今日入手した本 池澤夏樹「詩のなぐさめ」

詩のなぐさめ

詩のなぐさめ

 
 池澤さんという方はよくわからない方で、小説家ということになるのであろうと思うが「マシアス・ギリの失脚」以外には特にこれという作はない(とわたくしは思う)にもかかわらず、日本の文学の一方の旗頭のような位置になんとなくおさまってしまっているように思える。「一方の」というのは吉田健一丸谷才一路線というか、西欧派というか、バタ臭い方向というか、要するに「文学は作り物」路線。
 巻末の書籍一覧を見ても、わたくしが読んでいるのは、「梨のつぶて」「荒地」「葡萄酒の色」「西脇順三郎詩集」「三好達治詩集」「青春の終焉」くらいだから、こちらもまさにその路線。
 池澤氏は「最後の青春派は小林秀雄だったかもしれない」と書いていて、19世紀が「若さの文学」でそれは文学の歴史の中では例外で、18世紀の大人の文学、成熟の文学こそが文学の正統という、例の吉田・丸谷路線の再述するのだが、それにもかかわらず氏はどこかに「青春派」の殻をひきづっているように思える。というのは氏は自分というものへのこだわりがとても強いように思えるからである。自分などというのはどうでもよくて、文学の伝統のなかにいる自分ということのほうがずっと大事というのが西欧派の姿勢の背骨にあるものだと思うのだが、氏は「清教徒イノセンスは始末が悪い」などとアメリカ文学を揶揄しながらも、自身のどこかにまだ「清教徒イノセンス」をひきづっているように思えるのである。