない歌詞を歌っているのを見てぞっとした。「威風堂々」は第二の国歌というような話はきいていたが、あんな歌詞がついているとは知らなかった。「世界に冠たるドイツ!」ではないが、まあ似たようなものだった。なぜか日の丸を振っているひとまでいた)。分析哲学というのはヘーゲル流の大言壮語の哲学の解毒をめざすものなのだろうが、印象派の音楽とか現代音楽はまだまだドイツ古典からロマン派の路線の威光には遠く及んではいない。だから佐村河内さんの音楽が一時期もてはやされることになったのであろう。これからバッハ、ベートーベンを超える作曲家がでてくるとは思えないから、クラシック音楽はドイツの最後の砦になるのかもしれない。
 本書では日本の原発事故についてのドイツでの過剰でグロテスクな報道ということについてかなり多くのページが割かれていて、それがイギリスでの冷静な報道と対比されている。確かに読むと不当に大袈裟であるとは思うが、当時、関東から関西や九州に逃げたひとがたくさんいたことは事実であるし、政府からの情報も(後から見れば)きわめて欺瞞に充ちたものであったことも事実だと思うので、この部分についての記載では三好氏はかなり原発推進派に肩入れしているように思われ、氏の勤める新聞社が原発推進派であると思われるので、その点がいささか気になった。
帝国以後 〔アメリカ・システムの崩壊〕

帝国以後 〔アメリカ・システムの崩壊〕

戦後入門 (ちくま新書)

戦後入門 (ちくま新書)

戦争の記憶―日本人とドイツ人 (ちくま学芸文庫)

戦争の記憶―日本人とドイツ人 (ちくま学芸文庫)

反西洋思想 (新潮新書)

反西洋思想 (新潮新書)

マルティン・ハイデガー (岩波現代文庫)

マルティン・ハイデガー (岩波現代文庫)

西欧精神医学背景史 (みすずライブラリー)

西欧精神医学背景史 (みすずライブラリー)

小説の諸相 (E.M.フォースター著作集)

小説の諸相 (E.M.フォースター著作集)

 
鶴見俊輔 関川夏央「日本人は何を捨ててきたのか」 関川氏が鶴見氏の話をきくというような対談本である。わたくしは鶴見氏は「変なひと」「普通でないひと」ほとんど「狂のひと」「とてもとても暗いひと」であると思っているので(何しろ自慢が若いころの頻回の自殺の試み)、その氏がなぜ「べ平連」などというものにかかわったのか、まったく理解できない。徒党を組むというのから、もっとも遠い人に思える。
 「ベ平連」は正式には「ベトナムに平和を! 市民連合」という名前であったはずであるが、わたくしは市民運動というのが大嫌いで、市川房枝も官直人も大嫌いで、「市民との連帯」などといっていた土井たか子さんもいやだなと思っていた。「解説」で高橋秀実氏が鶴見氏を「良家の御曹司」といっていて、「貴様、なめているか!」と思う部分があるといっている。わたくしも鶴見氏の本はほとんど読んでいないが、対談本・鼎談本などを読んだ限りの印象でそう思うところがある。鶴見氏自身も「良家の御曹司」がいやで偽悪的にふるまっていたり、自分の才をもてあましているところもあるのだろうが、やっぱり普通の人がわからない部分があった人なのではないかと思う。
 本書は対談相手が関川氏というなかなかの人であるので、藤沢周平とか大仏次郎とか白井喬二とか横光利一とか吉川英治とかの話題もあって、ちらっと見ただけだがなかなか面白そうである。鶴見さんはこういうものまで読んでいるのだなあと思う。